ブログ「いらけれ」

ユーチューブの「最近アップロードされた動画」のサムネイルを見て、ヤベェ時代なんだなあと思いがち。

正直、毎日日記を書いているというだけでも、相当気持ち悪いだろうに、内容が内容だから、軽蔑されても仕方がないと思う。腕にアドレスを彫れるほど、誇れるようなものだったらまだしも、ある種の人には、見られたくないとすら思っている。明日になることが、新たな恥を生むこととイコールになっている。冷静になったところで、やはり絶望している。


ぷらすと20 #2 「添野知生に聞きたい10の質問」

これ、今度見ようと思ったまま忘れていて、昨日やっと見た。多分、おすすめかなんかで出て、あ、忘れてたと思った。見ながら、良い動画だあと震えた。語られる証言の瑞々しい感じ!自分だけが気付いた"『ジョーズ』の真実"をノートに書きなぐり、一人でニヤニヤ読み直したというエピソード!
やっぱり、映画やSFについての話があれだけ面白い人は、幼少期から、その道のエリートなんだなあと思った。自分が、何のエリートでもないのは、とても悲しいことだけど、運良く、面白いものを面白いと思える才能には恵まれたので、その方面で頑張っていこうと思う。

いつから蝉の鳴き声を聞かなくなったのか、謎。毎年の夏が終わる頃には、そのことを気にしていようと思っているのに、毎年のように忘れてしまう。心地良い風で、遠くのビルの、外壁工事の覆いが揺れる。その工事が、ここから見えているのは、すでに終わった解体工事のおかげで、視界を邪魔する建物がなくなったからだ。この更地に、何かが新しく建ったら、あの覆いはここから見えなくなるが、その頃には、あの工事も終わっていることだろう。
坂を上ると、アーチが見えた。夕方の公園で、祭りをやっていた。入り口に作られたカラフルな半円の向こうの、ステージで踊る人が一生懸命に見えたから、僕は当然のように落ち込んだ。その後にしたのが、図書館のパソコンで、ジジェクの著作が市内に所蔵されているか調べることだったから、余計に。どうしてそんなことをしたのかといえば、ある時突然に(次はジジェクかな)と閃いてしまったからだ。それは脳神経かシナプスか、脳細胞か何かのせいなのではなかろうか。僕のせいではない。
本はあったけど、今借りている本を返していないから当然、借りずに帰った。出入口には、11月の「東村山土曜寄席」の告知ポスターが貼ってあって、三遊亭遊雀師匠が顔付けされていたから、万難を排して行かねばならないと思った。帰り道では、毎週映画館に行くことにしようかなあ、などと考えた。このように考えている内は楽しいが、本当にやるとなると、途端に面倒に思えるのだろう。とりあえず、明日は渋谷らくごに行くつもりでチケットを取った。恥ずかしながら、明日も日記は続けるつもりだ。

ブログ「いらけれ」

僕にとって文章を書くことは、とても簡単なことなのだから、書けばいいのに書かない。

「あの日曜日のこと」で、「90年代~00年代に、お笑いファンだった人には、ぜひ聞いてほしい話だ」と書いた羽光さんの一席が配信されてますよー!
自分が感動したものを、こうして共有できることが嬉しい。あと、

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これも、めっちゃ面白く見てしまった……と書くのは、例えば、3月14日の日記「見えすぎる世界」にもあるように、当事者の告白を、在りし日の裏話を、過剰にありがたがる心性に対して僕は、常に警戒しているからだけど、面白いと思ったものを、面白いと書かないという(あなたへの)裏切りはできないから、やっぱり、証言が溢れる時代で、疑いを差し挟むだけの注意深さと、意識の手綱だけは手放さないでくれと言いつつ、知る限りの優れた娯楽を手渡していくよ。

また少し、立場が変わっていく。それまでは、気楽な立ち位置から発信できていたことが、できなくなる。気にし過ぎてやろうという意気込みで、想像上の他者へ向けて、言葉を選んでいく。自制心から、言わないことが増えていく。間違ってしまったことは消せないとしても、それならば一層、正しくあろうと心掛けていく。そういうまともさを、自分に期待する。

養ってくれた親からの期待も、仲良くなった友だちからの期待も、気にかけてくれた先生からの期待も、信頼を寄せてくれた上司からの期待も、あの子からの期待も、結果的にはすべて裏切ってきたから、自己評価が最低なんだって気が付いた今、涙が止まらない。期待するのは自由だから、できないことを期待されて、駄目さに失望されるみたいなことを繰り返す人生だったなと、そのように総括してしまう。勝手な期待と失望の評価に、心を下へと引っ張られてしまっている。

できないことが多いのは昔からだから、この先急に、ある日突然に、デキる人間になるなんてあり得ない。僕が僕について知っていることは、正しさと愛について裏がないということだけで、裏がないことを知っているのは、ずっと僕と一緒にいる僕だけだ。それしかできないという諦めのなかで、ありあまる誠実さだけを携えて僕は、すべての出来事に立ち向かっていった。と、書いた僕に僕が影響されるから、予言は成就する。

とても単純なことでさえ、うまく伝えられない人間のそばに、誰かが居てくれるということが、奇跡ではないとしたら、何が奇跡だろう。奇跡が起きた後の世界を生きている。それを見つけることと、受け取ることさえできれば。

