ブログ「いらけれ」

「ぶり返すもの」は、それほどない。病気と、夏ぐらいではないだろうか。夏がぶり返したその日に、僕は友人から、ご飯を食べに行こうと誘いを受けていた。身に余るありがたさだ。紆余曲折あって、目的地は入曽の豚丼屋になった。豚丼は、とても美味しかった。

「読書会は、文化系の出会い系である」というツイートを読んだのは、いつのことだっただろうか。これは本当にそうで、しかし、それで良いという話をした。さすがに僕は、哲学カフェに男女の何かを期待してはいないけれど、「友達が欲しい」という気持ちは確かにあって、会が終わった後、話してみたい人に声をかけることも、毎月参加する動機の一つになっている。そういった諸々の積み重ねが、今日につながっているのだから、僕にとっては正しかったという他ない。

とにかく話をした。昨日聞いた人形メディア学についての話を、節操なく受け売りしたり、「Jリーグジャッジリプレイ」の話をしたり、僕から発信したものについて言えば、この日記で取り上げてないような話題は、そこまで出てこなかったと考えていただいて構わない。しかし、やはり会話というものが生み出すマジックはあって、これまで考えたことのなかったような何かが、自分の中から湧き出る瞬間が、たくさんあった。

(最近、興味があって「行きたい」と思っていたライブやイベントでも、足を運ぶのをやめてしまうことが多くなっていた。そういう自分を反省した。家にいればマイナスはないが、プラスもない。何かを得たいと思うのならば、とにかくやること。)

お笑いについての分析とか、話がスイングしていて楽しかったなあ。後、僕が見ていない映画(「天気の子」など)について、あらすじと感想を教えてもらうのも面白かった。そして僕は、見ていないのに、伝え聞いた情報だけで批判してみたり(それはもちろん、ある種の"冗談"として)。

しかし、書くことよりも話すことの方が得意な僕ですが、話すことには特有の切なさがあって、だって、あそこで話したことのほとんどを覚えているはずなのに、もう思い出すことができないんだもの。記憶するように話してないから、「この前、そんな話したね」という確認ならば、一か月後であっても、もしかしたらできるのかもしれないが、その詳しい内容とかニュアンスは、十数時間後の今、すでに抜け落ちてしまっている。それにあの会話は、そういうのが好きな誰かにとっては価値のある、非常に豊かな雑談だと、喋りながらそう感じていたから、何らかの形で残すべきなのかな、と思った。

それはともかく、僕はもう少し、しっかり暮らした方が良い。自分のできなさ。自分の生活でさえ、人に頼って維持している情けなさ。お店にマスクを置き忘れてくるうっかり。しっかり暮らしたら、僕はもう少し、面白くなるのではないか。そう思えたのは希望だった。だから、「何もかもありがとうございました」とは言わずに、そう思ったままで別れた。

ブログ「いらけれ」

暇なので、NHKラジオの聞き逃しサービスを使って、いろいろな番組を聞いていたのだが、タイトルの一覧を見て、「何かありそう」と思ってクリックした『文化講演会』の「人形メディア学~人形文化を通して人間を考える」が、非常に面白かった。NHKが、いつまでアーカイブを残してくれるか分からないから、そこのあなたは今すぐに、このリンクへ飛んで、聴取を始めるべきだ。
講演を聞かなかれば、人形について思いを巡らすことなど無かっただろう、と思う。「人形」とは何か(別に哲学的な思索を始めたい訳ではない)、広義的な意味では、動物のぬいぐるみも藁人形も、あるいはキャラクターの着ぐるみでさえ「人形」だと言える(指人形の先にある"全身人形"として)。そのようにして捉えると、世界は「人形」で溢れており、我々が、いかに「人形」を求めているのか、ということを思い知らされる。
また例えば、ディズニーランドで動くミッキーマウスを見た後に、お土産で彼のぬいぐるみを買って帰るとき、私たちは、私たちの心は、それをどのように処理しているのか(キャラクターと人形の複雑な関係)ということや、あるいは、Pepper(ペッパー)のようなロボットとからくり人形の違いについて、などといったことも考えた。
(あと、演技後の羽生結弦のなるべく近くに、プーさんのぬいぐるみを投げ込みたい人のために、リンクのそばの、良い席に座っている人が、投球ならぬ"投プー"を代行してくれるという話は、コントの設定みたいな話だなあと思った)
面白いものを探す嗅覚を鍛えてきて良かった。講演者である菊地浩平氏の『人形メディア学講義』も読んでみよう。しかし、最近は本当に面白いものを引けているな。「もう無理」って思うほど、面白いもので毎日がパンパン。嬉しい悲鳴だ。

