ブログ「いらけれ」


GRAPEVINE「here」from 15th Anniversary live at NHK Hall (2012.09.26)

下心とか、あるのかなあ。僕は、自分の下心が苦手だから、下心なんて、ないことにしていて、でもきっと、それはある。彼女は、西友のセルフレジに入るところだった。何も買わずに出ようとする僕とすれ違った。顔を見た。そして、彼女も見ただろう。

彼女は転校生だったはずだ。そして、いじめられていた。汚いとか、菌と言われていた。それはそれは、ひどいものだったけれど、僕は何もしなかった。何を言うこともなかった。ほどなくして、僕は学校にいかなくなった。そういえば、僕も転校生だった。複雑な事情、危機、地獄、市役所の相談室などを乗り越えて、僕は生きた。そして、彼女も生きた。僕の知らないところで、彼女はどう生きたのだろう?

話しかけようと思ったのは、店を出てからだった。でも戻らなかったのは、単に勇気がなかったからだ。しかし、その時の勢いで、声をかけなくてよかったと思っている。いくらクラスメイトだったからといって、いや、むしろクラスメイトだったからこそ、声をかけられたくないかもしれないし、恐ろしいと思うかもしれない。嫌なことを思い出させてしまうかもしれないから。

下心があるのだろうか。それとも、単純な興味?あるいは、書くもののネタにしようと考えているのだろうか、僕は……。

「謝りたい」という気持ちは、なんて自分勝手なものなのだろう、と思う。今さら謝るなら、そん時止めろや。だから、とはいえ謝らざるを得ないから謝るとして、それはそれとして、なんかありがとうって言うと思う。そこにいることに対して。過去の行いを、救ってもらっているような気がしたから。

やっぱり、すべて自分本位だ。相手のためにならないのならば、このまま、すれ違ったままの方がいい。そんなことは分かって、でも、どうしても話してみたい。言葉を聞いてみたいと思う。何を言われてもいいよ、彼女にはその権利がある。

彼女の目には、あの世界はどう見えていたのか知りたくて、とても暴力的なことだと分かりながら、でも、今度会ったら声をかけてみようと決心する。迷惑、だよなあ。「お前は、この世にとって迷惑な存在だ」という内なる声を聞きながら、それでも決意したのだ、彼女の知らぬところで、勝手に。

駐車場のくぼみに水たまりがあって、そこに光が射していて、なぜかエメラルドグリーンに輝いていた。とても美しかった。僕は立って、それを見た。下心ではなくて、僕が話しかけることが彼女のためにもなると、そう思いたいらしかった。これは勝手な思い込みだ、僕は危ない奴なのだろうかと、この液体に問いかけたけれど、当たり前だが返事はなかった。

ブログ「いらけれ」

SNSがあってよかった、世界を幸福にしたって心から思ってる人って、何人くらいいるんだろう。これは僕だけかもしれないけれど、スマートフォンを触らないで死んでいくであろう人々が、羨ましいと感じるときがある。便利という名の不幸に投げ出されているみたいで、良いことは忘れやすいから。

『ラジオ寄席』でナイツの漫才を聞いていて、二人の声が調和してるなあと思った。音楽として、耳に心地いいというか。漫才に限らず、落語でもなんでもそうだし、口跡の音楽性ってあると思っていて、かなり大事だと思うんだよね。このあたり、音楽を分析できる人に、漫才を音楽的に捉えて研究してもらいたいなあ、とか思っていて、人任せだなあ。

野球を好きじゃない人はまったく知らないだろうけど、この頃は新人選手たちが「入寮」する時期で、アマチュア時代から注目されている選手だけじゃなくて、下位で指名された選手も含めて、持ち込んだ枕じゃないと眠れないとか、実は読書家で本をたくさん持ってきたとか、家族と一緒に来たその様子とかが報道される。寮に入るというそれだけのことが、エンタメになるの面白いなと思う。入寮エンタメ。

囲碁将棋チャンネルだったはずのテレビは、ベッドの上にあったリモコンに乗ってしまったはずみだろうか、いつの間にか釣りビジョンに変わっていて、新年を祝うスペシャルなのだろうか、船の上に座った釣り人は、段になっているところをテーブル代わりにして、緑色のそれにショートケーキを皿もなしに置いて、下に敷かれた薄い紙から剥がすように、フォークで器用に食べていた。あまりにインパクトのある映像だった。それだけに、現実じゃないみたいだった。だから、寝入る前に目をつぶっても思い出したあのシーンは、本当に本当だったのだろうか。

昨日はあのイベントに行かなかったし、今日はこのライブに行かなかった……って、心のコントロールに失敗している僕は、できなかったことを数えてしまう。そうなってしまいがちだよね。この一日だって、ちゃんと起きて、髭を当たったり、着替えて散歩に出たりしたのに!こうしてブログだって書いているし。まずは、できたことを自分で褒めていこう。それで、できなかったことは、今度できたときに、もっと褒めればいいのだ。


PUNPEE – タイムマシーンにのって (Official Music Video)

俺ってやつはいつも気付いた時は手遅れ
絵空事ばかりうつつ抜かして

ブログ「いらけれ」

あー、昨日は書きたいことを書けた。それも書きたいように!久しぶりに。それで、オーディエンスの求めるものと、金になるものと、演者のやりたいことって全然違うのだろうことが、とてもよく分かった。ぐぬぬ。

