ブログ「いらけれ」

ダメだ、すでに好きなもの、愛しているもの、贔屓にしているものじゃない物語を見ても「俺ならこうする……」としか思えない。自分の思うように、その通りにしたら、もっと面白くなるわけじゃないことは、当然分かってる。でも、〈世界〉や〈物語〉について、真剣に考えたいという気持ちが強くあって、だから、中途半端な態度というか、底の浅さを感じてしまったり、自分では思いつかないような世界を見せてくれなかったりするものに対しては、冷たい感情を持ってしまう。僕が、実作者として一歩踏み出したのなら喜ばしいこと、単にひねくれて、心が閉じているのなら悲しむべきことだ。
追記:好きじゃないじゃなくて、これ嫌いだ……。嫌いという力は大きくて、そこまで思わせてくれるというのは、ありがたいことだ。どうでもいいものは嫌えない。ここにこそ、僕のこだわる何かがあるのだろう。嫌いな理由を、真剣に考えてみる。

通り魔的な犯罪が怖い。偶然に、そこにいたことで襲われるという、防ぎようのなさや因果関係のなさも、そりゃもちろん怖い。でも自分が、そういうことをしない人間であることが、ただの偶然であることを教えられているようで、それがもっと怖い。なにかが違ったら、蝶々の羽ばたき次第では、僕も向こう側の人間になっていたかもしれないと思う。だから、古今東西の凶悪事件について書かれたウィキペディアやブログを読んでしまうのかもしれない。

ゲームを買ってもらえないことに駄々をこね、多くの人が行き交う横断歩道で座り込んで、夕暮れに手を引かれて歩いた新宿。あの時見たものを、そのまま見た通りに、仔細に書くことは楽しい。覚えていることなら、いくらでも書けるさ。目をつぶっていても。でも僕は、今は未来のことを書きたい。気を抜くと、過去ばかりみてしまう自分がいる。僕の未来、僕はあの父が経験したような面倒を、引き受けることができるのだろうか。

『欲望の資本主義2019』を見た。GAFAの分析していたおじさんが、「グーグルは神だ」って言ってて、(『僕おも』じゃん…)って思った。あと、「アップルはセックス」とか言ってて、(頭おかしい、僕の仲間だ!)と思ったということは、ここでは置いといて。
番組について、前回の2018は面白く見て、ポッドキャストで思ったこと、思いついたことをしゃべったりもしたんだけど、今回はそういう気にもなれず。何度も聞いたような現状分析と対抗策では、この先が良くなる気がしないよ。まあ、そういうことならば、お前が頑張れという話なのは分かっている。


【歌詞つき】Stairway to you(C’mon ! MV ver.)/FoZZtone【official】

僕も僕に 期待してるしさ
いいね、変われる
hello hello

ブログ「いらけれ」

ビッグデータを分析したら、人間は朝と夜で、思考も嗜好も違ったんですって、まるで新しいことのように言うけれど、そんなの、夜中に書いたラブレターを、朝に見返したら恥ずかしくなるって、もう皆が経験的に知っていることじゃないか。最先端の知見なんて、目くらましなことも多いよ。

