ブログ「いらけれ」

肩が痛い、超痛い。
アカデミー賞授賞式直前!「羊たちの沈黙」実況/WOWOWぷらすと<水曜日>立川吉笑
WOWOWに加入してない(そんなひとはいないと思うけど!)はレンタルショップへ急げ!

伊集院光のTBSラジオ新番組「伊集院光とらじおと」詳細発表「JUNK」は続投 – ナタリー‎

東京ポッド許可局 「もう1つのベッキー論」
もうひとつの。もうひとつのってのが重要。こういう話が聴けるからラジオは良いし、今の自分にとって重要。ポッドキャストも来てます。

最後に一曲。

BOY – プロフィール
知らなかった。最近知った。恥ずかしい。

ブログ「いらけれ」

自分をかわいいと思っているように見える人をかわいいと思えない、そして、自分を面白いと思っているように見える人を面白いと思えない。

でも、面白いですよと差し出されるもののほとんど全ての送り手は、面白いと思っているはずだ、面白いと思っていないものを出されても困る、それに送り手が面白いと思えないものは面白くないだろう。

この話はだから、凄く難しい。皆、自分がかわいい、これは前述のかわいいとは別の意味で。

客観ということなのだろう。しかし、ありがちなこの結論も、私はまだ、本当のところ理解しきれていない。

ブログ「いらけれ」

どれほど書いてもこんなものだと、こんなものでしかないと、それが残念だと、でも、それなりに考えてんだと、でも、こんなもんかと思う。

それは、一秒一秒見逃さないように観たり、一行一行念入りに読んだり、そういう集中、たとえば落語の高座を観るときの、今日のことを決して、出来ないんだけれど忘れないぞと言うような、そういう集中すらしていないのだから、しょうがないと思う。

まあでも、三十年後とかに良くなってればいいんじゃないの。面白くなってれば。死ななければ可能性はある。

ブログ「いらけれ」

難しく考えすぎていたのかもしれない。あるいは、それとは別の問題があったのか。

書かない間、ブログのことが頭の片隅に常にあった。今までのものとは比べ物にならないくらい、もっと長いものを書こうとも思った。実際に、何度か書きだした。タブレットを使ってみたり、浴槽で書いたりもした。

それでもずっとそのままにしていたのは、身体の調子が悪くなるとともに、心の余裕がなくなっていて、どうにもダメだったからだ。

言語化して考えている私は、私の一部で、当然のように身体があり、無意識と言っても良いそこにはもう一つの、ごまかしの効かないルールがあって、それに則って動いている。

だから、こうして書かれたものがあるということは、少しは身体がましになったということで、心が少しましになったということだ。

でも、もう花粉症の症状が出ていて目がかゆいし、相変わらず仕事は見つからず、社会から疎外されていると感じる日々だ。それでも、なんとか頑張っていく。

SKIT サンプリングおじさん「頑張ったって…」編