ブログ「いらけれ」

19.04.17 (Wed) LIVE HOUSE FEVER 10th anniversary「New Generation Country -2-」

新代田に「FEVER」というライブハウスがあることを、僕はその時まで知らなかったような、いや、好きなバンドのライブ情報か何かで、聞いたことはあったような、というかそもそも、新代田という駅を知らなかったような気がする。深夜のバーで、それもカウンターではないテーブル席で、これまで聞いてきた音楽の話を友人とできるというのは、神様から愛されている証拠なのだ、きっと。そのとき僕たちは、どうしてもBUGY CRAXONEの話をしなければならなかった。昔、通っていたバイト先には、十数人しか同僚がいなかった。なのに"ナイスちゃん"は二人いた。彼は、数日後にブージーのライブを見に行くと言った。僕が、いいなー、俺もいつかブージーのライブを見に行ってみたいなーと言ったから、いろいろあって、一緒に行くことになった。ある時点までの僕だったらどうだったか、新しい場所に出かけていく勇気は今でもないから、ライブハウスには行ったことはないわけだが、いつ頃からか身に付けたフッカルを炸裂させた。そういえば来月、別の友人からは神宮球場へ行こうと誘われている。まるで、まともでアクティブな人みたいじゃないか。バーのテレビでは、マスターが選んだと思しき映画が再生されていた。その時は『ベスト・キッド』だった、リメイクされた方の。僕はきっと、その『ベスト・キッド』を忘れないだろうと思った。

慣れない井の頭線はよく分からなかったので、急行の止まらないことを知らなかったから、こじんまりとした駅を降りて、大きな道路を挟んだ向こうに目的地が見えて、受付でスマホのチケットを見せて、問われたお目当てにブージーと答えて入場したときには、すでに音楽は始まっていた。

ブージーはトリで出演だった。僕にとっては、いつも画面の向こうに、あるいはスマホのなかにいる人たちが目の前にいるということで、それだけでわーっとなっていた。来てよかったと思った。

その日の昼間に僕は、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」の第一期最終講評会を見ていた。主任講師であるさやわかさんはその中で、縦で読むのに適したマンガを提出した受講生が、そのこと(縦で読まれること)を意識していなかったという発言に対して、「ダメじゃん」と言った。このことが、とても印象に残っていた。共著者に名を連ねている『僕たちのインターネット史』を読んだときも、同じようなことを言っている印象があった。つまり、やはり表現というものは、それが入っているコップとしての形式を、よくよく考えなければならない、そして、形式のコップに合った表現をすることが重要なのではないだろうか、と。

その意味で僕は、まったくなってないということである。なぜならこのように、この文章が長くなってしまっているからである。本題はこの先にあり、読みやすさなどを考えれば、本当は一つの記事に収めるべきだった。しょうがない、ここで一息つこう。確かなのは、あなたがこの先を読みたいと思っても思わなくても、明日にはこの先が公開されるということだ。

