ブログ「いらけれ」

それまで使っていた蓋付きのコップがかび臭くなってきたから、楽天チェックというアプリでポイントを貯めるためにイオンまで行ったついでに、二階の100円ショップに寄ろうと思ったものの、まだ10時の5分前だったからエスカレーターが動いてなくて、待ってもよかったのだが、家の方面に戻って、西友の100円ショップに行った。それまでのものより、かなり小さい蓋付きコップしかなくて不満。なぜか、リアルなタッチの猫が描かれている。他には、落花生に甘い衣がかけられた落下糖や、レンジでチンすれば繰り返し使えるという乾燥剤を買った。これらは、ミックスナッツのパートナーとなる商品だ。だが僕は、この買い物の少し前に、もうナッツにお金をかけるのを止めようと決意したはずだった。その分を書籍やCD代、映画やライブを見に行く資金に回すはずだった。ナッツ類を食べていたのは、他の間食よりもマシという理由からだった。しかし、行っていたはずのダイエットは、もうどこかに行ってしまっていて、順調に太っている。おそらく、日に一掴み食べる分には、カロリー的に問題ないのだろうが、僕は7掴みほど食べてしまっているから、痩せるわけがない。分かっていても本能はナッツを求め、僕は着々と、ナッツを買うための準備を進めていたのだ。だから、令和記念ということで、1kgのナッツがセールで1000円引きされていたのを見て、飛びついてしまった。auの2年契約を更新した際にもらったギフト券が2枚、2000円分残っていたのを使ってしまった。僕はそれを、文化に投資すべきだった。投資といえば、5月になったから、また新しく楽天ポイントを使って、投資信託を買った。650円分。楽天市場で買い物したときのポイント倍率を上げるために。そしてまた、貯めたポイントを使って、投信を買うのだろう。それでどうなるのか、儲かるのか、いつ売るのかといったことは、ぜんぜん考えていない。これは驚くべきことで、僕は、ポイントなんてあぶく銭だと思いながら、それを必死に貯めているということだ。『名探偵コナンと平成』を、ポイント最大のタイミングで買うために、まだ我慢しているというのに、そこでもらったポイントは、全部なくなっても構わないと思っている。僕は馬鹿だな。

馬鹿は夜の公園に行った。風のある日の、夜の公園は気持ちいい。夜に公園に行ったのは、本当に気まぐれだ。特に深い意味はなかったけれど、闇夜にたなびく鯉のぼりはとてもかっこよくて、思わず写真に収めてしまった。鯉のぼりは、もうすぐ5月になることを、僕に知らせていた。そして、5月になったけれど、まだ4月のカレンダーを破っていないし、部屋の掃除もしていない。ゴールデンウィークになってよかったことといえば、『東京ポッド許可局』のアーカイブが公開されていたことぐらいだ。僕は、すべて聞いたことがあったけれど、もう一度、速攻で聞いた。もちろん、それが話されていた頃とは、時代も元号も変わっているし、こうして日記を書くようになったことで、僕自身の感じ方にも、少し変化があった。僕が、このような日記を書き始めたのは2018年の5月だから、もう一年になる。なるみたいだ。ふと、サイトにある「月を選択」というボタンを押してみたら、2018年の5月から投稿数が増えているから、そうみたいだ。「どんなの書いてたっけ」と、色々と読み返してみたら、我ながら面白くって参った。昔の方が頑張ってたじゃん。面白い自分に、それを広められなかった自分が申し訳なくて、悲しくなった。そして僕は、文章が上達することもなく、ただただつまらないことを書くようになってしまったようだ。そのことが残念でならない。なので当然、終わるべきだってことを分かっていながら、続けていくつもりの僕が、僕は好きだ。ここまで迷っている姿を、これほどまでにさらけ出すことは、なかなかできないことなのだから。やっぱり「さよなら」は、もう少し先に取っておこうと思う。

もしお前が思いついたなら
早く俺に伝えて欲しい
生活の答えを

洪申豪「生活的答案」

ブログ「いらけれ」


洪申豪(透明雜誌) – 生活的答案 / TOKYO ACOUSTIC SESSION

俺は自分に問いかけるんだ
こんな感じで生活の答えを歌えるのかい?

