ブログ「いらけれ」

文章は、僕が書こうと思わなければ書けないが、かといって、書こうと思えば書けるというものでもない。始められた掃除は、まだ続いていた。掃除機をかけるために布団を上げながら、万年床としているこいつは、どう扱うのが正しいのか知らない、ボンクラだからと思って、検索をかけてみる。すると、「毎日上げ下ろしをしろ」とか「一週間に一回は干せ」と、無理筋が書いてある。無理無理と思いながら、その後は律義に畳むようになり、なんと一回干してしまった。こうしてまた、僕は人間に近づく。

掃除機がけは疲れる。なのに、結構髪の毛とかが残ってしまっているのを見つけて、余計に疲れる。

その後は、衣替えを行う。高校生の頃に買ったと思われる厚手のパーカーを発見し、その鮮やかな緑色に、アメフトをやっているアメリカの大学生が着てそうだなと思ったが、ドラマや映画で作られたこのイメージ、このニュアンスが、実情に即しているのかどうかは、よく分からない。着ていなかった服は他にもあって、それは、この先の季節に使えそうだと思った。
しかし、どれも「The Undisputed Era」の帽子に合うものではなかった。上と下の世界観が、齟齬をきたしていることは、非おしゃれの僕でも分かった。でも、プロレスラーの帽子とマッチするのなんて、プロレスラーのTシャツや、筋骨隆々の上半身しかないのではないだろうか。僕が被ったところで、サブカルクソ野郎にしか見えなかったのだ。
ここで僕が目を向けるべきなのは、"サブカルクソ野郎"という風に思った感覚だ。これは、僕の内から出てきたものではあるが、僕のものではない。テレビやネットで、誰かが誰かを揶揄するために、"痛いヤツ"と見なすために、援用されてきたイメージだ。そんなものはどうでもいいし、そういう言葉づかいをする人とはかかわり合わなければいいだけの話だ。美意識を他者に手渡してはならない。

爪切りを借りたら、本当に切れないで不満を言ったら、親が結婚した頃に買ったものだという。立派な一軒家や高級な装飾品ではないところに、生活の歴史が残っている。しかし、あまりに爪が切れないので、どれだけの歴史を持つ爪切りだとしても、もうすぐ、あっさりと捨てられてしまうことだろう。そのことがまた面白い。

「2000円以上じゃないと売らねえよ」という商売をしているAmazonを見て、やっぱり胴元が儲かるように世界はできているんだなあと思う。300円の爪切りが、冬物を閉まったクローゼットにかけるムシューダと、ロールオンタイプのデオドラントと、虫歯を予防するガムと一緒に来た。どれも、コツコツと貯めたポイントで買ったから別にいいけど、要るから買ったとはいえ、どうしても要るかと言われれば、要らないような気がする。「これこそが消費の本質である」などと、それらしいことを書いても空しい。

ブログ「いらけれ」

(前回までの日記のタイトルが「2019521」となっていたのを、しれっと直しました。きっと、正しいことばかり要求される世界で、もっと間違えたいという深層心理が働いたのだろう。否、ただただ疲れていて、ぼうっとしていたのだろう。)

三四郎さんは、ずっと大喜利に答えるような新作で、かつ、お題に対する観客の予想を超え続けなければならないようなネタで、非常に難しく大変だと思うのだが、笑いを起こし続けていてすごいなあと思った。師匠のまくらから入った志ん五師匠は構成ばっちりだったし、来月の東村山寄席に出演予定の小助六師匠の安心感も素晴らしかった。東村山寄席、いつも平均年齢が高いので、行くことに怖気づいてしまっていたのだが、やっぱりチケット取ろうかなあ(というか、残っているのだろうか)。

圧巻だったのは、トリを務めた笑二さんで、場を制していた。あの鼠穴、ああいう高座に立ち会えるのは、年に一回か二回あるかないかという感じなので、あの場に観客としていた62人は幸せだ(つまり、自分がその中の一人であったことを自慢しているのだ)。

見たものについて上手く言葉にできない自分に唖然とするが、言葉ではない表現が言葉に変換できるのならば、言葉を読めばよい。ライブレポートは、ライブに行っていない人のためではなく、ライブに行った人が思い出すためにある。これ以上、落語についてはどうにも書けないので、高座の最中に、よくあることだが、時計のアラーム音のようなものが聞こえたときに、まず腕時計を耳に当てた自分を書く。Amazonで1000円の僕の時計には、もちろん音声を出す機構なんてあるはずもなく、自分の行動に驚き、そして、心配性伝説を更新したなと思った。「これが自分だったらどうしよう」などと、周りの迷惑を考えるような人間が、真っ先にストレスで死んでいくのだろう。

とても疲れていたことが、翌日の僕の行動にどのような影響を与えたのか、僕には知る由もない。ストレートに、落語を聞いたことで元気になったのかもしれないが僕は、朝の7時には起きて、それまで出来なかった部屋の掃除をした。ゴミを捨てたし、掃除機もかけた。きれいになっていく部屋には、小さな蜘蛛が住みついていて、物を動かしたことで居場所をなくしたようだ。逃げ惑う様を見る僕。向こうからは、進撃の巨人の、巨人のように見えているのだろうか。知らぬ間に始まっていた共生は、突然ポジティブに、そしてアクティブになった僕の、蜘蛛にしてみればいい迷惑な行動のせいで終わった。

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(帽子、タグを切ってもらえばよかったなあ……)というのが心の声で、手に持った袋の中身を見ながら、電車に揺られていた。「ハサミ持ってますか」というのが、見知らぬ人に発せられることのなかった言葉で、隣の人に声かけられるような人間だったらなあと思っていた。怪しまれて警戒されたら、「いやいやいや、違うんです。さっき買った帽子のタグを切りたくて」とか言って。