なんで小説を書いてるつもりなのに、ツイッターの肩書きが批評家/ライターなんだろう。そんで、なんで今の今まで気付かなかったのかが不明。ライターは実際にそうだからいいとして、批評家は半分冗談だからいいとして、しかし、商業出版を経験していないものが小説家を名乗るのはなあ。う~ん、作家?文筆家?物書き?……そうだね、うん。すべて合わせて、"ものかき"って感じかな。
追記:このサイトのプロフィールでは、「「頭痛派」代表。作家/批評家/ライター/ラジオパーソナリティー。」ってなってるんだね。これはこれで、確かに間違ってない。いや、すべてが間違ってるようにも思えるけど。

「こうして見上げると、伸びた木は空の血管みたいだ」というセリフを、確かに僕は言った。気障な男子高校生は、コンビニに肉まんを買いに行った友人たちを公園のベンチで待ちながら、隣でモンスターハンターを遊び終え、同じく帰りを待っていた同級生男子に言ったのだ。これはその頃、GRAPEVINEの『指先』のMVを、ケーブルテレビで繰り返し見ていた内の一回、最後のシーンで思ったことだった。それがずっと心にあって、たまたまその時に口から出てきた。何気ない一言は、僕が思っていたより絶賛され、僕は、すごい発見をした偉人のように褒められていた。肉まんを買いにいった奴らは、ホットのカフェオレを僕らのために買ってきてくれた。温まった僕らはその後、鬼ごっこなどをした。バカなのか、それとも輝いていたのか、ただそこにいた僕らは、僕にとって大事な思い出になっている。

ある物語の、あるキャラクターのセリフが、セクハラなことにビクッとする。現実世界に、セクハラが存在している以上、そういった発言が劇中に出てきてもいいはずだが、しかし、そこにツッコミを入れてほしい、アウトな発言だという説明があってほしいと思ってしまう。物語は、イデオロギーの入れ物ではないはずで、間違った行いをした人が報いを受けずに、のさばっていいはずなのだ。だが、受け手の私が、それを許せなくなっている。許さないように、時代に方向づけられている。
現在のフィクション内においては、あらゆるハラスメントや差別はすでに、丁寧にオミットされるか、あるいはコテンパンにやっつけられるかという運命にあり、もし作り手が自覚なく描いてしまえば、大いに批判され、炎上の憂き目にあうことを避けられない。物語というものの取り扱いについて、結局、決着を付けてこなかったツケが回ってきているわけだ。フィクションが、政治的正しさの前に跪いている今の時代には、本当に『大脱走』ではなく、『模範囚物語』が求められているのだろう。おそらくもう、フィクションは負けている。だからこそ、できることを考えている。


GRAPEVINE – 指先

矛盾をわかっている

ブログ「いらけれ」

精神のチェックポイントなのかもしれない。なにが?

文章を書ける、書けないということが、僕にとっての。体は元気だったとしても、訳もなく心が不調だったり、体の不調が、実は精神の異変によるものだったりする。そして、それに気付いてなかったりしてね。吉田アミさんのnote「壊れたあたまの直しかた」で、書かれていたことに影響されているな、これ。読んでグッときたから、同じようなことを書いてしまった。それもこれも、本当に悪いことなのか?

テレビで、新日本プロレスの東京ドーム大会(イッテンヨンね)をやっていて、でもまあ、やらなきゃいけないことがあったというのもあるんだけど、パソコンで作業しながらぼんやり見てしまって、そのことを夜中に後悔していた。でも、あくまでも自分にとってはだけど、もっと大切なことがあって、それに集中していただけで、それなのに、なんで後悔なんてしていたのかといえば、心の調子が悪かったからだ。

この前ローソンでもらったコーヒーの容器に、家にある紙パックのコーヒーを入れて飲んでいる。コップは汚れないし、蓋はあるし、容器が汚れたら捨てればいいし、利点だらけだと喜ぶ気持ちを上回って、みすぼらしくて虚しく、貧乏くさい自分が嫌で、人としてダメだと思ったんだけど、でも、これも考えてみれば、ただメンタルがやられていたからそう思っていただけだろう、きっと。みすぼらしいのは本当だけど。

めちゃくちゃ単純に、仕事が始まって憂鬱なのかもしれない。僕の人生は、無駄にするためにあるのではない。僕の人生は、僕がやりたいことを実現するためにある。つまり、金儲けより優先すべきことがある。あるいは、期待して見始めたアニメを、つまらないと感じてしまったことも、影響しているのかもしれない。合う合わないもあるし、そんなもんだと分かっている"つもり"でも、やっぱりダメージはあって、落ち込んでしまうことも、そういう経験はあなたにもあるはずだ。

ギターを持って街に出た人は、きっと、たくさんいた。でも、聞いてくれる人ができるまで、歌い続けた人は少なかったんじゃない?やめるポイントはいくつもあって、でも、やめていたら今の自分はない。出会えなかった人もいただろう。続けてきたことが自信になって、続けていくことが希望になる。

つかお前、大事そうに金貯めてないで、使えよ!そのままだとたぶん、そのまんまだぞ、お前!頑張って、結果、死んだ人を馬鹿にしたくないお前は、つまり頑張って死ぬべきなのだ。この怠惰と絶望のサークルを抜けて、、、なんか、この先が思いつかないという締まらない終わりだけど、でも、希望が手元にある今の僕は、それがいいと思った。