ブログ「いらけれ」

人生のテーマがどこにあるのか。人生の真実とは何なのか。人生の実相は誰にも、分かろうとして分かるものではない。書くことが、それに漸近することだとしても、どうしても言いたいこと、言わなければならないことは、必ず向こうからやってくる。コントロール不能な、出会い頭の事故のような。僕たちができることは、来るべき「その時」のために、普段から不断のウォーミングアップしておくことぐらいだろう。言葉が別の言葉につながる「その時」まで。

八時間の労働を終え、朝から迷っていたが(「auマンデイで1000円で見られるけど……仕事終わりは疲れてるだろうしな……22時30分スタートだと終わるの遅くなるしなあ……」)、面白そうな方に行くことに決めたので、「カメラを止めるな!」をTOHOシネマズ新宿で見てきた。まだ労働二日目だというのに、頑張ってしまったのである。
で、映画だが、ネタバレしていなくても、「ネタバレ禁止」という言葉を使うことで、もうネタバレしてるようなところもあるし、「そういうどんでん返しがある映画」ってことも伝えてしまっているわけで、それが先入観になるって部分も大きいわけだが、でも、それでも「カメラを止めるな!」は、そういう先入観や期待を超えて面白かった。ネタのみならず、演出や演技も良いなと思えた映画だったし、あの映画が作られるクリエイションの現場に居たかったと、表現者なら思うのではないかという、そういう力を持った映画だと思った。そらTシャツも売れるでしょう(私も欲しい)。
それで終わって、走って、思い出しながら走って、24時20分終演で、西武新宿24時28分の電車に間に合った。けっこうなダッシュだった。面白いものを見ると元気が出る。家へ帰れる終電一本前の、その電車に一生懸命走って乗って、帰ってからしたのは、残り物の一つに固まってしまった素麺をほぐして食べることだった。走った意味、あったのか……?

所要のメールで「○○さん、お疲れ様です。後藤です。」と打ち込もうとするたびに、「です」を「でうす」と間違えて、それで変換して、「後藤デウス」ってなって、休憩時間にコンビニに行く道すがら「後藤デウス……」とあらぬ方見上げてデウス(=神)のことを考えたりしている人のブログが面白いわけないじゃないですか!

「日本列島“密漁”最前線!」TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」
密漁の話(そんなに稼げるんだ……)も面白かったんだけど。そんなことよりナマコ、砂食ってんのか……。毒があって魚に食われず、逃げなくていいからほとんど筋肉もなく、エネルギーを使わないし、砂の上にいて砂食ってて餌もいらないから、感覚器官も脳も心臓もないナマコ……。未来の人間の姿を見た。

ブログ「いらけれ」

『南の思想』を読み終えた。現代と人生に対する思想的探求の痕跡としてあったその本は、啓蒙的でも啓発的でもあって、読むことによって世界への理解が深まった(気がしている)。あまりに素晴らしかったので、せめてその一部でもと、本の訳者による著者へのインタビュー部分から、かなり長いが抜粋して引用(の範囲を超えている気がするけど)してみよう。イタリアで行われている、伝統を再評価するイベントに、ミュージシャンたちが参加しているという話題から。273-4ページより。

「タランチュラの夜」は、伝統の再発見でもありますが、再発見される伝統は不変の伝統ではありません。なぜなら、このイベントは過去の音楽を現代の音楽と関連させる力をもっているからです。この祭りに、さまざまな音楽を横断して新しい音を目指してきた、新しい音楽の形態をつくろうとしているミュージシャンたちが参加するのは、偶然ではないです。ワールドミュージックの制作は知的な作業の多くのヒントになりそうです。ワールドミュージックの制作も二つの異なった、しかし依存関係にあるプロセスを包含しているのです。一方では、あなたは自分の音楽を世界の音楽のなかに入れることができるが、もう一方では、世界の音楽が自分の音楽のなかに入っていくのです。このプロセスでは、あなたの声、あなたの音色が他の人とあなたを差異化しますが、それと同時に、あなたが世界の音楽のなかに入っているということで、これらの音楽があなたの伝統との関係を豊かに、ダイナミックなものににするのです。自分を喪失しないで、自分を他人に植民地化されないで、また、従属的な同質化もアイデンティティーの自閉も回避しながら、グローバリゼーションのただ中にいる――このゲームで敗北しないためには、他者と連結を結んで、地域主義とナショナリズムを乗り越え、自分の魂を広くしなければなりません。

一読すればお分かりだろうが、「音楽」を「文章を書くこと」に置き換えられそうだということも、この部分を引用した理由の一つだが、それだけじゃない。「自分を喪失しないで~」以降の文章がそのまま、この本の主張を、テーマを、完結に説明していると思ったからだ。いかに「過度」、「原理主義」を逃れ、「適度」を実現するのかということ。
読書に満足しながら、読後に陶然としながら『南の思想』を返却しに初めて行った市内の図書館には、読みたい本が一つもなくて、そのことにとても驚いた。図書館のラインナップの差異……今度はまた別の、まだ行ったことのない図書館に行ってみよう。

「アマゾンでウォッカを」って、なにかキザな言葉を書いたんじゃない。あのウェブサイトのアマゾンで、安いウォッカを注文したのだ。配達されしだい飲んで、飲みながら生きて、飲みながら書いてやろうと思っている。あと、モバイルバッテリーを買った。2000円以上の注文で送料無料になるからっていうのもあるし、仕事に行くと意外とスマホの電池が足りなくなることが分かったから。だいたい、いろんなことが意外で、思ってもみないことばかりで、何事も試してみるまで分からないことばかりだと、心に留めておく必要がある。

