ブログ「いらけれ」

ただただ傍から見ていて、いい仕事してるのに報われてないなぁなどと勝手に思うことがある。特に音楽で多い。

私は大学生のころ、時間つぶしに図書館にいって、独りで文芸誌とか読むという悲しい青春を過ごしていた。そして、載ってる駄作を読んで、苦笑いをしたりしていた。
なぜこんなことになるのか……。

私は、なぜか上の立場から「消費者/需要者が馬鹿だから」などとは決していわない。それが、それこそ馬鹿らしいことを知っているから。もう、ある種の仕組みなのでしょうから。

そういうものだと思えば、しょうがないと諦められるようになって、精神にとって良い。生きるこつだ。

ブログ「いらけれ」

A太郎さんの古典よかった。落語初心者の身で言うのもなんだけど、うまいなと思った。またみたい。
志ら乃師匠、まくらも噺も面白い。それは、志ら乃師匠が魅力的だからだと思う。ずっとみていたい。ひとりらくごで一時間やってくれないかなぁ。
奈々福さんはもう安定のクオリティ。何回観たか、はずれなし。素晴らしい声と節回し。音楽としても最高。

で、桃太郎師匠なのですが。面白すぎた。笑い、息が苦しかった。繰り返し同じことを言っているだけなのに、あるいは、ただの駄洒落なのになんでこんなに笑ってしまうのか。
お笑いとか一応それなりに抑えてきて、賞レースに熱くなったり、ラーメンズにはまったりしてきて、その流れで落語も楽しめていると思っていたのだけれど、そういったものとは別のもので、かつ、とんでもなく面白いものを目撃した。という衝撃。おもしろの極北。

という感想。

ブログ「いらけれ」

私の好きな小説を書く小説家が、よく小説についてホーリズム的なことを言うんですが。(ホーリズム – Wikipedia)

こういうの、芸術家にとってはありがたい考え方だと思うんすけど、どうかなあ~と思う自分もいて。

切っていくような分析的な視点では捉えられないものがある、それを大半の批評家は分かってない。……これ、オカルトじゃんっていう。
だから、なんていうか言ってることに納得?共感?あるいは説得されつつも、騙されてんじゃないかとも思うんです。

もし、受け手側が「分析できない、けれど良い」と自発的に言いたくなるようなものが作れたら、それが最高なのかなあって思ったり。

とにかく、全体と細部の関係についてはまだ考える余地が少なからずある、なので、簡単に言いきらずに/言い切る言説に満足せずに、考え続けていきたいっす。

ブログ「いらけれ」

スポーツの、とりわけサッカーについてのコラムをよく読みます。それは、ひとつのスポーツを極めたことがない者が、スポーツを見る、スポーツ観戦を楽しむ手引きになるからです。

僕の中で、スポーツコラムといえば木村浩嗣さんの名コラム「誘惑と憂鬱のスペインサッカー」です……ってページ削除されてる!!ぎゃー!!紹介したかったのに!!!!

サッカーは「戦術」の果たす役割が大きく、それによって自チームの選手を活かす、相手チームの選手を殺すなんてことが行われているんですが、ただ見ているだけでは分からないですよね。僕がそうした「戦術」を読み解く面白さを教えてもらったのがこのコラムでした。

また、少年チームを指導している実体験から戦術論、チームマネジメント論や、教育論、スペインの生活、めんどうな親(笑)などが語られて、とっても面白かったんです。

何よりも書き手である木村浩嗣さんの魅力というか、なんというか、それが素晴らしくて。サッカーのコラムでありながら、
それに伴って、それにとどまらず、人の暮らし、人生が書かれているんですよ。そして、愛があふれている文章!!

木村さんは、のちに雑誌footballista編集長になり、巻頭言をまとめた『フットボリスタ主義』という本を出されています。もちろん読んでます。みんなも読んでくれと思います。名著です。ほんとに。出版時にあまり話題にならなかったのがおかしい。もっと売れなきゃおかしい。第2弾を出してくれ。……取り乱しました。

ともかく、本が素晴らしいのは間違いないので、皆さまもよろしければ読んでくださいまし。