ブログ「いらけれ」

ワクワクするような予定ではなかった。1000円カットの店(今は値上げして1200円だけど)は、平日の昼間(午後1時)にもかかわらず、とても混んでいた。隣駅まで歩いて、別の店へ向かう途中には、平日カット690円という店もあって、それは流石に勇気が出なくて入れなかったのだが、検索してみたら、激安カットのチェーン店として有名らしいので、今度はそこで切ってもらおう。なんせ、何のこだわりもないのだから。しかし、これから切ってくれる店員さんに「何のこだわりもないので、とにかく短く……」と言ったのは、あまりに失礼だった気がする。うだるような暑さでかいた汗を、持っていたハンドタオルで拭うという気づかいまでは、ちゃんとできていたのに。
あと、僕が入ったときは待っている人がいなくて、座って待っている間に、後から二人入ってきたので、タイミングばっちりだったわけだが、そのうちの一人のおじさんが、その店のシステムを知らないで、券売機で券を買ってなくて、僕は一応、手に券を持ってますよ感をアピールしていたのだが動かなくて、僕が呼ばれて髪を切られているときに、案の定、次の人に順番を抜かれていた。僕は、おじさんに「券を買いましょう」って声をかけるべきだったのかなあ、人情的に。でも、他人の間違いを指摘するのは、とても難しいよ。プライドの高い人で、何か言われたら嫌だし。髪型は、まあ、僕は僕です。

何かに待たされている時間は、自分が所有しているはずのものが、誰かのものになる。しかし、その逆もまた真なりで、誰かのものでありながら、動かしようもなく自分の人生だ。共同所有されたある時間は、二者の間で宙吊りにされながら、蠟燭の蝋のように、ただ溶けていく。

それで僕は、履歴書を印刷するためにコンビニに行った。それと、今やっている仕事の資料として、webページをPDFファイルにして持って行った。大層な量だ。時間のかかる作業を、人の出入りする入口近くでやるのはなんか辛いな、と思ったので、歩き回ってよさそうなコンビニを探してしまった。15分ぐらい歩いた先の駅の、駅前のコンビニには、窓際に休憩スペースが広く取ってあるということを、初めて入ったから初めて知った。サラリーマンが二人、お互い端の席に座って、食事をしていた。その奥の隅に、プリンターがあった。ここならば、人が後ろを通ることがないので邪魔にもならないし、人目に付く場所でもない。
印刷を始めてから終わるまで、誰か順番待ちしていないかと気にかけながら(待っていたら、一旦譲るつもりだった)、7~8分はかかった。あと、400円ぐらいかかって、小銭入れがすっきりした。約40枚の紙束は分厚く、すべてをまとめて入れたクリアファイルを押し退ける存在感だった。
最後に一回り、店内を物色していたら、店員がキャンペーンと書かれたプラスチックの板を団扇にしながら歩いていき、レジ前につながる小さな扉を蹴って開けた。僕は、印刷以外でこのコンビニを使うことはないだろうな、少なくとも一年ぐらいは、と思った。

ブログ「いらけれ」

『瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法』を読んでいたら、「ウルチマ・ラチオ」という言葉が出てきて、これは、ラテン語で「最後の手段」という意味らしいのだが、そんなことはどうでもよくて、もし僕が新たにラジオを始めるとしたら、「ウルチマ・ラジオ」ってタイトルがいいなと思ったという話。

人生のティップスを一つ。突然思いついて、急にやる気を出して、一日に4社の求人に応募してはいけない。返事が大変。返事が来た3社がすべて同じ日に、10時・12時・14時という感じに面接をすることになってしまって大変。履歴書を用意するのが大変。あと、覚えておくのが大変。忘れそう。
そんなこんなで、日曜日に1000円カット的なところへ行ったのだが、めちゃくちゃ混んでいて、ぎゃひーんってなってやめる。せっかく平日に働いていないのだから、平日に髪を切るべきなのだ、僕は。髪を切って、ビールでも飲むのがいいだろう、平日の昼間はね。早くさっぱりしたいものだ。

街の変化に敏感になるまでもなく、きな臭い商売をしている場所が増えてきたなと思う。商店街のゲームセンターの二階の扉には、「プライムショップ」と書かれており、下にチラシが貼り出されていて、おそらく催眠商法が行われているのだろう、老人たちが出入りする様子を、信号待ちをしながらよく見ていたものだったが、すぐになくなったかと思えば、今日また健康食品云々という幟が立っていた。同じ通りにも、別の商店街にも、同じように老人を集めてセミナーを開き、健康食品や健康器具を売るショーバイ(商売とは書きたくないものだ)をしているらしきところがある。いや正確には、あったと思ったらなくなって、なくなったと思ったらまたできている。リスクを回避しながら金を巻き上げる、あまりにも資本主義に適った人たち。彼らのような人間ではなくて、心底良かったと思う。

「So!スポ」を見ていたことによって、おすすめにNBAの動画が表示されていたから、気まぐれ再生してみた。その動画では戦術解説をしていて、これが超面白い。実際のバスケの試合を見ていても、スピードが速くて目まぐるしいから、よく分かっていなかったんだけど、つまりは人の問題と空間の問題であって、サッカーにも通じるところが多いのだなあと思った。それからというもの、ウイニングイレブンをしながら動画のことを思い出して、バスケ用語であるスクリーンなどを意識して選手とボールを動かすようになった。僕は、これで上手くなっているのか、強くなったのか、今一つ分からないままに、サッカーゲームをやりながら、脳内ではバスケをイメージしていた。

ブログ「いらけれ」


歩いていたら見つけた看板その②。まず、飼い主がふんの始末をすることを呼びかける看板であるのに、犬が掃除しているのがおかしい(それに付けても、絵のタッチよ)。それに、例えば喫煙を禁止する看板は、赤い丸と斜線のなかに煙の出たタバコが描かれていることを考えれば、これでは掃除を禁止していることになってしまうはずで、二重に間違っている。もう一度言うが、二重に間違っている。裏の裏は表ということなのだろうか。飼い主が掃除しないから、犬が自分で掃除してしまう状況を禁止するという風刺?

