fatal

書き難いことを書く。それが練習になる。ジャンプジャンプしないと、ジャンプ力はつかない。文章でジャンプする、ジャンプするような文章を。いつかすごいとこまで飛びたい。ってこれじゃあ、今まで通りじゃん。

エモやんの解説聞くと、ありえなくてビックリする(エモやんキャンセラーが欲しい)。なぜサッカーの(地上波以外の)解説のように、野球を解説する言語が更新/論者が刷新されないのかというのは、本当に問題だ。
エモやんのするメジャー批判のようなものはハリー張本(そんな名前ではない笑)もするけど、それは、データに基づかない印象批評以下の何かだが、そういう話(日本の野球のレベルが高く、メジャーは低い)を聞きたい人ってのがいてね。願望を聞きたいのよ。「オンブレとロボ」でも書いたけど。
もし、データや事実ではなく、願望に基づいた言説の方がいい、そういうものが聞きたいって人がマジョリティになったらどうしよう、どうなるだろう、心配だ……というか、既に時代はそうなっている気もして、絶望するって感じもある。

僕は運命の人なんていないと思っている。東京ポッド許可局の「運論」で、マキタスポーツさんが、モテている人はチャレンジしている、打席数が多いという話をしていた。それはそうなのだろう。
僕は運命の人なんていないと思っている。打席にはしかし、満塁で回ってくるものもあれば、消化試合の打席もある。あなたがお金をかけなくても、この世界のどこかでルーレットはどこかで回っている。そこでも赤か黒が出ている。あなたはルーレット場に入り、その出目を見る。赤黒赤赤黒赤赤。あなたはベットを決意した。瞬間、次の一回の赤か黒かが、あなたにとって、突然全く違ったものになるだろう。
僕は運命の人なんていないと思っている。誰への告白の成功が満塁ホームランで、消化試合のホームランなのか、もちろん分からない。そして、これはややまやかしのようだが、ホームランを満塁にするのも、消化試合にするのも、あなたと相手次第であって、恋愛や結婚は野球ではない。
僕は運命の人なんていないと思っている。話が、言いたかったことから大幅に逸れてしまった。僕が言いたかったこと、それは、同じような試行の中にも重みが違うものがある、ということだ。重要な一回も、どうでもいい一回もあり、しかし、それは同じ確率や偶然、運のようなものに統べられている。
僕は運命の人なんていないと思っている。でも、運命はある。それはそれはしょうもない偶然の下に。

喋りが上手くなってる気がする(「ボイスメモを公開する。」)。いや、前々から上手かった、それなりに。でも、乗れないというか、ゾーンに入れないというか、そういう感じだったんだけど、最近は集中できるようになって、で、集中できると脳内に何か物質が出るような感じがあって、それで、色んな話題が出てくる。
大事なのは、そのトランス状態を目指すことではない。とにかく喋りたいことを喋ろうと一生懸命することで、その本気が、自分を別の状態にする。そして、その状態に入れたら、客観的に、冷静になったりせずに、とにかく心のままに踊ること!
とか、言ってみたりして。まあなんだ、ポッドキャストを聞いてくれだ。

近づいたり離れたりする男は「なんで短期間で大幅に痩せることって激ヤセっていうんだろう」と考えていた。「激」は、『大辞林 第三版』の「激」の項目によれば、

( 接頭 )
(形容詞の語幹の上に付いて)程度や勢いのはげしさ・強さが普通ではない意を示す。 「 -辛から」 「 -安」

ということだ。激ヤセが定着する経緯には、激安の語感も影響しているだろう。
スマートフォンで検索していたこの間も、男は、近づいたり離れたりしていた。


この一手(▲5一飛打)って、すごい「次の一手」っぽいと思った。この局面で、家のApery(ぼろパソコンですが)では、30秒読ませてやっと発見する。それまで他の手(▲5三歩打、▲7二飛成)で評価値1000行かなかったのが、この一手を見つけると1500を超える。で、それを指したのが、この俺(自慢)。この数手前から、この飛車捨ての筋は見えてて、時間もなく、思い切って指した(読み切れてはいなかった)。対局後に検討してみても、悪い手じゃなかったみたいでホッとしたよ。あ、あとこの後ですが……負けましたっていうと、オチが付いていいんだけど、普通に勝った。現実は物語ではない。