ブログ「いらけれ」

音声コンテンツを作りたい、ポッドキャスト配信するしない?という感じなのだが、なかなかね。心だけじゃなくて、体を動かさなければならないからね。相方ができたら、かなあ。だとしたら、死ぬまで無理かな。

小さい山しか登りません。頑張らない。人生の方向性を決めた。貯めたポイントは、なるべくアマゾンギフト券ではなく、楽天ポイントか現金に換え、ちょびリッチを経由して楽天で買い物をすることで、ちょびリッチのランクを上げていく方向に決めた。
自分が使っているポイントサイトのなかでは、ちょびリッチは既にかなりお得で、さらに会員ランクを上げていけば、ポイントが増量されていくというシステムなのだ。こんなこと、普通に生きている人は知らなくていいことだよ。普通の人々に先駆けて僕は、貯まっていた楽天ポイントを使って、この前注文したミックスナッツが少なくなってきたから、同じ店から新しくわさび風味のミックスナッツを買った。これでもポイントは貯まる。それでまた、獲得したちょびリッチポイントを楽天ポイントに変えて、それを使っても買い物してもちょびリッチポイントが貯まるので、つまりポイントが貯まりまくるわけだ。普通の人はそんなことより、どの仕事が給料が高いか知るべきだ。
あと、アンケートサイトのマクロミルというところで、肉が当たった。こちらもランク制度があって、ランクによって申し込めるプレゼントが違うんだけど、ダイヤモンドランクの僕は高級肉を選んで、それで当選したらしい。マクロミルは、アンケート数も多く比較的ポイントが貯まりやすいのでオススメだ……って肉をもらってしまったことによる忠誠心。いただいたお肉の味は、後日ご報告いたします。

取り壊された駐車場のことを、それがあったときに目障りだと思ったことも、いかめしい存在だと思ったことも、一度だってなかった。けれど解体が終わって、覆いまでなくなって、今ここから、それまでは見えなかった大通りの向こうのマンションが見えるようになって、僕は、信じられないほどの爽快感を感じている。あまりの気持ちよさに、声が出そうになる。将来が心配だとか、恋人がいないことが辛いだとか、本当は、家の隣にマンションがただ建っているだけのことが、憂鬱の原因だったりするのかもしれない。

それが嫌なら金払えってことなんだろうけど、ユーチューブの動画に挟まる広告の量と長さが、バシバシ増えていて、プレミアム会員になっても、ならずに広告にイライラしても、つまるところユーチューブが儲かる。それなしではいられない体にしておいて、どっぷりと浸からせたところで税金を上げちゃうという、タバコに似ているなと思う。お金を儲けたいと思ったら、まず、ユーザーを依存症にするのが正しい。お酒とかギャンブルだけじゃなくて、アイドルだってソシャゲだって、言わずもがなそうで、人間を破滅させるシステムをいかにキレイにラッピングするかってことに、みんな謀をめぐらしているわけでしょう?

ブログ「いらけれ」

何か言おうと思ってやめて、そのまま忘れた。

花粉症がひどくて、それで今年から「アレルビ」という薬を飲むようになった。効き目があるのかどうか、飲んでいる自分でも分からないけれど、飲まないよりはましだと思うから、約1300円のそれをアマゾンで買おうとしたら、2000円以上買わないと送料がかかるというので、とりあえずそのままにして、家の近くのいろんなドラッグストアを回ったが、アレルビは置いてなかったし、代わりになるぐらい安い薬もなかった。

なぜないか、検索して分かったのは、取り扱っている店が限られているということで、ココカラファインでは置いてあるという情報を見つけたので、武蔵大和駅まで歩くことにする。少し遠いけれど、アンケートサイトのポイントをお金に交換して、三井住友銀行に振り込んでいたものの、ATMの手数料をケチって引き出せていなかったから、その用事も一緒に済ましてしまおう、ちょうどいいやと思った。