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僕は寝て起きた。まだ昨日の日記を書いていなかったのに、auで配信されていた「Dead Ahead」というタイトルの、アプリというかブラウザゲームをやっていたのだが、途中、難易度が急激に上がって、(これ、どうやってクリアするんだろう……)と検索してみたところ、僕がそれまでやっていたものとほとんど同じだけど、ちょっと機能や要素が多いアプリゲームのプレイ動画(ゲームタイトルは同一)が出てきて、おそらくというか当然だが、そちらが本家なのは間違いのないことで、僕がやってたのは、それの簡易版ということなのだろうが……どれだけ探してもブラウザ版「Dead Ahead」の情報は皆無で、これ、ライセンスとかクリアになってるヤツなのかなあ、まさか「パクリゲー」が公式配信されていたなんてことはないよね……などと思っていた午前3時から、1時間だけうたた寝をして、起きてからはずっと、何を書こうか悩んでいた。

ということになっているが、実際、その時間の大半は、サンドウィッチマンのコントをユーチューブで見たり、東京03のコントをユーチューブで見たりしていた。結局、書き始められたのは9時ぐらいで、書き上がったのは11時だった。それから身支度をして出かけた。

伏線は「本当だよ」にあって、午後1時の綿半スーパーセンター東村山店では、本当に将棋を指していたから、勇気を出して声をかけ、そこに混ぜてもらった。5、6人のおじさんたちのなかで、後輩として可愛がってもらいながら、将棋の方では、苦戦しつつも運良く何局か勝つことができて、とても楽しい時間を過ごした。後輩という立場を全うする自分は生き生きとしていて、先輩よりも断然、性に合っているんだろうなと思った。年の離れた兄弟がいるからだろうか。
将棋クラブの名簿に名を連ね、会員証ももらってきた。基本的には、毎月第二土曜日に集まっているという。今日来ていなかった会員(10人近くいるらしい!)のなかには、さらに強い人がいるという噂で、「ドラゴンボール」みたいだなと思った。来月にはトーナメント方式の大会も行うとのことで、そこで優勝すれば、綿半グループが主催する将棋大会(会場は山梨!)に、代表者として出場できるという。
急にすごい話になってビビるが、久しぶりに詰将棋でも解いてやろうか、という気持ち。あと、久米川に他にも将棋クラブがあるらしく、そちらにもお誘いいただいたので、今度参加してみよう。(東村山周辺にお住みの方は、まず、綿半の将棋クラブに参加してみては?サービスカウンターで声をかけると、会員になる手続きができるようですよ。そして、上記のようなイベントの連絡がもらえたり、将棋盤を貸し出してもらえたりもするようですよ)

日の暮れかかった帰り道、1時間しか寝ていなかったのでフラフラになりながら僕は、ああ、人生を味わっているなあと思った。明日もまた、出かけなければ。

ブログ「いらけれ」

ショッピングセンターの明るさが、陳列されている商品を買えと、人々の無意識に訴えかけている。ここへ来るまでに、大声で「何か」を叫ぶ中年の男とすれ違った。ここ一か月で三度目だ。このようなケースに出くわすのは。この国は、静かに発狂し始めているのかもしれない。

一人のときは、大したことができない。そのように、肝に銘じておくべきだ。一人のときに、悪を執行できる人間には、一目置かなければならない。目には見えない大きな機械に組み込まれたとき、我々は意志を奪われる。大きな機械に動かされている、ということが分からない。大きな機械に許される。歯止めがきかなくなる。

自分に飽き始めているのかもしれない。

私たちは、その外へ出ることがなかった。私たちを結び付けていたのは、その外へ出なかったという一点だけだった。中にいた数分の内に、一気に強まった雨は、夕立と呼ぶのが憚られるほどだった。ドアに付いているボタンに軽く触れて、その外へと出てみる。屋根の向こう、上空では、ずっと雷鳴が轟いていた。音も光も、これまでの人生で一番の勢いだった。恐ろしかった。足元の排水溝からは、水が溢れ出していた。この雨は、一生降り止まないのだろうと思った。

施設内にあるコインランドリーの大きな窓ガラスから中を覗いて、備え付けられたモニターに映し出されているのがテレビ番組ではなく、洗濯機の使い方の説明ビデオであることに驚いたり、設置されているガチャガチャの機械に、おもちゃではなく柔軟剤シートというものが入っているらしいことに驚いたりしていたら、小学生ぐらいの女の子が数人、ドアを開けて出てきて、大きな声を上げて戻っていった。その後、同じぐらいの男の子が数人、雷に大きな声を上げている場面にも遭遇した。両者の姿には、変わりがないように思えた。

閉じ込められている人々は、不思議な高揚感を顔に湛えていた。だから私は、そこにいる人々の顔ばかり見ていたが、十数分後にすっかり晴れて、帰って次の日に、別のホームセンターですれ違った人に見覚えがあるといっても、前日に見た顔と、すぐにはつながらなかった。その後、図書館へ行って本を返却して、借りたいと思う本がなくて悩んで、うろうろと彷徨った末に、『ラブという薬』を借りて帰った。

だいぶ涼しくなってきたから、毎日がぬるいのも仕方のないことだ。何も起こらないのが日常の幸福で、だから、書くことがないのは良いことで、それでも書くことにしがみついていくしかないと思いながら、この先も暮らしていくのだろう。