ブログ「いらけれ」

私は6階建ての雑居ビルで、朝に一人だった。立ち上がろうとするパソコンを尻目に立ち上がり、入ったトイレは居酒屋のトイレぐらいの大きさだった。下ろしたズボンを履き直す頃には、ごおおという音がして、「ケツを離すと勝手に水が流れる 地獄」と思った。これは自由律俳句のようなものかしら。

通勤の電車では、主に小説を読んでいる。今はタブッキ『供述によるとペレイラは……』で、まだ途中なんだけど、街を、街に吹く風を、街の温度を、あっさり「すばらしい」と言い切っていて、ああ「すばらしい」と言い切っていいんだと知る。たしかに、「きらきらしていてすばらしい」って形容するほかない陽気の一日は、こんな私にだってあった。
座れたら紙の本を読むことにしている。一つ前の紙はペレーヴィン『宇宙飛行士オモン・ラー』だった。社会主義とか胡蝶の夢とかいろいろ、そういうテーマはあるとして、なによりも人生の真実が書かれているのがよかった。「人生はやわらかな緑の奇跡だ」。

座れなかったら電子を読むことにしていて、ブルボン小林『マンガホニャララ』を読んでいると、こういう物の見方をしたいなあって思う。藤子・F・不二雄論に出てくる「東京学芸大学の元学生鈴木」さんって、あのスズキさんかなと思う。
ボンコバ風の脳で、井戸川射子『ここはとても速い川』を読んだ。選考委員と受賞者。保坂和志が配信で、状況が不安定だからそれだけでサスペンスになってる、みたいなことを言っていた(ちなみに、自分の小説が判で押したように「何も起こらない」と評されることについて、「人が死なないと何も起こらないのか」と言っていて面白かった)が、それは併録されている「膨張」もそうだよね、だから同じ話なのかもしれない。同じことを言っている気もしたし。読んでいる間は面白かったが、面白いだけなら評論だって批評だって、お笑いだって面白くて、なんで小説を読んでいるのだろう。わからないけれど、ネット番組で「サッカー人気を上げるためには」みたいなテーマの話の結論が「お母さんを取り込むべき」だったとき、ああ、これを見たら彼らはまた気まずい思いをする、少しだけそう思って、あれは小説が画面をはみ出した瞬間なのかもしれなかった。
今は絲山秋子『逃亡くそたわけ』を再読しているが、精神の病が再現されていて、やっぱり恐ろしい。

良い小説は嘘だけど「ほんとう」だ。

それで、実は小説の間に納富信留『対話の技法』も読んでいて、これについて言いたいことがあったのだけれど、今日はそこまで届かなかった。私が考えたいのは、対話それ自体についてではなく、なぜ対話が必要だとか大事だとか言ってしまうのかということであり、そういった言説を突き破った先に朝があるはずで、目が覚めたら、支度して仕事に行く。

ブログ「いらけれ」

採用されて初めにパソコンを買った。モニターも入れて十五万だったから買うときはドキドキした。結局ウェブカメラも必要だとか、何かとお金が使われていった。会社に着ていく服も買って私は、服を買わないできたから貯金できていたんだなと思った。ウェブカメラは千四百円で二個買えた。ユニクロのシャツの半分で、二個。打ち合わせに行ったら、服は何でもいいと言われた。どうやらそれは本当にそうらしかった。ジーンズでもアロハシャツでもよさそうだった。それでも服を買ってよかったと思う。着る服を選んで、それにアイロンをかけて、それを着て私は私の人生を生きるのだ。今日までに何度か死のうと思ったが思っただけで、それもどうかなと思ったからやめたが、思ったというだけで大変なことで、私は、生きている意味のない私は、生きる価値のない人間だと思った。そういう自分自身の気持ちと戦うのが一番大変で、一番大切なことだ。私が素晴らしい私になり、素晴らしい私でいるために、私は私と戦う。高いパソコンにはマインクラフトが付属していたので、そこでは主にクリーパーと戦っている。地図を持たずに拠点を出て、森のなかで途方に暮れている。高台に出て、夕日に見とれている。日の出る方に進んできたのだから、沈む方に帰ればいい。そうやって一歩を踏みだしている。

ブログ「いらけれ」

本を読んでいるうちに眠っていて、目が覚めたら2020年が終わっていて、少し安心したような気持ちになった。いろいろなことがあって、それでも12月には希望も見えて、人のことを思うような心持ちにもなって、結果的には、ちょっとだけ人らしくなれた年だったけれど、やっぱり少し安心した。だからもう一度眠った。

