過去、時間論を色々読んで、複数の考え方を学んだ。でも、だからってどうってことはない。どうってことのなさ。
例えば、過去は本当にあったのかどうかを問うもの。どうってことないってことだけが残る。
糸を切って、今だけがあるとしてだから何だ、という。
でも、何かにはなった、それでよかった。
本棚を探して、久しぶりに読み返してみようか。
過去、時間論を色々読んで、複数の考え方を学んだ。でも、だからってどうってことはない。どうってことのなさ。
例えば、過去は本当にあったのかどうかを問うもの。どうってことないってことだけが残る。
糸を切って、今だけがあるとしてだから何だ、という。
でも、何かにはなった、それでよかった。
本棚を探して、久しぶりに読み返してみようか。
ネットの記事、あるいはブログの多くを読めない。興味が続かないからで、途中でやめてしまう。
私の興味の話をしたい。
読み手として、書き手が迷っているのではないかと感じるような文章に惹かれる。
結論がないとか、論旨があいまいだということでは全然ない。
どう書けばいいのか、その決定的な方法はない。それを分かっていながら、それでもなんとかしようとして、だからこそ迷っているようなものだけが読める。
メジャー/マイナー、地上/地下含め現在すごい量のアイドルがいる。
特別にかわいい女の子がそんなにいるはずはない。
誰でもアイドルになれる時代。それは、誰もがアイドルと同じ評価軸で測られる時代だと思っている。
アイドルは、キャラや個性が評価され推される、そういうことも多いだろう。それこそ多様性で、美醜だけではない、とはいえ。
きっと先がある事象であって、その都度なにか思い、考えざるをえないのだろう。
ただ、ブサイクな僕が生きやすい世の中になればいいな、とは思う。
小説や映画の中には、テーマ性が強いものがある。また、そうでなくても、こういうことが言いたいのかなと感じたりする。
そこで示された意見や主張、作品の主題などがバッチリきてしまうことがある。
逆に、自分と合わないこともある。
意識せずとも、評価はしてしまうもの。もちろんそれは悪いことではない。
しかし、気に入った話の気に入りポイントや、気に入らない話の気に入らなさが、自分の考え方に起因している可能性はいくらでもある。そして、それはいくらでも変わりうるような脆いものだ。
「名作」や「傑作」という感想には、それに5つ星を与えたい「私」がいること(逆もまた然り)を忘れたくないなと思う。