「ヨーロッパ企画の暗い旅」の公式スタンプである「旅くんスタンプ」を買った。LINEのスタンプって、初めて買う。スタンプは50LINEコインだったから、なんか、ちょっとでも応援になるならと思って、ポイントサイトで貯めた150ポイントを、150LINEポイントに交換して、よしよし、なんていい気になってたんだけど、2LINEポイントで1LINEコインというレートを知らなかったため、「旅くんスタンプ2」は購入できず、ぐええってなった。
スタンプって、みんなが知ってるキャラやモチーフのものだと楽というか、"許されている感"があるんだなあと知った。旅くんはさすがに、みんなが知ってるキャラとは言えないから、おずおずと送ることになった。「『それなに?』と聞かなければならないのか?」と悩ませてしまうのではないか?と悩むが、好きなスタンプは使いたいという子どものような心。差し出す側と受け取る側の、微妙な関係のなかで、共有するということ。「生きていくって勉強ですね、すごい」と、僕は思いました。

受像機では、それについて意見を求められるべき人の話が聞かれず、明らかに無知な人がべらべらと喋り続けている。何かがおかしい。何かがおかしくなってしまった。

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一日記書くのに、一時(現代の2時間)かけていたら、人生終わっちゃうんじゃない?設定に無理ガールんじゃない?と思った。でもまあ、書くのは楽しいからいいや。人生からダイエットすべきなのは、これとは別の時間だ。


今年もやります! 原博実&上川徹がJリーグの気になるジャッジを徹底解説!【Jリーグジャッジリプレイ2019 #1-1】

「Jリーグジャッジリプレイ」が、今、一番面白いかもしいれない。Jリーグ見てない僕が言うのもなんですが。デカい誤審(浦和-湘南戦のゴール見落とし)が問題になっていたときに、番組が記事になったものは読んでいて、その存在は知っていたけど、ユーチューブで見られるなんて。しかも、Jリーグ公式チャンネルでアップされているなんて。素晴らしいことである。
そもそも、ルールというものが面白い。まず、知らない内に結構変わっている("キーパーチャージ"って、もう言わないんだ、へー。とか)。決まりは、決まりであるというだけで"固いもの"という印象を受けるが、実はグミのように弾力があり、変形可能なものなのだ。
そのようにして定められているルールは、サッカーのすべてを決めている。すべてが決まっていれば、何が起こっても白か黒か、完璧に判断できるかといえば、決してそんなことはない。出来事のほとんどは、「どこまでも微妙なケース」であり、反則のようにも、そうでないようにも見えるから、場面場面で審判はルールを解釈し、運用しなければならない(から、そうしている)。だからこそ議論の余地があり、だからこそ議論が面白くなるのだ。
という話と並行して、肉体的な問題がある。遠くにいる人は見えにくいとか、ボールと同じスピードでは走れないとか。そのなかで、どこにどう立って、どう移動するかという細かな技術論も好き。これは、僕の性癖。
審判たちについて僕は、絶え間なく、目の前で何かが起き続けているサッカーを、選手と一緒に走りながら裁くのは、とても大変なことなのだろうと、やや同情的な気持ちになってしまう。正しく裁定するのは当然で、間違えたら減点という立場に置かれているのも不憫だと思ってしまうし。
かといって、明らかな誤審は見過ごせるものではないということで、導入される映像という証拠(エビデンス)。現代の時代精神についてまでも、考えさせられるような優れたコンテンツなので、ぜひご覧いただきたい。

