ブログ「いらけれ」

 いつでも電話できるテクノロジーをポケットに入れたのは、僕について言えば高校生になったその瞬間で、まだガラケーという言葉がなかったのは、スマホの発明を世界が待っていたからだ。初めて持ったケータイは紺に近い深い青で、少しだけキラキラするような塗装がされていて、折りたたみ式で、液晶の裏側のボディの真ん中に大きなレンズが付いている。カメラを使うことはほとんどなかったから、いくつものケータイを経由して、現在のスマホのフォルダーの深層に残っている校舎で撮られた画像はたったの一枚で、久々に思い出したけれど、校舎の二階には自動販売機が設置されていて、その前には小さな丸テーブルがあって、男子二人が肘をつき、組み合った手を男性教師の両手が包み込んでいる。

ブログ「いらけれ」

 あの日と口に出せば大抵それは、俺とお前が一緒にいたあの日としてのあの日が立ち上がり、それまで脳のなかで座っていたことを確かめ合い、それから、そのあの日を肴にハイボールなどを飲むものが大人であると物の本には書かれているのであって、それは本物(モノホン)なのかもしれないと思った二人は二軒目に向かうだろう。
 そんで「生きのばし」だ。「死にたくなる朝といる」というのはよく分かる話で、今トリンテリックスがなくなったので、明日はまだ大丈夫だとしても、土曜日の朝が怖い。生きのばして、トリンテリックスというバンドを組んでやろう。当方ボーカルでメン募だ。
「あの日あの空拝めるのは あの日のボクらだけ」というのは不思議だ。普通であれば、"拝めた"としそうなものだ。"拝める"というのは、まだ拝んでいないということだから未来だ。でも、それを"あの日あの空"と言うことで、それが本当に、この先にあるみたいだ。言葉が伸びていって、その"あの日あの空"に触っているみたいだ。それなりに生きた人ならば一日ぐらいはあるだろう、幸福な"あの日"と"あの空"が、未来に用意されているみたいだ。だから私たちは、精々生きのびなければならない。

 人生に心療内科が戻り私は、これまでの怠惰な生活は、自堕落な私は、鬱状態だったのではないかと、そう疑うようになった。西洋医学バンザイで薬を飲んだら、この性格も治るのだろうか。だったら薬なんて、いくらでも飲んでしまえという気になっている。実際に人生にやる気が出て、ケーブルテレビでやっていた『ジョーズ』を見たら、思っていたのと全然違った。パニックパニックわー、かと思っていたのだが、前半一時間は"危機"と"専門家"と"経済"と"政治"の話だった。今観るべき映画感があった。あと、名作とされている作品はやっぱり面白いなあと思った。

 隣にいる人が倒れるかもしれないというリアリティで私が生きているのは、私が倒れるかもしれないというリアリティで生きているからだが、Zoomの向こうで倒れても、できるのはせいぜい救急車を呼ぼうとするぐらいで、そこで人は、相手の家の住所を知らないということに気がつく。
 とにかく、なにを言ったところで殴られないんだし、穴の開いた膝にアップリケがあってもバレないんだし、臭くても嫌われないんだし、ということは、目に映る顔に気をつかわなくてもよくなっているのだと、そういう事実に私たちは気がつかない。
 他人の雰囲気を窺うアンテナを張らなくてもいいというのは、他人に対する冷たさを持っていてもいいということだから、それが気楽なのは当たり前で、でも、向こう側で倒れたらなにもできないじゃないか(こちら側で倒れてもなにもしてもらえないじゃないか)と思う。言いたかったことは以上。