渋谷のコンビニにはセルフレジがあって、僕みたいな人間に優しい。でも、500円以上するハサミしか置いてなくて、そっちはぜんぜん優しくない。少し歩いて見つけた100円ショップは、なんか品揃えがファンシーで、それはまあ、生活用品を買いに来る人が少ないからだろう。筆箱に入るサイズの、小さなハサミ(キャップ付き)を買った。そんなシチュエーションがもう一度来るかは分からないが、またタグを切りたくなったときに、こいつが役立つはずだ。

近くのファミレスに入ったら、お会計をしている外国人の店員さんに「~~(聞き取れなかった)お待ちください」と言われたので待って、一人であることを伝えたら、「そこに名前を書いて、お待ちください」と笑顔で言われて、もやもやする。彼にとっては、歓待を表す笑みだったのかもしれないし、真意は分からないけれど、嘲笑されたように感じてしまって、これから先、こういうことが色々なところで起こるのだろうし、難しい時代だなあと思った。

来た道を戻って入ったガストには、結構な空席があってよかった。もう18時になっていて、こんなはずではなかったのに、余裕をもって本を読むはずだったのにと思う。帽子を袋から出して、タグを切って、置いて眺めて、やっぱりかっけー。つばの、キラキラのWWEのロゴが描かれたシールは剥がして、一緒に袋に入れていたレシートの裏側に貼って、持って帰ることにした。モバイルバッテリーをスマホにつなぎ、もう机の上が混んでいる。歩いている間、ほとんど水分を取っていなかったので、注文の品が来る前にコーラを一杯飲み切ってしまった。チーズインハンバーグは、切り分けたときのヴィジュアル的な美味しさは素晴らしいけれど、流れ出ててくるチーズと肉を一緒に食べるのが難しい。イヤホンを付けて話し声を遮断し、本を読む。家で読むより集中できたようで、かなりページが進んだ。店を出るまでの1時間半で、ドリンクバーに3回立って、炭酸飲料を3杯と、おかわり自由のスープを2杯で、おなかがだぼだぼした。

僕は、ここまでに2時間半以上歩いていて、すでにかなり草臥れていたわけだが、まだ一日は終わっていない。むしろ、これからが本番なのだ。だからあなたは、明日もまた、この日記を読まなければならないだろう。

ブログ「いらけれ」

22世紀の地球では、子作りがブームになっています。あるいは、生まれる前の子どもの意思を確認することはできないので、政治的な正しさによって、子どもを作らなくなっているかもしれない。そもそも、「子作りがブームになっています」という表現は、その時代の人間のほとんどが、子どもを作らなくなっているのではないかという予想を含意している。

いけない、また書くべきことから逸れてしまった。都市の持つ多様性に対する驚きは、歩けば10分かからないような距離だとしても、長大なエスカレーターでとろとろと下りていって、わざわざ地下鉄に乗ることに起因している、ということ。

僕の中にある、ユーチューバーに対する拭い難い<猜疑心><拒否感><問題意識>(正しい言葉がどれなのか、さっぱり分からない)……。ユーチューブは毎日見ているし、なんなら好きなユーチューバーもいるんだけどね。なんだろう、ツイッターで有名になっている人を、一度フォローして見るものの、やっぱりうーんってなるような感覚に近いというか。それ以前から、書籍や雑誌などで名前を見ていた著名人との、それはやはり信頼の差みたいなものなのだろうか。まあ、めちゃくちゃ売れている本を書いている著者が、信頼に足るかといえば、決してそんなことはないし、やっぱり僕は、ツイッター上でのどんな発言よりも、発刊された書籍のなかに、歴史修正主義的な文章や剽窃が含まれていたことの方が、大きな問題だと思う。

秋葉原は、たくさんのメイド服を着た女性が客引きをしていて、すげーと思うと同時に、これからどうなっていくんだろうと思う、なんか、ビル二階のベランダみたいなところから、マイクを使って呼びかけているメイドさんもいるし、駅近くのコッペパン屋さんが踊りながら売ってるし(がっつり目が合ったし)、クールジャパン。

僕はしかし、そういうものとはあまり関係がない。でも、パソコンの部品とかプラモデルを売る渋い店が、片隅で営業を続けていられるのは、そういうものが街を潤しているからかもしれないね、知らないけど。こういう、ニッチな場所に行けるのは、首都圏に住んでいる特権だなあと思いながら、プロレスグッズを見ていた。
ごめん嘘、まずは、店内のテレビで流されていた過去の名勝負を見ていた。やっぱりテンションが上がるなあ、この試合。先客には、言葉からは特定できなかったけど、アジア系の国から来たと思しきカップルがいて、何一つコミュニケーションを取ることはなかったけれど、勝手に同志感を覚えていた。ずっと居られるという気分だったが、とりあえず、お目当ての「The Undisputed Era」(なお現在、メンバー同士で仲違いしているっぽい)帽子を探して、見つけて、目の前にブツがあるとやっぱり興奮してしまって、手に取ってしまって、被ったりして、もうちょっとちゃんとWWEを追いかけようと思いながら、レジへ向かった。
途中、僕と同じか、少し若いぐらいの男性が入ってきて、レスラーのフィギュアを選んでいたから、僕の中で、この人も同志ということになった。僕は、Tシャツはもちろん、パーカーとかもかっこよかったので、また来ることにした。あと、マーベル好きな友人へのプレゼントも買えるな。まずは、ちゃんと働いてお金を貯めなくてはと、珍しく、ちゃんとポジティブになった。