ブログ「いらけれ」

頭が痛いので、一旦眠ってみることにする。

……と書いて、一日日記が更新されなければ、死んだと思われても仕方がない(死ななかったので良かった。しかし、残念なお知らせ。この文章は、このテンションとこのテイストで進む)。

頭痛派なんて名前で、頭痛に苦しんでいるのは、すべっているというか、寒い。演劇でも演芸でも、イベントでも映画でも、何かを凝視して、それについて真剣に考えると、頭の内側に痛みの種が生まれ、育ち、ずっと残るようになった。なんとか洗面台に辿り着き、歯を磨いていると気持ち悪くなって、少し胃液の味がした。

とにかく首も痛いし、肩も重い。ズキズキもするし、締め付けられるようでもある。冷やしても温めてもダメだ。地獄はここにある。はっきりとそう思う。しかしそれは、『虐殺器官』で書かれていたような意味ではない。もっと直接的で、なんか余白のないもの。

日記を書くというタスク以外の、やるべきことをすべて終えて、毛布にくるまった。側頭部をくっつけた枕に、涙が流れていった。苦しすぎると、意味が分からなくなる。痛みをここまで感じる必要なくない!?と、誰かに向かってキレている。どんな音楽も効かない。人間はあまりにも頼りない、幽けき存在だ。ちょっと頭を痛くするだけで、まともなことは何一つ考えられなくなってしまう。それでも、思考は続いている。勝手に動く脳をシャットダウンできないまま、3時まで起きていた。

埃が舞っていることは、襖の隙間から差す光で分かった。舞っている埃は、そこに空間と時間があることを教えていた。光はまっすぐに伸びて、その先の畳が毛羽立っている。11月には、もう雪に囲まれてしまう家には、私が生まれる前から、この、大きなこけしが置かれていたという。その横のアルバムの、薄いフィルムのようなものを、ペリペリと剥がしたときの、あの心地良い感触を思い出す。手を伸ばしかけて、やめる。その中には、たくさんの写真があり、一人の子どもの額には青あざがある。しかし、物心が付く前のことは、分かりようがない。小さな青いボールが、すぐそばに転がっているけれど、それで遊んでいたのだろうか。意識がはっきりしてくると、おじいさんに会えなかったから、黒い服と正座に我慢ができなくて、この部屋に放り込まれたことが分かった。

スマートフォンのアラームで起きて、やや和らいだ痛みを確かめながら、カップ麺の後に錠剤を飲み込む。いつでも、そこに仕事はあり、真面目にこなしてしまう。昼間には、外に出た。帰り際に、忘れていた痛みが戻ってきた。薬を飲むほどではなかったから、夜まで生きていると、少し忙しくなる(求人に応募したことによって)。でも、麻雀も見なければならない。劇的な結末に立ち会って、採用担当者にメールも送ったから、こうして書いている。後頭部には鈍痛があるけれど、それを押して。

ブログ「いらけれ」

可能なかぎり平坦な道を歩きたい。上り下りは辛い。冬の空はフォトジェニックだ。遠くを見ていた。

歩道橋の足元にいる猫が、一つ段を降りた。最終的には、人間が出来ているかどうかだろう、と思う。他人の限界ならばきっかりと分かる。いくらでも指し示すことができる。なのに、自分のそれだけが分からない。だらだらした一日は、もう夕方。オレンジが紺に変わる時。

今日の夜に書くことがないと知っていたから、思い出の在庫確認をしてみる。中学の時の体育教師を思い出した。そして、授業のフットサル。反転からのゴール。先生の拍手。それは、「バスケットボールの思い出」にとても似ている思い出だ、思い出を書くのは安直で、簡単に情緒が出てしまうから嫌だ。出した思い出をしまう。

退屈になれてしまう。ふと、日本語の歌詞が聞きたくなった。でも、持っている曲のほとんどを、まだスマホにダウンロードできていない。いろいろと立て込んでいる。少ないライブラリーの中から、毛玉を選んだ。

生きることに飽きてしまう。嶋がスワローズに来るというので驚く。そもそもの、プレミア12の位置付けが分からない。沢尻エリカが捕まったらしい。「それよりも大きな問題がある」という言葉は、何もしないことを許すことにしかならない。

借りた本を返したブックポストは、フェンスで囲われた図書館の前にある。フェンスには、おかしくなってしまった人の家みたいに、ポストの位置を示す紙が無数に貼られている。工事は3月までかかるという。5階建ての大図書館になったりしないかな、しないよな。