こっちの家に引っ越してきて何年になるか、しっかりと考えれば答えが出るだろう。いつからか、そいつはリビングに居た。昔のことで、はっきりとは思い出せないけれど、気が付いたときには居た。観葉植物だ。

種類も忘れてしまった、"なんとかの木"だ。大きな鉢のなかの土から、すっくりと伸びたそいつは、天井にタッチしていた。日常のなかに溶け込んで、ときどき葉っぱがテレビの画面に被さって、面倒に思いながら手で避けたりしていた。

小学生だった僕も、このように大きくなった。あらゆる偶然のおかげで、ありがたいことだ。緑だったはずの葉っぱは、いつからか黄色味をおびるようになった。病気だったのかもしれないが、そのことについて、家にいる誰も調べることはなかった。そいつのことを助けようとしなかった。ただ、薄黄緑の植物の栄養剤が根元に刺さっていた。僕は、そちらの方が気になっていたぐらいだ。あれ、飲んだら死ぬかな。

木って面白いなあと思ったのは、腐ってきたからと、ばっさり根元の近くで幹を切ったら、少し復活したからだ。その姿で、数年は置いておかれていたのではないか。切った面から葉っぱが出てきて、少し不思議な形になった。興味深く見つめたのは一瞬で、あとは、暮らしの背景になった。そしてまた、元気がなくなっていった。

そいつは廃棄された。もう先がないと判断されたからだ。空いたスペースには、今は何も置かれていないが、寂しいと思うことも、悲しいと思うこともない。ただ、それまでと同じように毎日が続いている。僕は今更、部屋に小さな観葉植物でも置いて、小さな魚でも飼ってみようかという気持ちになっている。それらは、僕と同じように生きていながら、部屋を飾るためだけに、気まぐれに置かれるのだとしたら、結構な悲劇だ。水やるのを忘れたり、エサやるのを忘れたり、絶対するぞ。

僕はふと、あの観葉植物だと思った。この日記が、あの観葉植物のようになってきているのだと、そう思った。いつの間にか背が伸びて、もうなんだか邪魔だ。そして、葉っぱが黄色くなっている。あいつのために、ちゃんと植物のことを調べて、幹を切る以上の手を打ったら、助けられていただろうか。一時は生き延びたとしても、すべてのものには寿命があり、いつか捨てざるを得なかっただろう。

この日記は、いつ捨てればいいのだろうか?

ブログ「いらけれ」

本を読むことができない。借りた本を、一週間一ページも読むことができなかった。僕には未来がないと思う。それなのに、矢野利裕さんの『コミックソングがJ-POPを作った』を買ってしまった。土日を挟んでしまったから、まだ届いていないけど。働かないで、好きなことだけやれたらいいのにと思う。あと、さやわかさんの『名探偵コナンと平成』は、来月買おうと思っている。なぜかというと、楽天ブックスで千円以上買うと、その月の楽天市場のすべての買い物で、ポイントが0.5倍になるからだ。しかし別に、他に買う予定のものがあるわけではない。もし、突然欲しいものが出てきたらと、余計な心配をしている。貧乏人は、何も買わないほうがいいと思う。いや、とにかく僕は、文化に身をやつすべきなのだ。だから、本を買ったこと、本を買おうと思っていることは完璧に正しい。それが破滅に向かう道だとしても、何も心配する必要はない。誰の進む道も、待っているのは破滅でしかない。天国にも地獄にも、金も物も知識も持っていけないのだから。そういえば、『小説家の饒舌』の前田司郎さんの回で、『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』という小説の話をしていて、人類が生まれたころから地獄はあったはずなのに、「釜茹で地獄」というものがあるということは、人間の文化が地獄に下りていっているはずだから、今ではネットでチマチマ悪口書かれるような地獄があるはずだ、というようなことを言っていて、そういう視点って面白いなあと思った。これは引用に当たるのだろうか。どうでもいいが、いずれにせよ僕の耳は、休むことがない。このような情報ではない、情報では決してない、ある種の知識と発想とエピソードが混ぜ合わされた何かを、常に摂取しようとしているから、イヤホンが刺さっていないことがない。僕が、物知りだって言われることが多いのは、たゆまぬ努力のおかげではなく、つまりインストゥルメンタルではなくコンサマトリーに(久しぶりにこの言葉を聞いたのだって、僕が『文化系トークラジオLife』の4月の予告編をチェックしたからだ)、ただただ、ラジオやポッドキャストを楽しんできたからだ。聴覚刺激のジャンキーなのだ。音楽だってよく聞く/効く。さて、ここで一曲。

