ブログ「いらけれ」

夕暮れ、深夜、夜明けは、それであるだけでマジカルで何か力があるから、それは別の時間帯とは比べられない、だから、馬鹿みたいな言葉で言うならすごい。
そして夜は個人的な性質が強い、個をくっきりさせる、それは夜はみんなと遊ぶものだと思っている人にとっても、夜に働く人にとってもそうだと思う。
静けさが、暗さがそうさせるのか、学校的な時間の経験がそうさせるのか。僕の単なる思い込みでもいい。

人を人たらしめるものがあると思っているとか、親しみを感じるという理由なのか夜を書いた。

でもこれを書いたのは朝だった。

ブログ「いらけれ」

※個人の感想です。

特定のジャンルについて詳しいマニアな人の文化度が低い時がある。
「文化度」は個人語みたいなものなのなので、ニュアンスさえ伝われば。

マニア度が高いことはすごい。しかし、あるジャンルそれにだけ詳しい人は面白くない。

文化度が高い人がなぜ高くなったのか分からない、それは単純な知識ではないから。
生まれつきだとは思いたくないが、生まれつきなのかもしれない。

開かれた態度だと思うが、どうやって開けばよいのか。そもそも開かれた態度とはどういう状態なのか。

比喩にも近い。言い換える頭の使い方。でも、それをそれとしてとらえることも大事だけど。

ブログ「いらけれ」

夜に生きるものとしての自負があるから、夜に起きていてもいいと思いがちで、しかし、どこか罪悪感があるから寝ようとするけれど寝れない。ネットに繋がってから余計深刻になった、というか余計に寝なくなった。

様々な思いと事情で暗い中、モニターは、でも別に変わらないようにも思えるが、写るものを魅力的に見せる何かでもある。覚えたもの、好きなものの多くはそこで触れた。

「夜に書いたラブレター、朝になると恥ずかしい」ってよく言うけれど、僕はその恥ずかしいってされているものの方が好きだし、そっちこそ見たいって思う。だって、繕ってないもののその夢中感、面白いに決まっている。

ブログ「いらけれ」

自分が望むことと他人を一緒くたにしてしまう。

他人は自分ではないのだから、他人には他人の望むことがあるのに、それを忘れて、欲望は他人も自分と同じであると考える。
それから、他人が自分と違う欲望を持っていると知ると、その他人を馬鹿だと思う、馬鹿にしてしまう。

欲望を切り分けるべきなのは当たり前だが、しかし、やり方もやらせ方もないからよく間違っている、自分も他人も。