ブログ「いらけれ」

英文メールが届いてビックリした。なんか、「〇〇ってポッドキャスティングサービスのマーケティング担当のジョンですけど、新しくリリースしたライブストリーミングサービスを使ってくれませんか」みたいな内容だった。もちろんそれが、ほとんどスパムメールであることぐらい、頓馬な私でも理解しているわけだが、でも、極東のぼんくらにまで宣伝する根性は、やっぱりすごいと思ってしまった。
私は、この日記もそこまで悪くない、それなりのものだとは思っているけれども(そう思えないのならば、端的に公開すべきではないだろう)、人に見てもらう努力は、何一つとしてできていないのが現状だ。スパムだと分かっていても、一応そのサービスをググってしまった私のように、何かしらの手段を講じれば、クリックをしてもらえるかもしれないというのに。
自ら動かなくても誰かが見つけてくれるだろう。それは、ロマンであって現実にはならない。夢を見るのは、眠っている間だけに抑えておかなければならない。もう若くはない。この前、同学年の野球選手が解説に「〇〇選手も、もうベテランですね」と言われていた。すべてが恥ずかしいと思った。

恥さらしを続けよう。ついに、ああちょっと違ったな、つ・い・に、私はGABAのチョコレート10袋を注文した、Amazonで。1400円が1100円になっていたから!
冷静になった今の私は、それでも高いのではないか、そもそも、それほど効果がなかったではないか、やはり馬鹿だったか、と思っている。でも、安くなった値段を見た私の前には、買う道だけがあって、買わない道は閉鎖されていた。私の足は自然とそちらに向かい、そして、所持金が減った。
2000円以上の注文で送料無料なんで、「アイロニーはなぜ伝わるのか?」が850円だ。900円払わせてくれと思いながら、同じ著者の「UFOとポストモダン」に800円出した。損したのか得したのか、それは現時点で決定できない、本を読み込んで学んで、得にすればいいからだ。


Camp Cope – The Opener (Live on KEXP)

夕方の街を歩きながら、久しぶりにCamp Copeを聞いていた。彼女たちの音楽にあるのは、基本的にfuck youだと思った。その姿勢に共感しているから、私はずっと好きなのだろうと思う(とか言って、去年来日していたことを知ったのは最近だ。マジでライブ見に行きたかった。数日落ち込んだ)。
発せられたfuck youをはしたないと言っていいのは、発せられたfuck youを一旦受け止める気がある人だけだと思う。もちろん、その表現方法は褒められたものではないけれど、大方の場合、fuck youと言わざるを得ない事情があるのだから。暴力も差別も、それが再生産される構造も、頑なに変わらないから、中指を立てて意志を表明していると知れ。話はそこからだ、そう思った。

ブログ「いらけれ」

その三月に、考え事をしながら歩いていると、覚えていなかったことを思い出すから不思議だ。こう書いて、本当にそう思っていると思われるのは不本意だ。思い出したのはすべて覚えていことだ、しかし、頭の海の水面から顔を出すまで、その存在を感知することは叶わなかった。
思い出したのはキムタクのエピソードだ。中居君の会見からこちら、ずっと彼らのことを考えていた。以前私は「あの会見は、キムタクには出来ないだろう」と書いたが、それはネガティブな意味ではなかった。フレンドパークを見ていた。ドラムのような機械をパターンの通り、リズムに合わせて叩くと音が出て、それで曲を当てるというゲームをやっていた(懐かしい!)。その時キムタクは回答者だった。誰が音を出す役回りを担っていたかは忘れてしまったが、ほとんど音を出せないまま終わった。しかしキムタクは、少しのヒントと、鳴り続けていたベースラインだけで、問題となっていた曲を当てた(「スニーカーぶるーす」だと記憶していたが、これは勘違い。「ギンギラギンにさりげなく」だった。ちなみに、叩いていたのは慎吾ちゃんだった(検索した))。
それまで、そのような形で正解した人はいなかったから、今ならばヤラセと疑われるかもしれないが私は、そういったことに興味はなかった。誰もやれないようなことをやってしまう人、あるいは常に、そうした振る舞いを周囲から期待されてしまう人が、私たちの世界ではなく、向こう側にいるスターなのであって、スターの中のスターがキムタクなのだから、結局はニンに合ったというか、その人らしいことしかできないということであり、その人らしく振る舞うべきだということでもある。
そういえば、「世界に一つだけの花」という曲もあった。

細長い棒が突き立った畑は、住宅街のなかにある。東村山らしい光景とは、このようなものである。その棒は鉄製で長く、私が見上げなければならない位置に頂点があった。頂点には、なぜか厚手の手袋が被せてあって、丁度良い大きさだったのか、綺麗に中指が立っている。世界に向けて中指が立てられている。それを見る私は、そこにいるつもりではなかった。行き当たりばったりでそこにいた。だから私は、行き当たりばったりを批判することができなかった。もしかしたら、私の行き当たりばったりな人生が流れ出て、世界を汚染してしまったのかもしれなかった。事程左様に、世界は下らなかった。中指を立てる気力すら湧かなかった。今から私が人生を立て直せば、世界は救われるだろうか。何一つ判別はつかないまま、ただ私の立つ道は、遥か先まで続いていた。