それで帰り道、前後にチャイルドシートを付けた自転車(子どもは乗ってなかったけど)の、ハンドルの両側に大きな買い物袋をかけた若いお母さんと、ゆるゆるとした白いシャツで、何も持たずバイクに乗っているあんちゃんを見た。なんか、象徴的だなって思った。

ブログ「いらけれ」

何かのきっかけがあって、何かが起こるというのが、僕たちが持つ当たり前の感覚だけど、そういう単純さとは離れた場所に現実はあり、それらしいきっかけは、何かが起きた後に、改めて発見されているという話は、すでに、ここで何度も書いたからといって、そのことが伝わっていると思ってはいけない。大切な話は、耳にたこができるほどに繰り返しても、それでも足りないほどなのだから。

とても久しぶりに、東久留米のスーパーまで、楽天ポイントを貯めるという目的を兼ねて、歩いて行った。そうはいっても暑いとはいえ、そこまで暑くはないと言うべき季節になったからだ。
とても涼しい道すがらでは、草刈りが精力的に行われていた。放埓に伸びた草どもを秋の前に刈って、人間は、川べりを人間にとって都合の良い場所とする。作業員の操作する機械の刃が回って、どんどんと刈られた草は川のなかに落とされていって、淀みは緑でいっぱいになっていた。修羅場から逃げだしてきたバッタは、僕の靴の横幅より大きかった。
川上では、三人の少年が川遊びをしているが、そちらに草が流れていくことはない。そのようにして働く大人たちは、子どもたちにはどのように見えているのだろうか、などと考えながら眺めていたら、内の一人が足場から落ちて、腰から下が川に浸かった。恥ずかしそうに足場に戻った彼を見て、残りの二人が笑った。その声が街に響いた。
前の背中に虫がいる。気づいてないから、それは秘密。昔、プロ野球の珍プレーで、投手のお尻に蝉が止まる、というのがあった。あはは、って笑っちゃう。なんで気づかないかなあって、後ろにいる僕は思うけど、多分、僕の背面に虫がいたことも、そのことに気づけなかったこともあったのだと思う。でも気づかなかったら、それは、少なくとも自分の中では、ないも同じだ。こういうことって、少し怖いなって思う。
NHKラジオ「すっぴん!」の再開が嬉しい。歩いていく長い時間には、放送時間の長い番組がありがたい。それを聞きながら、川の、橋のところに設けてある広場のベンチで、家から持ってきていた「ちぎって食べるロールパン」を、同じく持ってきたお茶と一緒にちぎって食べた。少し残して、スーパーまで少し歩いて、折り返して、帰りも同じ場所で食べた。そこで、お茶を全部飲んだ。とはいえ残る暑さに対して、僕は準備万端だった。体感的には涼しくとも、気温がそれなりに高くて湿度もあって、その中を一時間半も歩いていたら、かなり汗をかいてしまうのだ、ということは、人類のために書き残しておかなければならない。
ラジオを聞き終わって、音楽を聞いた。ランダムの末、「ヒサシ.カリメロ」で髭になった。この日記に、最多登場ではないだろうか、髭(調べたら、GRAPEVINEの方が多かった。そうなのか)。髭だけを聞いていたら上空で爆音がして、いつも通り脳内では、目の前に飛行物体が落ちた。しかし街は、いつも通りだった。遠回りして、ファミリーマートに寄って、auで当たったクーポンで、モナカアイスをもらった。日常をキープしたいと思った、それはとても素晴らしいものだから。


髭「ヒサシ.カリメロ」