ブログ「いらけれ」

お口にチャックしていた3月に何してたん?という話はしかし、言えることと言えないことがあって、あと言っても良いのか分からないことがあって、つまり、もごもごと口ごもらざるをえないわけだよ。

まあ、それでもここまでは言っていいだろうと判断して書くならば、私にお仕事が降ってきたんですね。ヘリからの支援物資のように、お仕事は降ってくるものなんだよね。それは道端に落ちているものではない、偶然に拾えるものではないということ。

その仕事というのは、いわゆる文字起こしってやつだ。このサイトにも、自分のポッドキャストを起こした文章がいくつか上がっているし(『「なぜ応援するか論」を受けて~Twitterの使い方論』なんか、今読んでも面白いと思うよ?)、もちろん書き物の下仕事としても、数え切れないほどこなしてきたけど、私の場合、長くても1時間程度の音声しか起こしたことがなかったから、10時間近い会話を文章に変えるという仕事の大変さを甘く見ていた。見くびっていた。やってる途中でビビった。チビッた。

まずもって、日本語にキレそうになるよね。微妙すぎる文語と口語の差や、さすがに「有難う御座います」とは書かないとしても、そう書けてしまう表記のルールのゆるさ。単純に、聞いた通り起こせば良いってわけじゃないのよね。

とはいえ仕事ですから、キーボードを打って打って打って、丁寧に見直して、結局13万字ぐらいになったのかな。総労働時間は計算していない。恐ろしくて知りたくないから。平日に働いて、働いた後に働いて、やっと訪れた休日に働いていた。「おそらく くだらなく奴は堕落者 欲に身を任すより働く者」は、SOUL SCREAM「TOu-KYOu」のリリックだが、私は本当に堕落していた。株式会社頭痛派の社是は「働きたくないから働かない」だったはずなのに!

スクラップ一歩手前のヘボノートパソコンを床(に置いた小さな段ボール箱の上)に置いて、寝ながらネットサーフィンをしていた私がちょっと本気を出して、あぐらをかいて、1時間かけてやっと10分とか15分の音声が文字になるというタイピングを続けていたらどうなるか?肩と首が、もう尋常じゃないの。どこを向いても痛くて、どこを向かなくても痛いの。

テニスの大会を見に行ったときに試供品をもらって、捨てるのが面倒だからという理由でそこにあったエアーサロンパスにすがらなければならないほど、壮絶な痛みのなかで私は、身体に優しくなろうと決意した。肩や首、あるいは目、腰、腕への癒やしを求めて、私が買ったものとは……次回、乞うご期待!(更新は土曜(4日)のお昼ぐらいの予定だ!)

ブログ「いらけれ」

怖いものなんて、何一つなかった。それはだから、僕が小学生と呼ばれているぐらいの頃で、校庭の木は今よりもずっと小さく見えていた。大きくなればもっと小さく見えるだろうと思っていたから木は、大きいけれど小さかった。大きくなった今でも木は相変わらず大きくて、その大きさにびっくりしてしまう。

思い出すあの時があるかぎり、恐れに取り憑かれている今が見える。

晴れやかなはずだった春には、冬にはなかった地面を這う鮮やかな緑が河川敷に続いているから、とても悲しい。満開の桜も桜吹雪も、フィクションのなかでは美しく描かれるばかりで、散った花びらの積み重なったアスファルトの汚さは、現実でしか見られないものだった。

気持ち良いのだろう、大きなあくびをした子どもの隣の子どもが立ち上がり、それを追いかけた大人の陰から、また座る子どもが出てきた。これは、それほど切迫していなかった頃の、切迫していなかった証のような光景、今同じようにしていたら、咎められそうな。

二〇二〇年の三月は具体性でポケットがいっぱいになって、ずっしりと重い。書かなければならないのは、この不満?あるいは、あの不幸?それとも、冗談みたいな希望……なのだろうか。そのどれも書きたくないと思う時、いっぱいの具体性は心を塞ぐバリケードになって、橋の上から見下ろすと、淀んだ川がそこにあった。

押し黙っている僕は、バスの停留所に誰かが置いた椅子に座っている。目の前を通りすぎる車たちを見ていて、車が個室であることに気がつく。ありふれた日常を蹂躙するのは、いつだって、ありがちな非日常だ。しょうがないとつぶやいて、ありのままをしぶしぶ受け入れていくのだとしたら、僕たちは本当の本当に生きていると、胸を張って言えるだろうか。

こんなことは考えずにいたい。一人で歩き続けて、疲れて座ったバス停でコーラでも飲んでいたい。言葉がもたらすのは、アルコール消毒された二メートルではない。それは、目を背けたくなるほど猥雑な、複数の身体が密着する世界だ。

その未来では、口づけの代わりにフルフェイスとガスマスクをぶつけるようになる人々を前に、そのまま死ぬのは気に食わなかっただけだ。正しさならば、いくらかましだったろう。正義の前に置かれた思いに躓いた。だからこれは、すっ転んだ男の日記ではない。もう一度派手にすっ転ぶための約束。エイプリルフールの失われた四月に、僕は本当のことしか言えない。