ずんずん進む、ぎょっとする。自転車がたくさん置かれているから、自転車屋だと分かる。それぞれのかごから垂れさがっている紙には、大きさや値段が書かれているだけではない。よく読めば、政治風刺を込めたオリジナルの川柳が混ざっている。売り上げには貢献しないとしても、そのように使いたいと思えば、そのように使ってもいいという発想の転換は、自由のやり方を教えてくれる。

ところで、死んでしまった人は、どこで何をしているのだろうか。駅前にじっと立つ人たちは、どうして何を信じているのだろうか。宗教の遠さ。取材を前提にお付き合いしてみたいものだ。

随分前から続いている駅の工事はかなり進んで、線路沿いの道の上空に、鉄の塊が渡されている。見慣れない光景に、記憶が上書きされてしまう。時々、上書きされる前の記憶を呼び出したいと思う。あの角の日高屋の前はサンクスで、その前が何だったか、とか。

夕飯を食べた後に、志望動機を書いて、求人に応募してみる、2社。湯船の中で一日を振り返ると、来年の1月に小痴楽師匠が東村山に来ると書かれたチラシが思い浮かんだ。そうだ。クリスマスの飾りはまだ早いと、そう思ってしまうけれど、年末はすぐに来るのだ。無意識が焦っているから、あえて淡々としてみる。前に向かって生きる。


毛玉 – まちのあかり feat. その他の短編ズ

ブログ「いらけれ」

今月の贅沢な時間を堪能してきた、水曜日に。渋谷まで行くために、西武新宿線の車両の隅に座ったら、速攻で眠くなって、記憶は真っ暗。山手線は混んでいて、人を運んでいた。ユーロライブ近くのコンビニで発券する。店員の態度が接客ではないみたい。せめて、「はい」ぐらいは言おうぜ。この前も、別の渋谷のコンビニで同じ気持ちになったことを思い出す。そっけなさは、都会だからなのだろうか。客のいないラーメン屋に入って、いつもの醤油ではなく塩を注文したら、僕を認識していたらしい店員さんが驚いていた。スープの不思議な甘さが好きだった。客席に座ってもまだ、満腹感は続いていた。わざわざ少し坂道を上って、そこから細い裏道に入って、ぐるっと回って、「へー、ここに出るんだ」なんて思ったのに。本を持ってくればよかった。手持ち無沙汰をゲームアプリに委ねた。

粋歌さんは、「落語の仮面」を毎年一話ずつ、シブラクで(勝手に)連続公演しているらしい。その第一話を見ていたから、花ちゃんの活躍にニヤリとする。それで、落語のなかの落語としての「時そば」(……ではないんだけど。もっとアバンギャルドなんだけど)からの「うどん屋」。圓太郎師匠の高座が、いきなり小言から始まると、「待ってました!」って思ってしまう。「うどん屋」って話自体は、ラジオの寄席演芸番組とかで聞いたことがあって、あんまり好きじゃないなあって思ってたんだけど、圓太郎師匠の演じる酔っぱらいが本当に酔っぱらいで、人間がアルコールを飲んだ時のあの壊れ方で素晴らしかった。うどん屋の悲哀と、それが生み出すおかしみ。

五周年記念公演も見ることができてよかった。五年前は何をやっていたっけ。それはおそらく、この日記を探せば、過去を振り返る形で書いてあるだろう。一時間の回は、時間的にもお金的にも自分にぴったりだから、何の文句もないのだが、帰りの電車が混むのだけが辛い。スマホで将棋を指している間に駅に着いて、降りた一歩目で、変な形で立っていた膝がピリピリした。

堂々としていたり、自信満々にしていたり、その裏側では、あまりにも鈍感で、マイペースがすぎる人というのが、ストレスを感じることなく、達者で長生きするのかなと思う。しかし、黒い帽子の縁が白く汚れていることに気が付かないのは、鈍感とも違う愚かさなのではないか?家に着いて、ぬるま湯を張ったバケツに洗剤を入れて、帽子をつけ置いた。寒い寒い夜のうちから、ベランダの物干し竿にかけて、次の日の午後まで忘れていて、被ったら太陽の匂いがした。

