ブログ「いらけれ」

この騒動が終わったら、まずは旅に出ようと決めている。小説の書き出しを決めている、それは「私はここに座り、窓の外を眺めている」というものだ。だが、そこがどこだか分からない。まだ見えていないから、その場所探しに行きたい。納得のいくリアリティを見つけたい。そんなもの、本当にあるのだろうか?

右に曲がる。下から引き上げるタイプの車止めが光っている。5本立っている。間を抜けて、右に曲がる。犬がいる。尻尾が上がっていて、肛門が茶色い。木は何本立っているのだろう。とても高い。あなたが生きた時間は、人生ですか?私だった私はもういない。私は失敗した。それは、始まる前から決まっていた失敗だった。だから仕方がないと言って諦められたら、どれだけ気楽だろうか。車の速度が上がらないように、道路には小さな山がついている。墓石が並んでいる側には遮るものがないから、大きな空が開いている。人生が変わる。人生は簡単に変わってしまうのだ。だからこそ、常に用心しておかなければならないのだと、自分に言い聞かせる。道が左に曲がっている。右側は木と草だけになる。草は、夏に向けて盛り上がっている。伸びに伸びている。自由を謳歌している。虫たちのざわめき。ベンチに座る年老いた男が上を向いている。本当のことなんて、何一つ書かれていない文章のなかで私は、もう失敗しないと誓う。私は、すべてを許さない。もうすべてに心を許さないのだ。そうやって閉じたから失った失敗によって、私の人生は終わる。それは、ただの時間経過に成り下がる。

つまりは、間違えてしまうことが問題なのではない、ということ。重要なのは、間違え方なのだ。失敗の仕方が正しければ、それは間違いではないということに気が付かなければ、あなたに未来は見えないだろう。人間でいるために、あなたは正しく間違えなければならない……のだとしたら、私の人生は、間違いではなかったのかもしれない。