「村上RADIO~RUN&SONGS~」
「こんばんは、村上春樹です」の第一声で爆笑してしまった。すっごい素人のおじさんが、普通のおじさんがそこにいるって感じなわけだが、だいたいの人が普通のおじさんなわけで、でも普通のおじさんはラジオの冠番組とか持てないから、その違和感と言うか、見つかっちゃった感が面白かった。

ブログ「いらけれ」

業務上のことは守秘義務で何も書けません!それはつまり、何も書けないということです。
手足を縛られ、時間と経験を盗まれたブログ伯爵が、この後それにどう立ち向かっていくのか、子供向けアニメなら解決しても、現実は現実以上でも以下でもない現実。多分文字数が少なくなるよ。

ここ数日読んでいる『南の思想』という本が、めっちゃおもろいから、日本中に配りたい。日本中とまで言わなくても、友人にスキャンして送りたい。法律があるから、もちろんそんなことはできない。webページだったら、ツイッターでもなんでもシェアできるのに。でもそれは、見られるほどに儲かる広告システムがあるからで、本はそうじゃないし。とはいえ、『やっぱり本って……(以下自粛)』と心の中で思ってしまったのは事実だ。

ものすごく焦っている。細かい仕事をやる。単純作業をする。逆に、ものすごい暇である。
生きてきた労働の場面において、あの店先、オフィス、倉庫の中で、考えず働けている間はなんでもない。でも、なんでもない時間が裏返って、「なにやってんだろう」って思うときがある。
カメラが遠くなっていく感じ、分からない?焦ってようが、没入してようが、持て余して時間つぶししてようが、どれでも全部、ぼくのやりたいことではないわけで、そこではぼくの人生は、ぼくの人生ではない。それは他の人生を生きることでもなくて……。
でも、あの「なにやってんだろう」は、自分の人生を生きたいとか、夢とか希望とか、そういうことでもない。それは、「やりたいことをやろうが、なにしようが、そんなこと宇宙の時間の中にあっては、どうでもいいこと」だという、真理の理解に由来するものだ……。
目の前の現実と、宇宙創成からの時間が、中間項なしにつながる瞬間に、ぼくの中にセカイが生じる。

とにかくアルコールが、高いアルコール度数が、今の俺には必要だ。酔いどれ作家にならなければいけない(酔っているくらいじゃないと何一つ書けないじゃないか!)。理由はそれだけじゃない。やり過ごすってわけじゃないんだぜ。俺たちは不利な条件を飲まされて、押さえつけられながら仕事をしている。俺たちの命を人質にしてな。クソったれ!だからアルコールなのさ。酒は精神安定剤じゃない。睡眠導入剤でもない。怒りに再点火するためのガソリンだ。馴らされちゃいないか?拳を握って、人生をそこから始めるんだ、今。


TOMOVSKY – 我に返るスキマを埋めろ(PV)

もう何年も前に、トモフスキーを知って、この曲を好きになった。どうやって知ったのだったか、それは思い出せないけれど、今日この動画を貼った理由はハッキリしていて、ランダム再生で流れて来たから。

ブログ「いらけれ」

先日公開いたしました「特別編-対話のボイスメモ#4:ボイスメモを公開する。」の、放送後記的なものです。第四回、この特別編の最終回です(うぅ寂しい)。
「難しい話なんてごめんだ」ってリスナーたちにはぜひ聞いてほしい。今回は頭を使わなくてすむよ!

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帽子の話
「名取裕子に追い詰められそう」な「物陰から見る犯人」が被ってそうな、黒いアディダスの帽子について、その話をしてしまう?西友や近くのホームセンターに無骨な、現場作業用のもっと自分好みな帽子が、半額以下の値段で売っていて切なくなったって、その話をしてしまう?とにかく、みなさんには被っているその姿を見せたいのだけど、僕はほら、みなさんの(想像の中に生きる)アイドルだからさ。その姿を見せるわけにはいかないのでゴメンナサイ。もしあれだったら、ラジオのゲストに来てくれるなら、見せてあげてもいいぞ☆

好きなもののコーナー
「今じゃなきゃダメ」ってわけじゃないから、とにかく好きなものから、「あ、いいな」ってものまで。

ファンタスティックしほ

『ピンポン』

『愛と呪い』

『映像研には手を出すな』

『放浪息子』

好きなものは好き問題について
「好きなものは好き問題」というのがあると思うんです。で、結構由々しき問題だと思っているんです。
人が何のファンになるのは、かなり偶発的なキッカケによるのに、最近の傾向として、自分が好きじゃないもの(嫌いということではなくて)にたいして、アウトオブ眼中というか、無視するような感じってあると思っていて、世界と人間を豊かにするのは、偶発的な出会いなのだから、未知のものに心を開いておくことは大事だと思うのだけどなあ、と。「開かれるためには?」という対応策は、思い浮かんではいないんだけどね。

次回以降について
準レギュラーも決まったことですし?やっぱり、表現活動の砦として、ここは続けていくべきなのだろうとも思います。ただ、スカイプ等でこういった話をするのは〈実家〉という場所の性質上難しい(頭がおかしくなったと思われるので)しなー、一人で部屋でしゃべるの大変だしなーと、内側の番組内容の問題というより、外側の録音環境の問題が大きいんですよねえ。でも、とにかく対話が楽しかったので、僕のエゴで、また特別編も収録したいと思いますが……まだ全ては未定です。
もし、この特別編を聞いての感想やご意見がありましたら、ぜひコメント欄、もしくはtgoto27@gmail.comまでお寄せください。あなたのコメントが、応援が、次の回を録る力になります!なにとぞ、よろしくお願いします。