ブログ「いらけれ」

 その紙袋には、十年分の埃が積もっている。箪笥の上に手を伸ばし、さっさっと埃を払った私は、思ったよりも重いそれを落とさないようにと、少しだけ慎重になった。

 記憶されている高校時代の思い出は、すでに美化が終わっているから、あの頃にあった苦しみを思い出すことはできない。今から思い出せる苦痛にはリアリティがない。私が高校を卒業したのは二〇一〇年だから、今年で丁度十年だ。そのことに思い至ったのは、紙袋の中身を見たからだ。入っていたのは卒業アルバムと文集、色紙には先生たちからの寄せ書きがある。ついでに、三年間のすべての成績表が収められたファイルも入っていて、平均評定4.6という、とても優秀な生徒がそこにいる。その優秀さにもリアリティがない。できる側の人間だった当時の私は、今の私からは想像できない私だ。

ブログ「いらけれ」

こんにちは、後藤です。いつもお世話になっています、というのもおかしいけれど、こういうときの書き始め方が分からないから、こう始めてみます。

私の身に、なにか大きな問題が起こったということではありません。なので、心配はいりません(そもそも、誰もしていないとは思いますが)。むしろ、人生は好転しているとさえ言えそうです。新しい友だちができたし。生きていると良いことがあるものだ、そう思いながら眠りについたのは、長電話で更けた夜でした。

一方で、私の身になにか大きな問題が起こってしまったと言えなくもないのは、次の朝に目を覚ますと、ひどく気分が落ち込んでいたからです。とにかく頭が重い。身体が重い。なぜだか理由が分からないが、やる気が出ない。なにも考えられなくて、なにもしたくなくて、まんじりともせず布団で横になっていました。そうして世界は昼になって、夜になって……。

ただ楽しく生きる、それだけのことが一番難しいのが人生だから、こういうときも来るだろうという覚悟はできていました。まあ、パニック障害とともに暮らしている私ですから、悪いことがあれば沈み、良いことによって上がるという単純な仕組みではなく、身体と脳と心の複雑なつながりのなかで、上手くいかなくなることがあるのは理解していますよ。脳内物質め……と思ったところで、生まれつきの体質は変えられないしね。

残念ながら今の私には、なにかを考えることはできないようです。書きたいと思うことはあっても、書ける気がしない。転職しようにも求人がないことが関係しているのかもしれない。イベントに行けない、人に会えないという今の状況が、ボディーブローのように精神を削っているのかもしれない。とにかく、最近ちょっと頑張りすぎていたなというのはあって、こちらから人に声をかけたり、人前に立つ役割を引き受けたり……慣れないことばかりやるものではなかったな、と反省しています。

それで、新しく行ったクリニックで、初診なのに短い時間で、うつの手前だという私に、抗うつ薬と漢方が処方されたけど大丈夫なのかこれ、という疑念は拭い去ることはできませんが、全部飲み込んで、ふわふわする意識のなかで、これを書いています。ですから、文章がふわふわしているのは薬のせいで、文章力がないからではありませんよ。お間違いのないように。

薬が合えば戻ってくるでしょうし、合わなければセカンド・オピニオンでしょう。また、なにか書けそうだと思えば書くでしょう。更新したらツイートするので、ツイッターをフォローするのが良いかもしれません。あるいは、こんな日記のことは、もう忘れてしまうのが良いのかもしれません。読んでも、なにも良いことはありません。

なんちゃって、本当は見限らないで欲しい後藤さんは、エッセイと小説を公開しました。これで許してくれー、という思いを込めて。

最初の小説と、最後の〈小説〉についてのエッセイ

小説「ジーニアス」

5月6日には、東京流通センターの第一展示場で、パイプ椅子に座っているはずだったのになあ。中止になった文学フリマで、販売する予定だった同人誌に、掲載する予定だったエッセイと小説です。お読みいただければ、これをそのまま売るわけにはいかなくなった理由が分かるでしょう。なので無料公開です。

次の文フリは11月ですが……予定は未定だとだけお伝えしておきます。いつだって人生は分からないものです。皆さまも、体調を崩されないよう、くれぐれもご自愛ください。私はここで一回休み、一回り大きな未来を作るための時間にします。