ブログ「いらけれ」

知らん内に一日が終わっている。知らん内に夏が終わっていく気配だ。一生も、目にも留まらぬ早さで終わってしまうのだろう。学生の頃、バイト先でお世話になっていた同僚のおじさんが亡くなったと聞いた。とても驚くけれど、世界がそのようなものであることは自明で、驚いてもいられない。

(読解力が無くて、誤解力有り余る人々の前に、書いたものを差し出す恐ろしさ【を感じているに違いない。特に、予備知識のいる話を、誰でも読めるところに置かなければならなくなった専門家は】。そして、誤読した人々が、的外れなことを書く恐ろしさ。さらに、その頓珍漢な文章を取り違えて……という恐ろしさ。そんな人々の無遠慮な活動に、日々恐怖している。)

今のインターネットは、言葉があふれ始めた頃の、かつてのインターネットの良いところを取り出して、悪いところを煮詰めたようなインターネットになっているわけだけれども、しかし、この空間が"公道"に近づいて、そこでスピードが出せるようにテクノロジーが進化すれば、あおり運転をしたり、スピード違反を繰り返したりするような輩が登場することなんて、容易に予測できたはずだ。それなのに、まだ年端もいかない子どもたちまで、何の免許もなしに参入できるような設計のままなのだから、問題が起こらないわけがない。こんなところで何か言ったとて、詮無いことだが。

とても最近に、「僕は馬鹿だな」と思ったことだけを覚えていて、でも、そんなことを思ってばかりだから、何が原因でそう思ったのか忘れた。すでに夜だった。ラジオの録音を聞きながら歩いていた。台風は過ぎ去ったけれど、強い風が吹いていた。いつもとルートを変えて、住宅街の中を通っていたのだが、怪しい風体の男は、泥棒にでも勘違いされそうだ。建ち並ぶ家々は、それぞれに個性的で面白い。軒下から垂れている小さな箱型の金属が連なった「何か」が目に入った。それなりに生きてきたから、それを見かけたことはあったけれど、気にしたことはなかったから、名前も用途も分からない(ちなみに、「軒下 垂れている」で検索したところ、「鎖樋」などと呼ばれる雨樋の一種であることが分かった)。「よく見ると面白い形だなあ」なんて不用意に顔を近づけたら、それと同じ茶色をしたカマキリが、一生懸命よじ登っているのに気づいて、「うおっ」と驚いた。なんだこの思い出。

そして、玉虫色の虫が樹液を吸っているが、僕たちは戦わなければならない。過去に学んでいる時間はない、なぜなら、今がすでに、学ぶべき過去と同じ時代だからだ。これからも常に、一人で頑張らなければならない、孤独に。