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ああ、また「フラットな昼をダラッと過ごし」てしまった。どうでもいい明太子ポテトパンを、無思想に食べてしまった(それなりにおいしかった)。面白いかどうかは分からないけど、それなりのものが読みたい方は、昨日までのブログを読んでください。頑張って書いた後には、いつも虚しさが残るから、モニターに選ばれて届いたビスケット菓子を食べながら、未来のことは考えないようにしよう。そういえば、少し前に友人に誘われて飲みに行って、彼の勤めている会社が不祥事を起こしたという話を聞いた。詳細は書けないけれど、その不祥事は、彼が入社する前に行われたことだから、もちろん彼には知る由もなかったことだし、一切関係のないことだ。しかし、過去にそれを行った見知らぬ(?)誰かによって、彼の現在が影響を受けている。これだから、真剣に生きるのは損だと思う。すごい人に出会って、自分の生き方を恥じても、思考の癖は簡単に変えられない。ユーチューブで、昔好きだった曲を探して、それはyes, mama ok?を思い出したからだが、ニコニコ動画にアップされていた『テレバイダー』を見ていた。ウィキペディアに書かれていることが真実ならば、構成のスタッフに知った名前がある。天明晃太郎は、『ぷらすと』の作家でもあり、この春から『春風亭一之輔 あなたとハッピー』では、おなじみの笑い声が聞こえていたな。相沢直はこの春から医学部に入部したという。そのことが書かれた日記が僕は好きだ。それを読むと、医学部の勉強をしながら仕事をこなし、新たに韓国語の勉強などもしているという。すごい人はすごいなどと呑気に言っている暇はなく、僕はまだ、ぜんぜん足りない。それすなわち伸び代があるのだと、単純に考えられていた時期は終わった。しかし、道は二つしかない。やって死ぬか、やらずに死ぬかだ。日記に書かれていた「プランク」という言葉は、聞いたことがあったけど詳しくはなかったので、グーグルで検索して一番上のサイトを見たら、30日間プランクを続けるというような小さな目標を立てて、行為を習慣化させることは、一日100字ブログを書き続けることと同じように、人生を変えるのだそうだ。つまり、僕の人生はもう変わっていると、そのように考えられるということだ。それはよかった。じゃあこのまま、500円分の楽天ポイントを投資信託に突っ込んで、楽天市場で今月買い物をしたときにもらえるポイントの倍率がプラスされたことを喜びながら、特に買い物をする予定はないという、この暮らしを続けていけばいいのかな。あるいはもう、この世を去ったらどうだろう。

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そもそも、人間同士の愛の関係って矛盾しているじゃないですか。自分が誰かを愛するようになったとして、じゃあ、その誰かが、事故で体が動かなくなったり、病気で性格が変わったり、記憶喪失になったりしたら、愛するのをやめるんですかと。それは愛じゃないという気がしませんか。じゃあ、何をしても、どうなっても愛し続けるべきだとしたら、それならば今、嫌いなアイツも愛さなければならくなるはずだ。だって、その嫌いなアイツは、あなたが愛せるソイツが、事件事故、病気、家庭の事情といった要因によって、今、たまたまそうなっているだけなのかもしれないのだから。

(捕まったぐらいで友だちをやめるのは、そもそも友だちじゃなかったということだし、友だちのピンチには手を貸すべきだという考え方は素晴らしいけれど、でも、そういう余裕を見せられるのは大抵、その人が許せる範囲に犯罪が収まっていたからで、ちょっと喧嘩して逮捕されたとか、薬物使用がバレたということではなく、人殺しだったら許していないのではないか、と思う。)

現実の私たちは、友だちの嫌なところを友だちだからといって許したり、許せないのに友だちのふりをしたりして、なんで友だちなのか、友だちとは何なのかよく分からなくなったりしながら、日々を過ごしているのだろう。分からないのに分かったつもりで、誰かを友だちだと思ったりして。

だいたい僕は、そういう曖昧な世界が嫌いだし、社会もクラスメイトも、同僚も上司も、友人も家族も、すれ違う人も世界の裏側の人も嫌いだ。そのようにして、自分の美意識の中で、皆を平等に嫌いだから僕は、むしろ積極的に、すべてを平等に愛しているのだということが、これまでに伝わったことがないと思うから、皆が大嫌いだ。でも、僕の反対側に立つ、僕から一番遠い、僕の敵だって、愛しているぜ(こういうアイロニーが、本当に伝わらない!!!!)。

さて、そんなことより!会のブログにある通り、台湾から日本へ留学しているという女性が参加されていたのです!自分が、他の言語を覚えて、生まれた国の違う誰かと、対話できるようになれるだろうか(いや、なれない)と考え、さまざまなことを話しながらも、目の前の彼女を、本当にずっと、リスペクトしていました。すごい人はすごい(トートロジー)。また、考え方や言葉も深くて、蒙を啓かれることしきりでした。すごい人はすごい(二度目)。とにかく、自分が高校生だったころのこと、あと、今の自分を顧みて、わが身を恥じ入ったので、明日からは頑張るだろう、それか明後日には、僕も多分。(僕が彼女をいくら尊敬しているとしても、年齢も性別も違うという条件によって、今のジャパンにおいては、彼女と友だちになることは難しいわけで、だから、ここまでの文章で書いてこなかった問題が、まだまだ、友だちという概念には含まれているということです。)

