今日は面接で、その帰りの電車で書いたこと。疲れてたんだと思います。
お笑いについて、好きでもないのに迂闊になんか言っちゃう人にも、寛容でありたいなと、今は思う。
だって、その迂闊さは大ボケなのだから。
自分は好きすぎて、人生の中で考えすぎていて、愛があるのだと思っている。それは、いいことばかりではないと、肝に銘じていかなければならない。
ラジオの内容の書き起こしについては、思い出しながら書いたものなので、間違ってるかも。私はそういう風に受け取って記憶していた、ということでひとつ。
お笑い、お笑い芸人について真剣に考えたり、何かを受け取ったりしたことのない人が「あの芸人は終わった」と言うのだろう、そしてそれは、もう時代としてしょうがないのだろう。
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3
昨日、ある演芸マニアの方が、「爆笑問題カーボーイ」が面白いとツイートしていて、聴いたら、評論家論でお笑い論でネット言説論だった。
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3
「教訓を言いたいんじゃない。面白いことがしたいだけ」「モンティパイソンもチャップリンも風刺だけじゃない」「皆が認めて新聞に載るような政治風刺とか一番ださい」「NHKで政治ネタがボツだったと言ったら『圧力だ』と話題にされたんで、翌年安倍ネタを散々やったのに誰も話題にしなかった」等々
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3
正しい正しくないは置いといて、お笑い好きで、ずっと線で追ってたりすれば、その考え方とか知るわけで。「昔、若い頃はおばさんが分かる笑いは馬鹿にしてたけど、今はどう騙して、エグい部分を保ったままおばさんを笑わせるかだから」とか。
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3
「終わった」ではなく、「なんでそう言ったのか」とか、年取ったとか、環境の変化、結婚して子どもが出来たとか、昔最先端だったセンスが今、時代とズレてるのかとか、考えるもので、そっちのほうが良い。
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3
だから、「通りすがりの正論」さんは、今一番の大ボケだ。
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3
東京ポッド許可局でよく出てくる「お笑いに興味がない人」が多数派で、自分が興味がありすぎる人なのだ、ということは忘れちゃいけない。
— ゴトウ (@rung7864) 2016, 2月 3