二度目の目覚めで朝が終わっている。志村けんが死んだから、戦うお正月が所ジョージがメインの番組に変わっている。大根と人参と牛蒡を切る。今の十代は新春かくし芸大会を知らないという。雑煮用の鶏肉は、あらかじめ切られている。堺正章のテーブルクロス引きを思い出していたら、出汁が沸騰する。切り餅を魚焼きグリルで焼く。

初めて餅を焼いたときに燃やした。ふくらんだ餅がグリルの天井に届いて火がついたらしい。期待に胸を膨らませながら、グリルをガラガラと引き出して驚いた。ボヤだった。ボヤだなあと思いながらも、体はすぐには動かなかった。計量カップに水を入れて、ばしゃっと消火したら、真っ黒な餅が顔を出した。焦げてるなあと思った。

出来上がった雑煮は美味しかった。家庭料理に才能はいらない。レシピと顆粒だしを信じる心さえあればいい。生姜焼きやハンバーグ、唐揚げといったベタな料理はだいたい作った。肉じゃがなんて、もう”おふくろの味”から私の味になっている。もつ煮込み、バーニャカウダ、チリコンカンなどもレパートリーだ。必要は、発明とスキルアップの母である。まあ、母が亡くなったから必要になったんだけど。

いつもとは違うお正月。午後の陽光が、いつもより広くなったリビングに差し込んでいる。他にする人がいないので仕方なく、父の買ってきたあれこれをお重に詰めて、おせちとする。余った栗きんとんの餡をスプーンで掬って、これは役得と口に入れたら「んうー」と声にならない音が出た。これはもう人間の自然な反応なのである。全人類がこうなるはずだ。

これ以上、料理が上手くなりたいとは思わない。向上心はないが、幅は広げたい。死ぬまでやりつづけるだろう予感があって、引き出しは増やしておきたいと思うから、作ったことのない料理をたくさん作るというのが、今年の目標の一つ。

ブログ「いらけれ」

夕飯に使われる予定の食材がたくさん詰まったマイバッグを右手に持った帰り道、暖かみのない暮れの夕方は、悲しい思い出にふさわしい寂寥感で満ちている。

癌で死ぬ人の顔は似ている。「死相」というものなのだろう。頬の肉がげっそりと落ち、目はぎょろっとしているにもかかわらず、どこか焦点が合っていないような、そんな顔になる。

病が進行すると、パンパンにむくんだ足から水が出るようになった。座っている方が楽だというから、介護用ベットに腰掛ける彼女の足元には吸水シートを敷き、マッサージも兼ねて時折タオルで拭いた。異様に膨らんだ足は、すでに私の知ってるそれではなくなっていた。

努めて明るく声をかけながら、手を動かしていた。ふと見上げると、あの目があった。目が合って、初めて分かったことがあった。それは、この私に見えているように、その目に私は見えていないということだった。はっとして顔を近づけたのは、私を見てもらうためだった。

どこまでいっても自分のものにならない他者の痛みは、どれだけ深刻な顔をして、泣いてみたところで、最後のところで分からなかった。どれだけ共感してみたところで、その痛みは私のものでしかなく、どうしても分からないことに罪悪感を覚えた。それに加えて、私の内側にあるこの痛み、この苦しみは、誰にも分かってもらないのだと絶望した。あなたも私も、同じように孤独だった。

苦痛に顔を歪めながら、母が亡くなったのは夏の終わりのことで、冬になっても私は、私の心の使い方が正しかったのか考え続けていた。どう頑張っても分かりようがない他者を思い、配慮するということについて悩み、苦しむ私の話を友人は聞いてくれていた。話し終えて家に帰ると、私は分かっていた。

私がずっと心を使おうとしていたのは、それこそが思いやりだと信じていたからだ。そして、どれだけ心を使ったところで、思いが伝わったと感じられないことに戸惑い、苛立ってさえいた。そして、何もできない虚しさでいっぱいになっていた。

この私の苦しみに対して友人は、心を近づけてくれた。分からないの先で、あの時の私のように、近づくことでそこにいると示してくれた友人の姿は、苦しみで曇った私の目にもはっきりと見えた。この心の痛みが、そっくりそのまま伝わっていないとしても、私は孤独ではないと思えた私は救われた。悲しい思い出から後悔が消えていた。

すっかり暗くなった空に浮かぶ雲を月が照らしている。美しくも苦痛に満ちたこの世界で、私に、あなたにできる最善策は、心を使うのではなく、心を近づけることなのだろう。