来月は、「歩きながら考えるのと、ずうと座りながら考えるのとはどう違うか?」というテーマで、散歩することぐらいしか能がない僕には、ぴったりですね(こういうアイロニーだって伝わらないって分かっているのに、なぜ書いてしまうのだ!!!!)。急に真面目な話をするけれど、このテーマ設定がすでに興味深くて、いつも会に参加されている方が「歩くのは厳しい」ということで、来月は来ないというような話もあって、場を設定するというだけでも、誰かには小さくない障壁を設けることになってしまうのだが、ただ生活しているだけでは、僕らはそのことに気付かない。もともとの対話だって、(もちろん、手段がないというわけではないものの)今の状態では耳の聞こえない人が参加するのは難しい。このことにすら、このテーマが出される前は思い至らなかった。

このように、さまざまな気付きに満ちた素晴らしい機会ですので、読者の方には、ぜひご参加いただきたく思います。ご予約はこちらから。(これ、この一連の文章を書いた人が参加しているってことは、逆宣伝になっているのではないだろうか……)

ブログ「いらけれ」

はっきりいって、「友だち=○○」の○○に何を入れても(気が合う、そばにいて楽しい、価値観を共有できるetc.)、「○○=友だち」だとなぜ言えるのか(なぜ気が合うのか、なぜ楽しいのか、なぜ同じ価値観なのか)については、「そうだからそうだ」としか言えないものであり、掘っても掘っても答えが出てこないものだ。つまり友だちとは、「友だち=友だち」という同語反復のなかにしか生まれない関係なのではないか。

私たちは、友だちと友だちになる。まったくの偶然に、あまりにも生得的に。これは、今は友だちがいないという人には、救いになるかもしれない。まだ出会っていないだけなのかもしれない。そして、この奇跡(友だちができること)は確かに、誰かを救うかもしれない。しかし、あらゆる薬が毒にもなるように、友だちという関係は政治に利用されるし(私が、体育の時間にされがちな「友だちとペアを組んで」という呼びかけにトラウマがないのは、一つは不登校の時期が長かったという理由だが、もう一つは、クラス内政治に友だちという関係を利用していたからだろう。唐突な告白になるが、私は、学年が上がり、親友と周りからみなされている関係の人間と、別々のクラスになってしまう度に、新たな「親友」を作っていた。もちろん「親友」たちのことは嫌いではなかったが、彼らのことが好きだったか、今でも彼らと会いたいかと問われれば、口ごもってしまう)、「お前、俺と友だちだろ。だから、あいつを仲間外れにしろ」というように、悪用もされる。

このように、友だちという言葉、関係、概念について疑義を抱いている私が、対話のかき回し役になった部分があったのは(あ、そういえば「デモクラシーカフェ」の話でしたね!) 、始まる前から決まっていたことなのかもしれない。私にとって友だちとは(やっと後藤さんの友だち定義が聞けるんですね!)、クラスなどの狭い世界、あるいは日本というような大きな社会、もしくは広大な世界のなかで、二者以上の間に立ち現れていると、誰かが指さす(その誰かには、指さされる当事者がなることもある。「私たちは、友だちだよね」)関係のことであり、そのように指さされるのは、当事者たちにとっては非-孤立を確認するためかもしれないし、他者にとっては目の前の関係を型にはめて理解するためかもしれないが、とにかく方便でしかないのだと、そう考えているのだ。

私は、誰かから友だちと呼ばれうる、今の私と関係のある誰かよりも、例えば、数年会っていない高校時代の先生の方に親密さを感じていたり、好きな小説の作者や、あるいは小説それ自体、ラジオ番組、音楽、道ばたの石、枝、三月の水、桜吹雪の方を愛していたりするわけだが、これらは、さまざまな理由で一般的には友だちと呼ばれない(「音楽/映画/文学だけが僕の友だちだった」というようなことが言われがちなのは、当たり前のことだが、それらは普通、友だちとは呼ばれないものだから、あえて言葉にされるのだ)。

※この文章は、さらに広がっていくので、明日に続く。