ブログ「いらけれ」

ずーっと考えてても、面白いと思えなければ書けない。

今いる受け手、現状の観客なんかよりも、何かもっと大きなもののために作らなければならないのではないか。って言い続けなければ。

未来が分からないことは、太古の昔から変わらないのに、先行き不透明なことに対する不安感が大きくなってきたように思えるのは、なぜか。
(既存の説明が、色々思い付きはする……。)

対「現実派」的なこと。

ブログ「いらけれ」

苦労している。頭が悪いからか。
絞り出すように、書いている。

「受け手を意識した表現でなければならない」とよく言うし、最近も色んなところで耳にして、けれど、そんなことはないと思うと言いたいのだ。
本来的にはかなり難しい関係にある。簡単には言えないが。

だから本当に見るべきものが少ないのだろう。作品を、それとして成り立たせるものがないのだから。

ブログ「いらけれ」

「こいつ子供なんだろなー」とか、コメント欄とか読んで思う。ほとんどあたっていると思ってるけど、子供のような大人もいるし。

社会学とか、今どうなのかとか詳しくないからなんとも言えないという前置きをしつつ、時代を言い表す理論とか提唱しにくい時代なのかなと思う。まーグローバル化とかもいってたけど。

全然見えねーっていうか、不透明感すごいよねーって。

ブログ「いらけれ」

文化人、知識人と呼ばれるような人たちがTwitterとかで色々なものを炎上させる。集団暴行的な。

やはり多様性なんてものは、お題目に過ぎないのだ。

正当なものがあることも、もちろんわかっている。けれど、このままでいいのか、考える必要があるだろう。