お正月、取れ高がすごい。これでも書いていないことがいっぱいだからな。毎日がお正月みたいな日々が、この緯度と経度に出現し続けてくれればいいのに。

なんかauのキャンペーンで、ローソンのコーヒーがもらえるというから、わざわざ30分くらい歩いて、家の周りにローソンができてほしいなあと思う。アイスかホットかで、なぜかアイスを選んでしまった僕は、この冬にアイスコーヒーを頼むヤバイ奴、そして歩きながら飲む非常にヤバイ奴になった。あまり来たことないなこの辺。甘いコーヒー、暖かい日差し、知らない街。こうして歩くことが金になればいいのに。シバハマラジオの水曜日が面白い。ゲストの玉川太福が、浪曲師になった経緯を話している午後。
書き忘れたことを思い出す。初詣に行ったとき、前に来たのはいつだったかという話になって、このブログに、そのとき引いたおみくじを載せたことを覚えていたので、写真の日付を確認したら2016年だった。そのブログというのが、「1/2 初詣」で、何度読んでも、このおみくじに書かれていた短歌は切なすぎる。3年ぶりに読んでも、そのときの切ない気持ちが湧き上がってきて、家族に「切なすぎるでしょ、これ」と画像を見せ、語ってしまった。で、2016年という年は、まさにこの歌のような一年だったわけで、振り返ってみれば警告されていたし、当たっていた。シーズン開幕前の、野球解説者の順位予想が、あまり顧みられないことが不満で、それは、そういう緊張感がなければ、なんとでも言えてしまうからだ。おみくじの答え合わせは面白そうだから、来年の1月までここがあれば、やってみようと思う。
ゲイラカイトは高く飛ぶ。ほどなく中央公園に出ると、子どもと同じくらい楽しそうに大人が遊んでいる。風が強かったので、凧は気持ちよさそうだ。雲の無い空。木の上に、アンパンマンの描かれた凧が絡みついている。よく見ると、他にもいくつかの凧が引っかかって、そのままにされていた。捨てられたあの凧に、親近感を抱いた。

もっと普通にしゃべりたいなって思う。政治のことも、生活のことも、愛のことも。普通にしゃべる、てらいなく、そして素直に。誰かに喜ばれるからとか、そっちの方が面白がってもらえるからとかじゃなくて。でも、しゃべろうとすると、つんのめって、あるいはつまって言葉が出てこない。リハビリ、あるいはトレーニングとして、こうして語りかける言葉。


【歌詞つき】Morning Glory(live ver) / FoZZtone [official]

心に光は射しているか

ブログ「いらけれ」

松の内が明けても、まだお正月の話をしてるってのは、ちょっと、どうなんだろうか。まあでも、西武ドームから歩いて帰ってしまったんだから、書かないわけにはいかないってなもんで。駅で親と別れて、耳にイヤホンを突っ込んで歩き出した。まず、西武ドームの脇を抜けてこうと思ったんだけど、抜けられないようだったので引き返す。グーグルマップで経路を調べたら、1時間半っていうから、まあ行けるじゃろうとなめていた。

『深夜の馬鹿力』を聞きながら住宅街を歩くと、意外と人が出ている。2日じゃなければ、こんなにすれ違わないんじゃない?家族団らんという風情の人たちの間を、このツラで抜けていくのには大変なツラみがある。ツラだけに。てへへ、と左側の家の大きな窓に、こちら向きに白黒のポスターが飾ってある。これが、若かりしころの松坂大輔で、まあ西武だからおかしくはないし、日が当たって色あせたのだろう。しかしこれ、20年ここにあったのだろうか。辺りの景色が、ちょっとずつ山みたいになっていく。

こんな時ぐらいやめとけばいいのに、歩きフリーセルしてたら、いつの間にかルートを外れている。元のルートに戻れる道が、道というか超坂。しかも、舗装されてないゴルフ場の脇のところ。フェンスを頼りになんとか上がったけど、死ぬかと思った。草の生えていない黒い地面のところでは滑った。坂とかマジで無理。そこで「つうか、この辺やべえな」ってことに気づく。わざわざ一旦急坂や階段を降りて、そんでめっちゃ上るんだもの。ここに住んでいる人の太ももと心肺機能、鍛えられそう。犬の散歩してる人、ちょくちょく見かけたけど、すごいな。


こう見ると、そんな急じゃないっぽいのが悲しい。リアリティは、インスタには上げられないのだ!!

ゴルフ場エリアが本当に辛かった。ファミマのベンチに腰かけて休む。立って少し行くと、目の前に大きな湖がキラキラと光っている!これが多摩湖です(写真はありません)。隣の西武園ゆうえんちを、一心不乱にのぞいている少年がいるが、なんかやってんだろうか。行きの電車からは、プリキュア的な何かのステージをやってるのが見えたけど。わざわざ柱で高くしてあって、景色が良さそうなレストランで、一服する自分は想像しただけで、僕は行かなければならない。