Amazonで日焼け止めを買った。ここ数日の暑さのせいではない、僕は暑くなることを見越して、早めに調達するつもりだった。ご存じの通り、暑さの方が先に来たのだ。あと、「サムライ」のフレグランスミストを買った。もちろんこれも、ここ数日の暑さのせいではない。暑くなる世界に備えるつもりだったのだ。「サムライ」は、アラン・ドロンが三船敏郎して作った香水らしい。へー。これで僕も一応、香水デビューということになるのだろうか。近くのドラッグストアに行って、置いてあるテスターのなかで、安くて「うっ」とならなかった奴を選んだだけなのだが。しかし、ドブに香水をかけても、ドブで香水の瓶が割れている匂いがするだけなので、あまり意味がないのではないか。消臭力も買った。単に部屋が臭いから。この時点で、1500円ぐらいだったので、2000円超えないと売らないよっていうから、鼻毛カッターを買った。訳あって、身だしなみを整えなければならず、それにレビューを見て知ったことだけど、鼻毛を抜くのは粘膜を傷つけるので良くないという。へー。トリビアと健康情報を知ることのできるブログじゃん、これじゃあ。

それで僕は、本を借りてきた。一冊は大澤真幸の『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』で、また大澤真幸かと言われそうだし、おそらく、内容のほとんどが、すでに知っていることだろう。好きな映画や音楽ばかり、繰り返し見て、聞いてしまうのに似ている。
もう一冊は、古東哲明『瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法』という知らなかった著者の本で、冒頭を引用してみよう。

いまこの瞬間のなかにすべてがある。少なくとも、大切なものは全部でそろっている。
人生の意味も、美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも、
だから瞬間を生きよう、先のことを想わず、今ここのかがやきのなかにいよう。

これは、僕が読まなければならないだろう。まだ初めの方を読んだだけだが、以前に僕が絶賛した『南の思想』にも似ていて、いい感じだ。それについては、またいずれ。


けもの「コーヒータウン」MV

川の向こうの喫茶店に歩いて行って、500円使うこと。そのことを、なんにも気にしない暮らしを。

ブログ「いらけれ」

大人計画が30周年ということで、BSでスペシャル番組をやっていて眠る前に少し見ていたのだが、なかで、26歳の松尾スズキが『冗談画報』に出ている映像が紹介されていて、なんだか来るものがあった。それはもちろん、自分が27歳だからだけど。もう若くないことは知っていて、そして、もう若くなることはできないことも分かっているつもりなのに、なんでこんな暮らしを続けているのだろう。

主力メンバーのほとんどが帰ってきたのだから、すぐに勝てるようになるだろうと思っていたがスワローズは、同じことを繰り返すように負け続けていて、流石に見るのが辛くなってきた。このエラー病の蔓延は、やはり何かしらの心理的プレッシャーによるものなのだろうか。こういう時こそ最後まで追いかけるということが、人生の糧になるのだろうな。何があってもずっと見続けるという経験が、いつか大きな意味を持つ。でも、どうしてもエラーやフォアボールの満塁で、間を抜けていくボールを追いかける外野手の姿を見ると、チャンネルを回してしまうね。

貧乏だから、アプリでもらったブラックサンダー(32円)のクーポンを、ローソンまで行ってレジに出した時、いや、ローソンに向かっているときから、みっともなくてみじめな気持ちだった。食べたらおいしかった。

言葉を調べていたら、「Yahoo!辞書 サービス終了のお知らせ」って、さらっとすごいことが書いてあって驚く。2019年5月31日をもって、サービスを終了させるらしい。へー。インターネットサービスって、本当に突然終わるよなあ。終わるもんだと思って、使っていかないといけないということなんだろうな。

このところ、運が悪かったといって終わらせられないことについて考えている。とても小さな子どもが、大病を患っている。その子に向けて、「運が悪かった」とは口が裂けても言えない。でも、その子に原因があるわけでもないし、もちろん前世などというスピリチュアルな何かのせいでもないのだから、運が悪かったとしか言えない。だけど、運が悪いということで終わらせるには、あまりにも残酷すぎる現実。だからこそ、あらゆる宗教が要請されるのかもしれないが。


歩いていたら見つけた看板その①。手で書かれた「懲」という文字を初めて見たかもしれない。最初はフレンドリーだったのに。途中からテンションどうしたん?やっぱり、散歩をしていくとこういうものと出会えるからいいね、って悪いことじゃないとは思うんだけど、週に10万歩は、いくらなんでもだし、散歩ジャンキーなのではないだろうか、という気がする。