ブログ「いらけれ」

「矢野利裕のEdutainment」を、久しぶりに覗く。
矢野利裕さんは、『SMAPは終わらない』『ジャニ研!』も読んでいるが、最初に知ったのは佐々木敦著の『未知との遭遇』の書評だ(と書いて、また読み返してしまう)。
どれも面白く読んでて、それで「1991年と小室哲哉のコンプレックス――LL教室の試験に出ない90年代J-POP[1991年編]に向けて」の、本筋とは関係ない「「プロレス」的フィクションが受け入れられなくなった時代」という記述について、そういう流れがあったのは確かなのだろうが、しかし、アメリカのプロレスの黄金期はその後(1991年以降)に来た(WWE-Wikipediaによれば「Monday night warsが繰り広げられた1990年代後半は全米で空前のプロレスブームが起きた。」)ことを、そしてそれが「アティテュード路線」という過激さを売りにしたものだったことをどう考えればいいのだろう、などと考えていた。どうやら僕が書くべきことは、この日本に、まだあるらしい。
そんなことは置いておいて、やっぱり「矢野利裕さんには一度お話を伺ってみたいなあ」と、「ポエジーをいかに獲得するか――文化系トークラジオLife「超絶! ポエム化社会」感想戦」とか、ブログを遡って読んで思うのだった。

「羽生善治竜王とは何者なのか? 10人の縁深い棋士たちに聞く」
一般的にプロとは何か、と問うことに何の意味があるのか。ただただ僕は、将棋のプロが好きだ。「プロならば批判されて当然だ」という人がいる。じゃあ、お前の中継や放送されない仕事は、”どんなもん”なのか。お前は何のプロなのだ。お前はその仕事でミスしないのか。など、その仕事をなじりたい。というのとはまた別に、将棋のプロが好きなのである。将棋のプロの、その滲み出る人間らしさが好きだ。行方尚史八段のコメントに打たれてしまう。その人となりを、少なからず知ってしまっているがゆえに!

現代の将棋において、最序盤で、右側にいる飛車を左側に移動して戦う戦法「振り飛車」の旗色が悪くなり(とはいえ、振り飛車戦法には利点もあり、言うまでもなく実戦においては有力であり、タイトル戦の勝負でも度々登場している)、居飛車の方が優秀とされることが多くなった理由の一つは、プロを凌駕する強さを持つ将棋ソフトたちの、振り飛車に対する評価が低いことだ。インターネット上では「不利飛車」と揶揄されることも多い振り飛車を専門に指す将棋ソフト「Honey Waffle」は、第28回世界コンピュータ将棋選手権の決勝リーグに残った(結果は最下位の8位、しかし、決勝に進出すること自体がすごい)強豪ソフトである。
今は素晴らしい時代で、開発者の方々が、手塩にかけて強くしたソフトたちを無償で公開してくれており、ダウンロードして、対戦したり将棋の検討に利用したり出来る。「Honey Waffle」も公開されている、先日それを知った私が、早速ダウンロードしたことは以前書いたから皆知ってると思うけど(えっ)、早速手元にあった通称たぬき(正式名称「the end of genesis T.N.K.evolution turbo type D」)と戦わせたところ、三戦して(ハニワ側から見て)二勝一敗と勝ち越した。で、ソフト先生の強さが異次元過ぎて&対戦相手もソフトだと序盤が独特過ぎて、参考にならないことを知った(あと、若干端攻めを軽視する傾向にあるように思った)。僕が、振り飛車党に戻る日は、まだ遠そうだ……。

もちろん歴史が示すように、人間は邪悪で、それは「現在進行形の歴史」でも繰り返されている。

「納豆好き?」という話が流れてくるイヤホンを耳に挿し、市役所近くの道を歩いていると、路肩の植え込みの花を見ているおじいさんを、団地の駐車場に止まっている黒い大きな車の運転席から出てきた、黒のスウェットパンツ、腕にプリントの入ったダボっとした白いパーカー、色の薄い大きいレンズのサングラスという、ドンキホーテの駐車場で採集できそうな出で立ちの、おばあさんが呼ぶ。病院に行って、帰りにもう一度市役所の近くを通ったけれど、もう駐車場に車はなかった。

今週の「東京ポッド許可局」でプチ鹿島氏が推薦していた書籍『罪の声』を書いた塩田武士氏の姉の塩田えみ氏がアシスタントしているラジオ番組のパーソナリティーの桂春蝶氏が毎月出演している「渋谷らくご」をキュレーションしているサンキュータツオ氏も「東京ポッド許可局」のパーソナリティーである。ただ、そうだということである。スモール・ワールド現象について言及したいわけでは断じてない。ここから何を読み取るも、あなた次第である。