遊園地の、回ったり上がったりする乗り物。僕は、乗ったことないけど、ちょっと乗ってみたいという、少年の心を忘れてない。

ずっと昔に買っていて、大掃除の際に出てきたアンクルウエイト(500g)を、ここのところ付けていたのだが、今は後悔しかない。足いた~い。あ、西武遊園地駅の階段すごい。これ上るの大変そう。グーグルマップが示す道に沿っていたら、また住宅街に入ったのだが、そこの自転車を通行させないための仕掛けが面白い形してて、ああ、パラレルワールドに入ってしまったのだなと思ったけど、そんなことはなかった。住宅街を抜けたらすぐに、遠くに東村山の駅ビルが見えたから。そこからは、家までもう、そんなになかった。途中、派手な絵が描かれた幼稚園とかあったけど。浄水場のとこに出て、したら駅まで30分くらいだし。結局1時間半で家に着いた。朝から合わせて1万7000歩あまり。デーゲームなら西武ドームで見て、歩いて帰れないことはないだろう(夜は山が怖い)。でも、あのアップダウンを、もう一度歩くのはゴメンだ。エスカレーターを付けてほしい。あるいは山を削って、谷を埋めて平らにしてほしい。そうなったら教えてほしい、また歩くから。


ここにもあった自転車避け。さすがに階段のところには、いらないんじゃない?

ブログ「いらけれ」

初詣に行ってきた、一月二日に。天気が良くて、風はそれなりに冷たかったけど、ぜんぜん大丈夫って感じだ。向かうのは狭山不動尊。ここに引っ越して来る前から、ずっと行っているらしい。八坂駅まで歩いて、八坂駅では、いつも富士山が見えるのだけど、遠くに雲が出ていて、見えなかった。流暢に日本語を話す外国人の女性が連れていた二人の男の子は、電車が好きらしく元気にはしゃいでいて、こちらも元気をもらう。

なぜ初詣に行ったのかといえば、気まぐれとしか言えない。いつもは行かないのに、今年は行ってみてもいいかなという気になっただけ。働き始めて、家族に対して、少し後ろめたさがなくなったのもあるかもしれない。やや前向きになっているのかもしれない。

思い出話をしてみる。前の家のこと。西武遊園地のこと。レオライナーのこと。西武球場に来た記憶や、ユネスコ村の話。ゲームセンターがあったこと。僕は、そこに30個ほどあった100円入れると動くパンダや熊の乗り物に、全部乗ると言ったのだそうだ。ゴルフ場が見える。新年からゴルフをするなんて、よっぽど好きなんだろうな。そうこうしているうちに、電車はあっという間にお寺さんに着いた。

参拝する人が多いって、そんな話前もした気がする。お賽銭を入れるために、結構な行列。ディズニーランドじゃないんだから。待っていたら、風に乗ったお焚き上げの煙と灰がかかって、動線に関する基本的な設計を間違えてるんじゃないかと思った。「財布が痛むぐらいのお金を入れないといけない、神様が見てるんだって」という話を聞く。日本銀行券に詳しくて、しかも、財布の中まで見てご利益を決める神様なんて、現金すぎるのではないだろうか。5円を入れて、新しい仕事が見つかることを祈った。あと、お賽銭を入れてつくとご利益があるという鐘のところでも、同じことを祈った。お願いします。

気になるおみくじの結果は以下の通り。

「自分を貫くとは、自由と挑戦と少しの苦痛でできている」って、なんかポエムみたいだ。ポエム化するおみくじ。吉だったのは良いし、書かれていることも信じたいことばかりだけど、この写真を撮った後に、このおみくじの番号が「第四十二番」なことに気づく。そんな縁起の悪い話あるだろうか。入れなければいいのではないだろうか。

ゲームセンターはすっかり物置になっている。お寺の近くには立派な建物がいっぱいあるけれど、どれも使われていないという。気になったので調べようとしたところ、狭山不動尊が1975年に建立されたことを知る。うん、なんだか有難みが。うん。屋台で焼きそばとかお好み焼きを食べて、「これ一つで500円って」などという、だったら最初から食わなければいいじゃん、でもこれも楽しいのよ、みたいな会話をして、歩いて帰った話を明日はしよう。