ブログ「いらけれ」

LIBRO – 音信 @ りんご音楽祭2015

疲れている時には音楽を聞いていようと思う。それでいろいろ聞いていて、これを聞いたら「今じゃない、と嘘つく自分を見抜く」という言葉が、後ろ向きな言葉ではないと分かった。その前にある言葉は「お前の出番は必ずくる」で、つまり出番は今なのだ。今この瞬間に出番なのに、それを否定する自分を見抜く自分は、必要な勇気を持っている。臆病な私を否定した私には必要な勇気が備わっている。
嘘をついてしまう弱さのイメージに引きずられて、ネガティブな言葉のようにずっと勘違いしていた。生きるとは更新することで、私は保坂和志の 『ハレルヤ』を読んだ。『ハレルヤ』には「生きる歓び」が再録されているが、私は中公文庫の『生きる歓び』を持っていて、ずっと前に読んだときは、とくに感心しなかった。それが、帰りの電車で読んだら過去の印象とは違ってずっと良かった。
なぜ以前とは違って心が激しく動いたのか分からないが、小説の分かり方というのはこれしかないのか?言葉を超えて、あるいは言葉の手前で、頭ではなく全身で理解するようにして分かるしかないのか。
今の私は、本当に蹴り飛ばすべきものを蹴り飛ばすためだけに生きている。だから分かったのか?本当に蹴り飛ばすべきものとは単純な悪ではない、「人間を常態として萎縮させ」るような複雑な悪で、私はだから言葉を使って言葉と闘わなければならないと思っているし、人と人とが関わり合う上手いやり方を探さなければならないと考えている。このように更新された私に、小説が開かれた。