ブログ「いらけれ」

朝から停電。困ったかというと自由になった。やることがない、いや、やらなければならないことができない、それが自分のせいではないという、その状況がよかった。スマホで将棋を指したら連勝した。復旧後にも指し続けていたら、連敗した。
停電には、なってみないと分からないことがある。例えば、停電理由が分からない不安とか、復旧しても電話線の方がダメなのか、固定電話やネットがすぐにはつながらなかったりとか。予測することや、準備することも必要だが、分からないと思っておくことの方が、きっと大事だ。

ポッドキャストでBluetoothイヤホンが壊れたって言ったけど、3日くらい時間をおいて、再起動リセットしたら直った。通販で頼んだ2枚のCDは、送料無料のために抱き合わせで買った方は入荷できずにキャンセル、返金されて、本命だった方だけ送料無料で発送された。こう良いことばかり続くので(よ~く見ると、良いことではないのでは…)、勇気を出して、ずっと行ってみたかった参加型イベントに申し込んだ。俺、ルンルンである。

大人なら誰もが最古の記憶を持っている。最古の記憶は、しかし、幼少期に経験したその時に生まれたわけではない。刻み込まれていた出来事は、「ねえ、最初の記憶は何?」などという、つまらない飲み会でされるような問いかけによって、そこで思い出してみることによって、初めて記憶として生成される。記憶は出来事とイコールではない。出来事を材料に作られた生成物なのである。

ヤマテツとマツケン引退か、というのはヤクルトスワローズの選手の話。全盛期は毎日、毎日黙々と投げていた二人。好きな選手だっただけに、悲しい。
「WOWOWぷらすと」が終わりを迎える(ぷらすと自体は、親元を変えて続くとはいえ)。東京ポッド許可局→マキタスポーツ司会だからっていう理由で、初期Ustreamで配信されていたころから見ていたから、やっぱり寂しい。映画を見るようになったのもそうだし、もっと観念的なところで、例えば「父と映画」という回の大谷ノブ彦の話とか、人生にデカい影響を与えた番組だった。エンターテイメントを語る、語ってもいいんだという構えを作ってもらったと思うし、僕がブログとかポッドキャストを始めたキッカケにもなったと思うし。いつか出演したいと思っていたのにな。
これはもう終わってしまっていたものの話。「ファミ通WaveDVD」関係者の同窓会的なものが開かれていたらしいとTwitterで見た。「ファミ通WaveDVD」は僕の青春だった。○○タイムの催眠術の回は何度も見た。売れる前の星野源を初めて見た。ポッドキャストも楽しみだった。
終わってしまったものは終わってしまった。新しいものを見つけろっていうのはもっともだ。でも僕は、そんな訳知り顔はしない。終わってしまったものが、新しいものより大事なんだ。僕は、終わってしまった過去を生きる。

ブログ「いらけれ」

西武新宿駅の、あの外から二階に上がるエレベーターの隣で、西武ライオンズの試合をパブリックビューイングしている(もうすぐ優勝だからね)。人だかりを避けて、エレベーターに乗っていたら、おじさんが「ょおssし!」というような、表記できない奇声を上げていた。思うに、そこでは奇声を上げることこそが主で、試合結果は二の次になっている。おじさん、奇声をあげるキッカケがほしかったのではないか。抑圧、抑圧、あらゆる抑圧とストレスに対して、私たちはブチキレたいけど、それも抑圧している。だから、ストレスの発散になるならなんでもいいし、解消のためならなんでも使う。ストレスがあることこそがおかしいと気づき、抑圧されないような暮らしを目指すようなことはせずに。

やつが久しぶりに来た。しかも、朝の電車の中で。ドア際に立って、ラジオを聞いている普通の朝だった。普通の朝のはずだった。急行でパニックが来る怖さはとてつもない。薬だって忘れずに飲んだのに。必要以上にゆっくりと、カバンからお茶を出して、落ち着き払った風に飲む。走っている電車の中で、急に青ざめてペットボトルを取り出したのだ、落ち着いているわけがない。
パニック障害は、特別が起こす病だ。息が苦しくなるたびに、今までの経験を思い出す。毎回死ななかったし、毎回なんでもなくなった。そんなことは分かっている。でも毎回、「絶対に今回の苦しさは特別で、今回のコレで死ぬ」って思う。パニック障害じゃなくて、心臓病とかじゃないかって思う、毎回。
ありきたりの一回が、その渦中にいる人には特別に見える。これは、すべての現実がそうだ。毎回、今回の恋人こそは特別だって思って、蜜月が終わったあとに振り返れば、ただの一回の恋愛に収まってしまう。本当に特別な瞬間なんて、そうそうないと知りながら、それでも勘違いをせずにいられないのが人間で、人生だ。
こういうことを考えられるから、文学者にとって、パニック障害はごちそうだと思うことにした。味わいつくさなければ、もったいない。

映画館に行きたい。映画館に行くと幸福度が上がるという調査を見た気がする。映画館に行きたい。我慢しているのは、お金がないから。この驚くべきことの起こる職場で、薄給で、ものを書いていていいのだろうか。ところで、書きたいものを書くとアクセス0で、書きたくないもののアクセスが万っていうのは悲しいものがあるね(もちろん、書かれている場所の差もデカいのだけれど)。早く違う仕事を掛け持たなければ。お金のなさに精神的に追い詰められてきているし、やめてもこっちがあるって思うために。