歩く三月の暖かさ。薄い緑の上着を脱ぐ暖かさ。すれ違う者たちの、装いの厚さの疎らさ。そうだ、auのクーポンが当たっていた。ローソンの100円菓子も、もらって帰ろう。40分ぐらいあるいて、到着したドラッグストア。アレルビはあったが、同じ56錠入りで2500円ぐらいで驚く。単純に、インターネットで買うのと倍違うのは、どういうことなのだろう。ネットが使えない人は、問答無用で高い物しか買えないのか。

ローソンではポテトチップスをもらい、お昼時だったが、当たり前のように知らない店には入れず、家に帰ってきて、パンとかラーメンとかもあったのにレトルトカレーを選んだのは、街中にたくさんあるインドやネパールの国旗をあしらったカレー屋の前を通るたびに、入ろうか迷っていたからだと思う。そのことは、トップバリュのカレー中辛(甘い!)を食べながら気づいたわけだが、ここまで馬鹿な人間でも生きているというのは恐るべきことだ。

君には教えていなかったけど、僕は、廻田図書館にも行っていたんだ、こっそりとね。僕は、子どものころは、その近くに住んでいたはずだから、行ったこともあるはずだけど、久しぶりすぎて、初めてみたいだったけど、館内の一角に和室みたいなスペースがあるのを見て、懐かしいという気持ちになったこの懐かしさは本物?それとも、ねつ造した記憶?
そこにあった本は、なかなかに興味深くって、僕は、返していない本が借りたままだから、僕は借りることはなかったけれど、新しい本の背表紙は、それだけで何かを考えさせるようで僕は、また来ようと思った。僕が、僕にとって面白い本が読めるかもしれないということが、ただそれだけで嬉しかった。
関係ないけれどアレルビは、夜に僕が、700円ぐらいの一緒に買うものを探して、長嶋有のエッセイ集をカートに入れたらあと7円足りなくて、他の物にしようか、何か安いものを買い足そうか、こういうときは電池か、電池いらないな、などと迷っている間に、アマゾンじゃないところから新たに出品(?)されて、それまでより数十円安くなって、しかも送料がかからなくなっていた。

僕にとっては、もう、すべてが邪魔だ。

ブログ「いらけれ」

(承前)実際にそこで何があり、どんな企業が来ていたのかって、調べれば分かりそうだから、書かないという優しさ。しかし、なんか「優良企業を集めました」みたいな触れ込みだった気がしたのだが、平成も終わるっていうのにどれも労働条件が酷くて、この社会に未来はないのでは?という思いを強くした。

こういう場に行くといつも思うことを、細心の注意を払うことなく書いていこうと思う。就職活動というものを、僕らはさせられておるわけだが、なかには、ここにいてもしょうがないのでは?というような人が必ず混ざっている。
それは彼/彼女たちの挙動や発話、メモの文字などが、"就活"における明示的な/暗黙のルールから逸脱することで、僕に示される。僕は、すべてを分析、分類して、名前を付けて理解することに対して、とても警戒している人間だということは、先に述べなければならない。その上で、彼/彼女たちは、現代では「発達障害」と呼ばれる障害を持っている、といって差し支えないのだろうと思う。


僕が考える問題は二つある。まず一つ。そんな彼/彼女たちが、"就活"をしたいと思うのならば、すればいいと思うのだが、僕たちが共有しているコードから外れているのは明白で、つまり、決して受かることがない、ということ。そして、そのことを伝えるべきなのか、ということ。明らかに向いていないことだとしても、それでもチャレンジしてみるということが、彼/彼女たちにとって大きな財産になるかもしれず、それ自体は、悪いと言い切ることはできない。しかし、そのままでは駄目なことは明らかなわけで、そのことをキッパリ伝えて、無理やりにでも就活生らしく矯正(?)し、面接に受かればいいかというと、僕はそう思わないというか、簡単には頷くことができない。
そして、彼/彼女たちは、"就活"というシステムに乗って、"就活"で見つかるような企業を受けるのではなく、それぞれの特性に合った職場、彼/彼女らが働きやすい環境と出会えることが重要だと思うわけだが、そうした支援の仕組みは、果たしてどこにあるのか、という問題。結局、就職支援だなんだといっても、僕が知っている限りでは、予め想定される"就活"の理想像にいかに近づけるか、というようなことを押し付けられるわけで、そこでは幸せになれない人が、じゃあ次にどこへ行ったらいいのか、誰がサポートしてくれるのかというように、まったく先がなくなってしまう。

