コラム「後藤の超批評」

あなたがたは、例えば、パーソナルな内省をしているだけの文章を読んだことがあるだろうか。読んだことがない?なぜか。それは、そんなことを書いても価値がないゆえ、そうした言葉の流通量が少なかったから(価値のある文章なんて書いてたまるか、読みたければ金を払え)。しかし、Internetは景色を変えてしまった。探せばいくらでも、のんべんだらりと書かれた文章に出会うだろう。だから、流通量が少ないのではなく、あなたがたの意志で、つまらないから途中で読むのをやめ、忘れちゃったからなんだろうな。おそらく。