分かること(分かった気になること)より、ただ読むことの方が難しい。
もう面白いのかどうかも気にせず、はじめは面白いと思って読み始めた、保坂和志のホームで試行錯誤に漂うをずっと読んでいる。「面白いのか」と問われたら、「分からないが読める」と言う。
心を別の階層に置いて、世界や社会や現実を、その作品の中に見出すことは簡単だ。作品ではなく、現実を見ているのであって、さらにいえば自説の強化、あるいは主張の為に作品を使っている。
そう読めるからそう読む。それは、面白がるために、簡単な退屈しのぎに向かわない意思によってなる。
ただ観たり、ただ聴いたり、ただ読むことで、初めて考えるきっかけになると、そう思っている。