泉まくら『明日を待っている』 pro.by LIBRO

いつからかな?
まだ起こってもないことに苦しんだり
こんな心でも分かるように
take it easy 言い聞かせてる

ブログ「いらけれ」

「2018/09/26 今日のボイスメモ」
僕のやっているポッドキャストが更新されました。楽しみにしている方、おめでとうございます(そんな人はいない)。今回はおじいさんとの戦いに勝って、というか、ただ帰るまでやり過ごして、録音した20分ほどの音声ですが、大した話はしていないので、僕のファンの方に聞いていただければと(そんな人はいない)。
しかし、あまりに広がりを見せないこの現状はどうすべきなのかということ。アップルから来ていた英文メールをグーグル翻訳したところ、なんかポッドキャストのマーケティングのベストプラクティス云々って書いてあったから、アップルさんになんとかしてもらった方がいいのだろうか。いや、そうではないだろう。
多分、半分匿名とかいう、この中途半端な姿勢がよくないのだ。僕は、新しく生まれ変わらなければならない(でなければ死んでしまう!)。動かなければならない、半分強迫的にそう思う。

批評家たちが現代の批評と、批評家たちについて語っているのを「ほー」と楽しみながらも、難しいなーと思った。難しいのは内容ではなくて、時代についてだ。
大体において、いつだっておおらかな僕でも、語っている、時には批判しているその人自身に対して「お前どうなん?」って思ってしまう、中には現在進行形で問題になっている人もいたりするとね。よく言う「自分を括弧に入れた」発言っていうのは、今では無理なのかもしれない。言われた言葉と、言っている人が、分かちがたく結びついてしまうとき、それもネット的ツッコミの目にさらされてしまうとき、それは悪いことばかりではないとしても、もちろん害もあるだろう。

ベンチに座ったら喉がいがらっぽくて唾を吐いたとき、そこに生えていたシロツメクサが目に映ったときのことを思い出したら、その記憶は、シロツメクサの上を飛ぶトンボと結びついた。今日は、トンボは、帰り道に死んでいた。くしゃっとなったそれはハチかと思ったら、長い胴体があって、羽は半透明だった。トンボは幼少期から無数に見たけど、トンボの死体を見たことはなかった。だからトンボは死なないと思っていたわけではなかったが、その姿を見てショックを受けた。

後からまとめて見る人っていうのは残酷で、誰某が、最初は良いって言ってたのをここでは悪いって言っているとか、右が左とか、色んなことが分かってしまうと同時に、そこに流れていた時間を無視して、変わるに至った経緯を無視して、分かった気になってしまうわけだけど、でも、それもしょうがないのだ、そういう構造が世界だから。環境や構造に左右されるのが人間だから。僕はだから、一方では社会反映論を否定しながら、現実と関わらなければならないと言う人に対しても、全部を分かったつもりにならないでいようと思う。

ブログ「いらけれ」

下らない金稼ぎは、何が無くなるとか消えるとか、そんなこと言ったって、結局、新しいところでまた復活するだけだ。それがしょうもない現実だって分かって、それでも何かをしたいのならば、ロマンティック承知で、持ち場で頑張るしかないでしょうと思う(ルポライターの鈴木大介さんのツイートは感動的で、非常に啓発されている)。僕はまだ向こう側の人間で、お金がないからしょうがないでしょとか思っているぐずで、本当は違うことしたいんだよって思っている。
いつだって仕事やめてやるって思っていなければな、自分!今月いくら稼いだとかいって、安心しているけれど、よく考えるまでもなく薄給だしな(薄給はハッキュウであってFワードではないぞ)。それに、やりたいことでもないのだろう?意志がなければならない。

この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?

舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』

色んな人の読んでほしいので、試行錯誤を続けなければならない。それで、思いついちゃったので、またサイトをいじろうと思う。それに合わせて、ツイッターの使い方も変えていこうと思う。こう宣言すれば、未来のいつかの自分がやってくれるだろう。
追記:さっそく、ほったらかしにしていた旧アカウントの方を再起動させた。これからはそちらとも連動していこうと思うし、ツイッターに実存をかけていこうと思う。エモくなければ、生き抜いていけないからさ。それで、また新しい動きをしてみたりして、「動かなかったらそのまま」というのは焦りでしかないとしても、自分から動くことで切り拓いて生きたい。自分を活かすために。

書くものを書きたいものにするために、企画を提案するときに少しだけ自分の色を入れてみた。もちろん、書かせてもらえないかもしれないけれど、そうやって"領土"を広げていく野心がないのならば、本当に今やっていることが労働になってしまう。仕事という言葉には、ただの金儲けとは違う意味も宿っていて、だからパンを食べたエネルギーを文字に変えている、その文字の連なりを有意義なものにするために、といって最初の文章に戻る。

メタリックな時代、デスクトップ、プラスチック。酔った人間の与太話でも、その人に興味があれば聞けるのだなと思った午前4時には、「あいつはアイドル〈偶像〉である」と言っているその人自身がアイドル的な受け取られ方をしていることについてどう思っているのかが分からない。


毛玉 – タイガー・アイランド / Kedama- TIGER ISLAND

本当に良い曲ですよね。毛玉大好き。PVも面白いと思うし。僕も虎になってもかまわないよ!!