ブログ「いらけれ」

ナボコフの書いた『変身』の余白のスケッチは「nabokov kafka metamorphosis」で画像検索すれば、見ることができる。

サイトをつくるのだって、ブログの移転だって、やりたいと思ったら数日以内にやってきた。私は、自分のやりたいと思ったことを、それが他人に影響されない範囲でならば、実現することが出来るのだ。一人喋りをやりたいと思っている今、それは数日以内に始められるのかもしれない。

米国のイラン核合意離脱のニュースに、「ガソリンの値段が上がる」とコメントしている人を見た。卑俗な人々のことを考える。

【音声配信】野党の要求に適切な答弁や証拠が出てこない限り“国会異常化”は続く▼2018年5月8日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)

政治的な立場を越えて、おかしいことはおかしい。直接的に利益を得る立場ではないのに、どれだけ無茶苦茶やってても 、それを応援してしまう人々のことを考える。そういう人々のことを。

これの驚きポイントを解説しよう。この局面は、お互いに守らず、飛車の先の歩を突いていくとなるもので、初心者が真っ先に習う局面である(結論は先手がダメ)。

そしてその局面に、プロを遥かに凌駕するといわれているレベルの超強い将棋ソフトが突入してしまったというものなのである。そして、右側のグラフ(評価値グラフ。対戦しているソフトは、その局面の有利不利を判断し、点数を付ける。それを連ねて、グラフ化したもの)が下側に伸びていることからも分かるように、すぐに後手が優勢になる(その後、差が詰まったらしいが、後手勝ち)。(もしかしたら、私のパソコンのスペックが低いからかもしれないし、ダウンロードしていじっていないが、ソフトの設定の問題かもしれない。念のため。)

明日こそは書こうと思っていることばかりだ。「洪申豪選詩集」のこと、sjwについて、The Undisputed Eraのサイズ、コメント文学とは何か……。気が向いたら書くよ、いつかね。


EELS – Be Hurt (AUDIO) – from THE DECONSTRUCTION

ブログ「いらけれ」


TWICE “What is Love?” M/V

このMVについて、その映画のパロディの元ネタを書いた記事や、紹介した動画はたくさんある。でも、僕が知りたいのはそういうことじゃなかった。

例えば、途中に出てくる「Na Dub Chaeng」のパートについて、いくらでも語るポイントがあると思うのだけれど(「あそこの曲のテロップMカですよね?」みたいな話でもいいし、あるいは、あれのコンセプトの元ネタを考えてもいい)、日本語での言及がほとんどない。検索して出てきたのは、「Na Dub Cheang」と綴りを間違えている掲示板の書き込み二つと、カタカナで「ナトゥブチェン」と表記されたツイート一つのみだ。あれだけ明示的に映っているのに!

加えていうならば、元ネタの映画を明らかにする前に、考えるべきことがあるのではないか?過去のMVを思い返してみれば、「Like OOH-AHH」はゾンビもの(もちろんそのイメージの起源にはロメロの映画がある)、「SIGNAL」はシャマラン的世界(大和田俊之先生のツイート)、「TT -Japanese ver.-」はドライブインシアターだ。なにより「CHEER UP」では、同じように映画を題材にしていて、ミナは『Love Letter』をイメージしたキャラクターに扮しているのではないかと言われている(「映画泥棒」?も登場する韓国で2016年一番流行った「今年の歌」MV 「シャー、シャー、シャー」って何?)。「What is Love?」でジヒョとジョンヨンが演じているのも、言わずもがな『Love Letter』である。

TWICEのMVにおいて、なぜこれだけ映画的イメージが参照され続けているのか。これは驚くべきことだし(だって同じパロディやってんのよ?)、興味深い現象でしょう。誰かが批評すべきではないだろうか(もうしている人がいたらごめんなさい、読みたいのでぜひ教えてください)。

先日書いた「音楽とか言葉とか発音について」でも同じことを言いたかった。「何で誰もやらないの?/何で誰もやらせないの?」ということを。同じアイドルのMVに何度も映画のパロディが出てくるのはおかしいし、アメリカで活躍する日本人プロレスラーの入場曲に被せられる日本語が変なのもおかしい。おかしい、というのは馬鹿にしているということではなくて、僕の中の探偵が騒ぎ出すということだ、ここにはカルチャーを考える上で重要な何かがあると。

僕が雑誌の、あるいはウェブマガジンの編集者だったら、大和田先生には、TWICEだけではなく広くK-POPを対象とした文章を書いてもらうだろう。「Shadows of a Setting Sun」を見せて(柴那典さんや磯部涼さん、サイプレス上野さんに見てもらうのも面白いだろう)、感想をもらうだろう。または、自分で考えて書いたっていい、場所さえもらえるのならば。

でも現実は、僕は、編集者でもライターでもないから、お金にならないから、できない。

悲しいなあと思った。

ブログ「いらけれ」

ブログ「いらいらしている、けれどやさしい」を移設しました。

まとめた方が見やすいし、いいだろうと思って。ただ、ドメインとサーバーにお金が払えるか分からないので、もしここがなくなったら、JUGEMに戻るかもしれませんが。

移設自体はそんなに手間ではなかったのだけれど、改行のズレだったり、リンクだったり、urlだったり、記事一つ一つをチェックして手直ししなければならなかったので、大変だった。あと、サイトのレイアウトを、コラムとブログを分けるためにいじったりしたので、チマチマ三日くらいかかって、今日やっと終わりました。

手直ししながら、久しぶりに記事を全部読んで、つまらないというか、なんでこんなこと書いてんだろうってものも多かったけれど、すっかり忘れていたが、いいこと書いてるなあ~と自画自賛したくなるものもあった(その時点で面白いと思って書いていたのだから、読み返して面白いと感じるのは普通だ)。

また(自分にとって)面白いものを書けるように、それを未来読み返せるように残していこうと思う。頑張って。

ブログ「いらけれ」

先日ここに書いたものが、読み返してみたところ日記じゃなかったので、自分のサイトに移動した(「音楽とか言葉とか発音について」)。書き始めた時は、もっと日記日記したものを書くつもりだったのだが、いつの間にか日記じゃなくなっていた。はじめからあちらに置けばよかったなあなどと、どうでもいいことを考えている。

どうでもいいことといえば、あれを書いているときに着ていたTシャツに英字が書かれていて、書いている途中にそのことに気付いて、そのことをオチにしようかとも考えた。それはまあ、あんまり面白くないと思ったから止めた。ちなみに書かれていたのは、「Sooner or later in life」から始まるプリーモ・レーヴィの『これが人間か』の一節だ(もちろん、”s””o””o”……と、一文字一文字慎重に打ち込んで、グーグルで検索するまで知らなかったことだ)。

より日記らしく書くならば、あるジャーナリストのツイートから考えたことがあるのだが、記事にしようかなーどうしようかな。でも、誰からも必要とされていないからなー、しかし、必要とされているから書くのではなく、書くから必要とされるのであり、必要とされるように書くべきだ、という当たり前のことは知っている。もっと詩的というか、エッセイ的な題材もある。それはアイドルを見ながら思いついたことだが、まあそれも、やる気が起きないので書けない。

羽生竜王の行った講演が記事になっていて、それを読んだ(「羽生竜王の金言、「結果と一致しないことに物事の機微は潜んでいる」」)。曰く

ただ、重圧を感じている時も悪い状態ではない。最悪なのはやる気のない状態。

僕は最悪だ。