ブログ「いらけれ」

裏の裏は表じゃなくて、超裏みたいなところがあり、裏読みによって人は事情通になるはずもなく、残念ながら陰謀論者になる。

Mリーグのファイナルシリーズが無期限延期になったと知ったのは先週なのに、もう少し忘れている。プロ野球のシーズンが始まらない日々は、当たり前になりつつある。
目の前の出来事には、いつもで何か思えるのに、目の前の非出来事、つまり、何も起こらないが起こっている状態には、何も思えないままになっている。人間はそうやって、忘れていることも忘れられるから、愛する人が死んでも生きていけるのだろうか。
忘れっぽい私たちのせいで世界は回っている。この前ニュース番組で、この企業は仕入先を国内に絞っていたから難を逃れたと言っていた。こんなにも早く、震災のことが忘れられてしまうなんて、と思った。それは、とても悲しいことだった。

それで、何を読んだか確認したら、何も読んでいなかった。でも、「スチャダラパー30周年記念特番」「#2 ピエール瀧【YOUR RECOMMENDATIONS】」と、あと細々とした動画を見ていた。それで充分じゃないか。アトロク「ボカロP特集」と「中国ポップカルチャー特集」も、カルチャーラジオ文学の世界「柳田國男と"遠野物語"(2)」も聞いた。他にも聞いたラジオ番組はあったんだけど、それはハズレだった。古典的(?)な精神分析学の話は、もう本当に化石だなと思ってしまった。それは私が、エビデンス主義に毒されてしまったから、与太話に聞こえているだけなのかもしれないけれど。とはいえ人間の心はすでに、科学の懐に入っている。


Razika – Syndere i Sommersol

とても楽しそうで、とても良いと思った。Razikaを知ったのは西友だった。いわゆるひとつの西友ミュージックである(かつての西友のBGMは、InterFMが選曲していて、センスが良いと有名だったけれど、今は誰が担当しているのだろう?)。店内で流れていて、シャザムした。
日々楽しいことの、それをやることの重要性が高まっていると、そう感じている。だからあなたも、疲れたら音楽でも聞いて、楽しくやりなよ。あと、分からない言葉は癒やし効果が大きいと思う。意味の世界から逃れるのが、とても難しい時代だから。知らない言語(ちなみに、ノルウェー語です)を浴びて、しばし思考をストップさせよ。
細かい話をすると、ああストロークスっぽいなって思う曲があって、「razika strokes」で検索したら、案の定FLAKE RECORDSの通販ページが出てきた。やっぱり信頼できるなあ。

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買ったもの:『文学ムック ことばと vol.1』

正確に言えば予約した。どんな感じなんだろ。良い感じだったら、小説書いて新人賞に応募するかあ。この袋小路実篤(極めておじさん的だじゃれ!)からは、もっと何かこう、恥を捨てて動かないと出られない気がするから。動く習慣を付けるためにも。じゃあ、ラジオへの投稿とか、頑張って再開するかあ。メールを送った番組を聞いているとドキドキしてきて、マジで身体に悪いんだよなあ。でも、このまま黙って袋小路実篤で死ぬのもなあ。

社会不安障害の人には、本当に無理なんだよ、実生活が。あなたは、第二外国語のクラスで前に出て、数行のセリフを言うだけの小芝居で、黒板に寄りかからないと立っていられないほど、足が震えたことがあるか(ないだろう、えっへん)。あなたの経験からでは、およそ到達できないような想像を絶するような何かが、この世界にはあるのだ。
なんて言っていても生きづらさは解決しないので、ここは一つ、投薬を視野にいれた通院か。しかし、これは『自由というサプリ』を読みながら思ったことでもあるのだが(著者の一人である星野概念氏は、ミュージシャン兼精神科医だ)、今、精神医療の現場ってどうなっているんだろう。相マスク(将棋では相〇〇という言い方をよくする。相振飛車、相矢倉、相穴熊など。ちなみに、アイマスクともかかっている)で診察なのだろうか。とりあえず、今は控えておくべきかと病院に行かないで、さらに心を病んでしまう人もいるだろうから、難しい問題だね。

昨日という日を丸々使って研究・分析したおかげで、どうしてサイトのアクセス解析が出来ているのか分からない問題が解決したことにより、副産物的に、これを読んでいるあなたが、どのリンクをクリックしたかということも分かるようになったので、どんどん青い文字をクリックしてほしい(私が喜ぶ)。
面白い文章は書けないけれど、面白いものを見つけるのは非常に得意な私だ。最近、読んだものや見たものを載せているのは、もちろん自分がやったことの記録でもあるんだけど、もう半分は面白いものを紹介したくてやっているのだ。あなたの世界が広がりますように、と祈りを込めながら(だから、私にも面白いものを教えてくれると嬉しい)。

遮断機が下りたので足元を見たら、自分の身体と同じ大きさの葉っぱらしき何かを持った蟻が、小刻みに震えながら行ったり来たりしていた。私がその場を離れるまでずっと。みんな大変よ。きっと私たちのことも、大きな何かが見下ろしているよ。

ブログ「いらけれ」

読んだもの:矢野利裕「初心に返るーーGTOとECDとBDP」、◎「まぶたの裏に大林宣彦監督を」(泣いた)/◎青羊(けもの)「にんじんオレンジ」(深呼吸のところが好き)
見たもの:「#1 ピエール瀧【YOUR RECOMMENDATIONS】」
聞いたもの:アトロク「PCエンジンとは何だったのか」、「台湾インディーミュージック最前線。生まれながらの独立派"天然独世代"編」/Session袋とじ「『ドラえもん論』後編」/東京ポッド許可局「推薦図書論 2020春」/熱文字「東京ロリンピック」僕おも「たいへんなものを壊しちゃった記憶」
買ったもの:トム・ニコルズ著、高里ひろ訳『専門知はもういらないのか』/防音テープ