人のことなんて考えてないで、まず自分をどうにかしたほうがいいのだろう。イベントが終わって、くさくさした気持ちのまま外に出たが、夕飯を食べる店が見つからず(正確には、知らない店に入る勇気が一切出ず)、1時間彷徨った後に、小諸そばの天丼を食べて著しくガッカリし、東京都の就職支援施設の入ったビルに戻り、就職カウンセリングが始まる時間まで、上の方の階にある休憩スペースに座って、そんなことを考えていた。
でもまあ、アウトサイダーでしかない僕が、このように苦しい人生を送るのはしょうがない。真っ先に僕がやるべきことは、明日更新されるブログを書くことなのだ。そう思ったから、そこで、スマートフォンで「clever ain’t wise」は書かれた。だから違和感のある文章になっており、そのことに気づいた人がいたとしたら、もうその人は、このブログのマニアだといっていいだろう。

ブログ「いらけれ」


「現在位置~You are here~」スネオヘアー

決まったように向かう先に
吸い込まれる人たちに

スーツを着る。潜水服のようだ。締め付けられて、どんどん息苦しい場所に潜っていくかのようだ。「この日、スーツだわ」というと、母は少し張り切って、奥にしまってあった一張羅を引っ張りだしてくれる。そのことに、居心地が悪くなる。こういう甘えた暮らしを続けていたら、私はずっとこのままだという気がする。もう二度と着ないと思っていたそいつは、そこまで太っていなかった私のおかげで、捨てられることを逃れた。

ベルトをまじまじと見る。真ん中の辺りに、切れ目が入っていたから。折って置いておいたからだろうか。使ってなかったものを、急に使おうとすると、思いもよらないことが起こりがち。新しいの、買っておかないと(その数日後の私は、しまむらで700円ぐらいの黒いベルトを買った)。だいたいの準備を終え、明るい色のネクタイを首元に一周させたところで、頭の中には結び方がなくて焦る。デジタル時計のイメージが鮮烈に浮かび、タイムリミットが迫ってくることを教える。何度か手を動かしていると、それらしいものになる。もう少し、ちょっと違うと試行錯誤するうちに、毎日スーツで出勤していたころのことを思い出している。あの頃の私の方が、今の私よりも確実に立派。辛かった記憶と一緒に、手順を完全に思い出して、ウインザーノットの結び目が出来る。私は、この結び方しか知らない。

圧倒的な不自由を感じる。いつまでたっても、スーツというものを理解できない。いや、その見た目のカッコよさについては、それなりに同意するが、"就職活動"とやらにおいて、あるいは、おおよそのビジネスにおいて、それを着ていなければならない理由が分からないというか。だって、不自由じゃない。静寂とは正反対の地下鉄の車内で、『静寂とは』という本を読み始め、これから先に何が書かれているのかが楽しみだったときは、それなりに元気だった。駅を出て歩き、ビルに到着したらすぐに開場時間となったようで、イベントのある地下講堂へ、それまで待っていた人の背中を見ながら、階段を降りていったとき私は、はっきりとうんざりした。クラクラした。

知らなかったのだが、そのイベントの前半部には、就活セミナーと呼ばれるようなものがくっついていて、それにも私は辟易した。もう一度、こんな場に来る羽目になるなんて、思ってもみなかったことだ。私は、数年前に何度も、同じような内容のセミナーに出て、話を聞いていた。それは、どうしても正社員として働かなければならないと思っていたからだ。そして後悔した。就活セミナーの先にある就職の、その先にある人生は、こまで行っても、マナーという名目でくだらない決まりを守るような、忌々しいマインドに縛られていると感じたからだ。これらを放棄し、あるいは積極的に敵とみなしたから、私はブログを書いている。ここが守るべき砦なのだと、私は強く信じているようだったから、とてもつまらなそうな顔しかできずに、そこに座っていた。