13日の『アフター6ジャンクション』が「台湾のインディーミュージック特集 by シャムキャッツ・菅原慎一」だったから、当然のように聞いた(ラジコのタイムフリーは一週間しか聞けないから、君も急いでチェックしよう)。当然のようにモンキーの話も、PARストアの話も出ていた(より詳細な事情は「シャムキャッツ菅原慎一が訪ねる新たな台北の遊び場《PAR STORE》~ex 透明雑誌・洪申豪(モンキー)が作った理想のスペースとは?」に書かれている)。それから、なかで紹介されていたイルカポリス/海豚刑警ばかり聞いている。


イルカポリス 海豚刑警『安平之光』Official Music Video

始まりのところがモンキーの「金巴利」で、繋がっている感じに嬉しくなってしまった。(ちなみに、歌詞中の"深夜FOLK SONG"は、透明雜誌の曲名だ)

今日の抜き書き。

問題はテーマではありません。テーマは形式、つまり書くという行為と物語の構造を通して具体化されるときに別なものに変わりますが、善し悪しはその変化したものに依存しています。

バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.29

ブログ「いらけれ」

これは一つの告白になるが、昨夜、このサイトがどのように動いているのか、分かっていないということが分かった。アドセンスの自動広告コードも、アナリティクスのトラッキングコードも消したのに、広告は入り続けているし、アクセスは収集され続けている。おそらく、過去に追加したコードが残り続けてしまっているのだろうが、それがどこにあるのか、探し方さえ分からない。その程度のものである、その程度のものであることを、心に留めておいてほしいものである。

ここんところ色々あったから、『若い小説家に宛てた手紙』を買ったことも書いてないし、だから当然、届いたことも書いてない。借りた本は、やっぱり心の負債で少し重たかったから、所有で気分が晴れた。部屋に置いたままになってる本を返せば、もっとすっきりするだろう。ということで、今日の抜き書き。

自分自身の内に潜んでいる悪魔を忌避し、あのテーマは独創的でもなければ、魅力的でもないといって捨て去り、こちらの方が扱いやすいと言っていくつかのテーマを自分に課す作家、こういう人たちはとんでもなく大きな過ちを犯しています。

バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.29

小説の創作論を読んだところで、創作しなければ意味がないとは言わない、何よりもそれは、小説の読み方を変えるからだけど、しかし、創作してないのが恥ずかしいと思う出来事があった。考えもなく冗談を書いてはいけない、後々、自分を苦しめることになるから。

毎日が日記を書くことに支配されていたら、そのようにして、日記という悪魔に書かされたことが起点となって、声をかけてもらえることがあって、インターネットでの活動は大事だと思うようになった。それは、会うというきっかけがあっても、時間もないし、連絡先も知らないし、初対面で聞くのもあれだから、心残りを抱えながら帰らなければならないというとき、もしかしたら誰かも、そう思ってくれているかもしれないとしても、窓口がなければ、二度と会うことはない。これは窓口だと割り切ってしまえば、こんなものでも役に立つというのならば、やらないよりも良い。

二車線の真っ直ぐの道なりに移動すると、左側の建物の向こうに、見たことのない大きさの月は、まだ出立てなのだろうが、近くで見るアンパンマンの顔ほどあった。驚いたから写真を撮ったら、お節介なフラッシュが焚かれて、それを人工衛星が見ていた。そこまでしても、手の中の月は、まったくもって大きく見えなかった。
厚手の上着に切り替えて正解だった。その選択だけが間違いではなかった。家電量販店に向かっていたのは気まぐれだった。いつも頭を悩ませていたから、『東京ポッド許可局』の局報のコーナーを聞いて、コミュニケーションの下手なおじさん(おじいさん)が多すぎることについて、日記に書こうと思った。それまでもそう暮らして許されてきたのか、それとも加齢によって、そうなっているのかも気になるところだが、とにかく、何かを教えられる、その立場にあると考えている尊大さと、他人の心を思えない(思わない)勝手さに、呆れてしまうことが多い。僕だって褒められた人間ではないが、そうならないように気を付けようとしているだけマシかもしれないと思うフロアには、客よりも従業員の方が多かった。クロームキャストとか、そういうの(ああいう機械って、なんて呼べばいいのだろう)あるかなって思って探したけどなかった。
店を出たら、すっかり暗くなっていた。上方に移動した月は縮んでいて、とても寂しい気分だったから、下を向いて帰った。うっかりしていたら、涙がこぼれてしまいそうだった。歯を食いしばったら、頬が冷たい。