ブログ「いらけれ」

そうですね、葉書が来ていたので私は、投票に行ってきました。その日のことを思い出しています。

暑かった気がする、なぜなら帽子を被っていたから。黒い帽子は、マスクも付けた僕を、より一層怪しくしている。投票は、かつて通っていた中学校の敷地内に入ることと、あの特殊な紙に文字を書き、そして折ることだけが目的になっている。正直、細かい政策の違いなんて知らないから、僕が投票するべきじゃなかったと思いながら、いつも体育館を出る。僕みたいな馬鹿が、イメージだけで投票してしまうからいけないのだとして、じゃあどうすればいいんだって、候補者の主張を読むなんてつまらないことに、粘り強く付き合うべきだとしても、現実的に無理なのだから。そういうことを考えるために、僕は図書館へ行くのだが、忘れてはならないことは、素晴らしい言説に彩られた出版文化というものがある(あるいは、かつてあった)として、現実がこうである以上、それには何の力もないということだ。はっきりと、敗北している。

それまでに借りていた『ヒーローと正義』という本は面白かった。一から十まで、すべての議論に納得できるわけではなかったものの、古今東西の物語で描かれてきた正義と悪について、興味深い分析がなされていたし、示唆に富む内容だった。例えば、学園ドラマにおけるヒーローとしての先生は、金八先生でもGTOでも、ある種の型破りさを持った、ルールを逸脱している者として描かれる。このことからも、人々は単純に、規範を破っているから悪だと捉えるわけではないということが分かる。そこから、もしかしたら権力者のルール破りですら、誰かにとってはイケてる逸脱に見えているのかもしれないと考えた。現実とは、とかく難しいものである。

あと、この前にも少し書いたけど、『僕たちのインターネット史』も読んだ。インターネット後発参入組だから、普通に知らないことが多くて勉強になるし、インターネットの歴史を語ることから、その当時の雰囲気が分かるあたりも面白い。西海岸的なイデオロギーみたいな話は、それこそお勉強として知っていたけど、より詳細に、そして日本社会におけるインターネットの需要と、それらの思想はどうかかわっていたのか(かかわっていなかったのか)ということについて、理解を深めることができた。普通に、著者二人がわちゃわちゃ思い出を語っている感じもよかった。ただし、やっぱり現代に近づくに連れて、読んでいて気が重くなるというか、暗くなる感じはあって、それは今のインターネットがひどいからって理由によるものだけど、妄想に取り憑かれてしまった人(ネタがベタになってしまった!)が、差別発言を繰り返すようになった今、どういう仕組みを作っていくんですかね?という問いへの答えは、なかなか出ないものだ。

もう一冊、『小説家の饒舌』も借りていたのだが、途中までしか読めなかった。面白くなかったわけではなく、時間切れによるもの。僕は小説家になるので(笑)、参考になるところを拾うつもりで読んでいたが、桐野夏生、阿部和重、古川日出男を逃してしまったのは痛恨の極み。まあ、達成されていないものが多くあればあるほど豊かだし、大事なものに出会えないのが人生かなとも思うので、よしとする。

(続)