TWICE “FANCY" M/V
このMVを見て、ヴェイパーウェイヴに言及する人がほとんどいないのは、どうしてなんだぜ。これがヴェイパーウェイヴを意識したものでなければ、全員でダンスしている後ろの映像にノイズをかける必要も、ダサすぎるCGを使うわけもないと思うのだが。英語で検索すれば、ちらほらとツイートを見つけることができたけど、日本語で言及しているのは、僕以外には1人だけだった。曲の方は、評判が芳しくないようだが、僕も初めは微妙だなと思っていたものの、作曲家を調べて、ブラック・アイド・ピルスンが作っていると知ったからか、今では結構好きだ。ぜひ、一度聞いて終わりにするのではなくて、リピート再生しながら作業してほしい。僕は、これを流しっぱなしにしてブログを書いていたら、とても進んだ。つまり、空虚なのだなと思う。そこが素晴らしくて、また、それはやはり、ヴェイパーウェイヴと通じる感性なのではないだろうか。

ブログ「いらけれ」

これから始まるべたべたとした文章、スティッキーなプローズ。僕は廻田図書館を後にした。入ったときにロビーで行われていた選挙の何かは、出るときには終わっていた。まさか、あんなところで開票するわけはないだろうが、何だったのだろうか。そこで僕は、主に文学や社会学、哲学の棚の前にいた。近くのテーブルでは若い女性が、勉強なのか仕事なのか、何かの処理にずっと手を動かしていた。そして、はっきりと文学の本の背表紙に、背を向けていた。とても象徴的だと思った。そのときの僕はまだ見ていないが、株の勉強のために見た初心者向け解説動画のなかで講師は、50万円の資金で取引を行っているという視聴者からの質問に、50万円なんてすぐ溶ける、50万円ぐらいなら溶けても容易に稼げるのだから、まずは1000万円にしろ、1000万円になればかなり安定すると話していた。セグメンテーションである。同じ地球で生きているように見えるが、僕らは個別に、平行世界を生きているのだ。例えばあなたは、ピューディパイを知っているのか、ということである。僕は、この世界一のユーチューバー(だった?詳しい事情は分からない)の名前を、最近知った。僕は、それなりに文化というものに目を向けているつもりだったが、『アフター6ジャンクション』に出演していたケイン・コスギが、「ストリーマー」として紹介されていて、もちろんその言葉も知らなくて、それを調べるなかで、やっと彼に辿り着いたのだった。これは、世界が分断されているというような単純な話ではない。これは、僕自身が望んで選んだ分断なのだ。自分で選んだサイトだけ見て、自分で選んだアカウントだけフォローしているから、その外側にある文化の情報は入ってこない。そして、このようにしてインターネット環境を構成している内に、自分の好きなもの以外の情報が表示されていても、目に入ってこないように、スルーしてしまうようになっているのだろう。道に軟球が落ちている。それも、何球も落ちている。なんだろう。それなりに通行量のある道で、危ないと思ったので、縁石の向こうの浄水場の柵の方に避けておく。顔を逆に向ければ、大きなグラウンドがある。そうか、中学校が隣にあるのか。しかし、フェンスはとても大きい。軟球は硬球よりも飛ばないということは、野球経験者にとっての常識だが、そんなことは多くの人が知らない。スタープレイヤーにはときどき、学生時代の打球の飛距離がけた違いで、もともと設置されているフェンスを越えてしまうため、特別な防球ネットが用意されたというような逸話が残っている。もしかしたらここで、未来のスターがけた違いのホームランを打ったのかもしれない。すべては空想に過ぎないが、とても美しい放物線が、僕には見えた。