今読むべき本っぽかったから買った『専門知はもういらないのか』の冒頭を読んだら、本当に今読まなければならない本っぽかった。『自由というサプリ』も少しずつ読んでいる。ちょくちょく吹き出す。「女子と目が合うとよくないなと思って、わざと目を寄せて歩いてたの」とか「もっと言えば、僕たちはみんな銀ペンなんですよ」とか。気になるでしょう?楽しい本だから、みんなも読んだら良いよ。

吹き出してしまうといえば、ジジェクのたとえ話、ジョークである。ここ最近、木原善彦先生の本を立て続けに読んでいたのだが、ジジェクの本からの引用がよくされていて、それを読むたびに笑っていた。"自分のことをトウモロコシの粒だと思い込んでいる男の話"、"ベッドの下にワニがいると訴える精神病患者の話"、"ウィスキーで睾丸を洗う猿の話"……。ジジェクはたとえ話が面白すぎると思う。とてもずるい。

それで私は今、ジジェクに見た目を似せていこうと、髭を伸ばしている。白ひげにならないのはしょうがないとして、なかなかモサモサにならないのがもどかしい。どちらかといえば、大谷亮平のようだ(髭以外は何一つ似ていない)。
マスクから髭がはみ出ていると、めちゃくちゃ訝しがられるので、そろそろ剃るしかないか。剃るのは面倒だから、私個人としては伸ばしていたい。ジジェク云々は冗談で、寝ている間に永久脱毛してくれるなら、それでも構わないのだが。
髭面のマスク男に、どのような視線が向けられるのかということについては、そうなってみないと分からなかったことで、もう一つ、そうなってみないと分からなかったのは、髪を切りに行きづらいということだった。なんとなく、濃厚な気がしてしまって。

壁が作られていく。まるで、タクシーの運転席と後部座席の間のように。野球場のチケット売り場とかって、そういう意味では先進的というか、手元しか開いてないあれで良いなら、あれが良いよなと思った。なんでそうなっていたんだろう、お金とチケットをやり取りするだけだからかな、やっぱり野球ファンに荒い人がいるからかな、とか考えていたんだけど、同じシステムを使っている宝くじ売り場を見て、外にあるからだろうと思った。つまり、全面が開いていると暑い、もしくは寒いという理由。

人っ子一人いない街を歩きながら、一つの決定を下す。それがそれなら、それで終わりにしようと思う。人生を選択する。どうせ死ぬだけ、それまでのことだから、好きに生きるよ。

ブログ「いらけれ」

「生きる気力が失われている」と書いて、"生"と"失"という二文字が似ていると思った。ああ。頑張ろう。

よく言う。よく聞いた。巨大な、強大な敵が宇宙からから攻めてきたら、人類は一丸となって戦うだろうと。たぶん、そんな風にはならないね。少なくとも日本は、内側から破れていくだろう。フィクションならば信じてもらえないような、あまりにもくだらない理由によって。

自分にとって大事なものを。ことを。

「人狼化するポストモダン」だと思っていたんですよね、少し前まで(参考:「なにかを立ち上げる」)。『寄生獣』的なというか。つまり、私たちは同じって顔をしている隣が、一枚剥いだら怪物みたいなイメージで。
でも違う。違うものになってしまった。それは『ブレードランナー』的な、レプリカントさえ自分がレプリカントであることを知らないというような、自分こそがレプリカントかもしれないというような(詳しくないので、間違っていたらごめんなさい)。
すごい揺らぐ、自分という存在が。これは大変なことだと思うよ。もっと頭が良くて、もっといろんなことに詳しい誰かが書くだろう、この世界に対するクリアな批評。

例えば、計算は得意だけど少し冷めたところのある人と、情に厚いけれどおっちょこちょいな人のバディものを書くだろう、私なら。そこには、補い合う二人の関係が描かれるだろう。
翻って現実。現実は翻っている。もちろん小説は現実ではないけれど、単なる理想に終わるものでもない。現実では、どちらが頭が良いか、優しいかの競争をしている。競争ではなく共創へ。あ、やべ。途端に胡散臭くなってしまった。

地元の西友の、エレベーターの終着点の100円ショップをぐるっと回って、買うものがなくて降りる側のエレベーターの右手は窓になっていて、そこから富士山が見えるよ。天気が良い日には。壮大なものを目の当たりにして、へこっとなる気持ちは信仰の一歩手前といった感じで、うっかり感動しそうになるよ。

競馬とかボートとか、あとスロットとか、詳しくないくせに番組を見るのが好きで、あの、こつこつと収集したデータをもとに、めちゃくちゃ細かい分析を行っていく感じが、とても良い。
楽に稼ぎたくてギャンブルしてるんじゃないのって思う、でも次の瞬間に、人生のほとんどが実は博打であることに気づく。毎日コインをベットしているのに、そういう形をしていないから分からない。何をするか、何を食うか、何時に寝るか、選択のすべてが賭けであり、大なり小なりリターンがある。大手企業に入社するのも、あの道の角に喫茶店を構えるのもギャンブルだ、だから、面接対策をするのも、ビジネスを勉強するのも、スロットで稼ぐために機種の知識を増やすことと、違うのは何を使って金を稼ぐかだけで、本質的には同じものなのかもしれない。いや、やっぱり違うか。