ブログ「いらけれ」

数日前に100円ショップに行った。洗いながら使っていたとはいえ、いい加減汚れてきたコンビニコーヒーのカップを捨ててしまったからだ(まだ使っていたの?)。100円ショップには、ちゃんと蓋とストローのついたコップが売られていて、しかもデカい。野球場のビールの紙コップぐらいある(コップをコップで例える?)。一度これにコーヒーを入れてしまえば、死ぬまで飲み切らないといった風情だ(なお3時間ぐらいで飲み切る)。便利と引き換えに、もっと大切な何かと、健康を失ってしまったみたいだ。

緑っぽい青のそのコップには、白い四角の中に「YES」と、白い文字で三つ書かれている。アメリカのプロレス団体には、「Yes is Dead」と言った人もいるというのにである。それは関係ないし、また、あまり関係のない話をするが、「YES or YES」という曲を歌っていたアイドルグループ、そうTWICEの「LIKEY -Japanese ver.-」見ました?僕は見ました。背景等から考えるに、同じ場所で別バージョンを撮っていたと考えるのが自然だけど、そんな前から日本語バージョン用意されてたんかなあ。というか、欲しいものはそういうんじゃなくて、っていう気がしてしまってなあ。紅白の態度云々というバッシング記事も出てたし、いよいよ苦しい時期が、本格的に到来するのかなって思う。ま、そんなことは関係なしに、僕はONCEで居続けるけれど。

歩いて、裏からアパートに帰ってくるとき、「ショートカット、ショートカット」と、道の向かいのマンションの駐輪場を通った。そこは、マンションの一階に入っている居酒屋の裏でもあって、また、完全に敷地内のマンションの陰になっているから、人の目が届くことはないし、ほとんど人が通ることもない。足元を見ながら歩いていると、砂利道に小魚が落ちている。えってなる。円形にぶちまけられていて、何かを召喚する模様のようだ。えっえってなる。写真でも、撮っておけばよかっただろうか。僕は、足早に通りすぎてしまった。

僕の場合、ただ貯めていたってだけだけど、『荻上チキ Session-22』を一か月遅れで聞くのは、怪我の功名、素晴らしいことなのかもしれないと思う。やはり、リアルタイムには熱があり、そこから距離を置けば冷静を得られる。少し間をおいて、遠くから眺めることで分かることがある。滑稽さも酷さも引き連れて、時代は行く。


七尾旅人×やけのはら – Rollin’ Rollin’

それがすべてさ それがすべて
それがすべてさ それがすべて

ブログ「いらけれ」

予約していた、毛玉『まちのあかり』は当然、かなり前に届いていた。封を開けることができてよかった。開けたら、間違ったものが届いていたり、傷がついてたりしていなくてよかった。あとは、聞くことができるかどうか、そこにかかっている。積んである本はいっぱいあるのでな。それもいつか読むし、CDはもちろん、いつか聞くよ。きっとね。

深く傷ついたことがないのは、幸せなのかもしれない。あるいは、傷つくべき局面で、ちゃんと傷つかずにヘラヘラやり過ごしてしまったのは不幸なのことなのかもしれない。

「入寮エンタメ」と同じぐらい気になっているのが、「自主トレの時、近くの温泉に参加メンバー全員で入って、そこで集合写真を撮る」というアレだ。なんなんだ、アレ……みんなタオル一丁で、ガッツポーズとかしてるし……。謎の慣習だが、現代の野球選手は、もちろんアスリートなので、筋肉質の引き締まった身体をしているから、そういうのが好きな人にとってはいいのかもしれない……にしたってなんなの!

あの日の僕は、同級生の女の子を見かけて、声をかけられなくてがっかりしていたわけじゃなくて、スーパーを巡って探したミックスナッツが、最安のお店でも高くて、でも、チョコレートは安くて、でも、そもそもは間食をカロリーの低いナッツで凌ぎ、後に痩せるはずだったのに、普通にチョコを食べてしまう本末転倒で、あとミルクレープを買ったら1700円ぐらいして、自分の貧乏に落ち込んでいたのだった。あの緑の水たまりも、そのスーパーの駐車場にあったもので、西友に駐車場とかないし(今調べたら、駐車場はあるみたいだけど、なんか離れたところにあって、僕は知らなかった)。それで、ミルクレープはヤマザキの、普通のミルクレープだったんだけど、めちゃくちゃ美味しくて元気出たけど、それだとドラマがないかなと思って、嘘をついた。

今の社会がキツイ。情報のあり方とか、その肯定のされ方とか。僕たちは、歴史を教わって、歴史を学んでいるけれど、さっぱりリアリティがなかった。それで、僕らが歴史を繰り返し、そして、いつか歴史として振り返られるであろう社会の中にいると、「ああ、こういう感じなのかあ」って分かって、まあ、分かったところで何もできず、英雄は現れず、自分だけはアゲインストできるという自信も破られ、悲しく死ぬんです。


GRAPEVINE「それでも」

買ったきり積んだままにしてた
難しげな本が今わかった気がしても

ブログ「いらけれ」

4日間ぐらい何も書けなかった。一文字も書く気になれなかった。その期間を経て、書いたのはこれではなくて、昨日のあれだった。よく分からないままに、あれが自分のなかから出てきた。書き始めたら、すぐに書けて、つまりそう、僕はきっと普通の顔して生きていてはいけないくらいには、頭がおかしいわけである。

書かないで何をしていたんだろう。いくらかのテレビを見たような気がする。いくつかの動画と、ラジオとか。あと、ずっとゲームしていたような気がする。片隅では、仕事探さなきゃって思いながら。歪んだ耳鳴りのような人生だって思いながら。ラーメンズが、ユーチューブに上げているコントを見ながら。

始めはサンドウィッチマンの動画を見ていた。次は東京03。その二つは、全部見てしまったから。前から上がっているのは知っていて、いつか見ようと思っていたから。でも実は、ほとんど全部、一度は見たことがあるんだ。なぜかって?そのことについては、少し物語があって、思い出があるんだけど、その話を読みたいって人はtgoto27@gmail.comまで、メールしてくれたら教えてあげるよ。

DVDを、一枚一枚見ているときには気が付かなかったことに、たくさん気付いた。これほどまでに、会話の文脈が読めない人コントがあったなんて。しかし、再生回数が10万回程度と少ない動画がほとんどなのは、なぜだ。ってまあ、テレビに出てないからなのだろうけれど。でも、せっかく見られるのだから、多くの人に見てほしいと思う。見て悪いものじゃないから、一応。

あと、歩いた。4キロ先のスーパーまで、そこに行って、あるアプリでログインすると、楽天ポイントが10ポイント貯まるから。他の日も、二度出かけたりして、1万8000歩とか、1万6000歩とか、スマートフォンの歩数計に数字が残っている。2時間か、もっと外にいたりして。

踏み出した一歩が教えてくれることは、なんだろう。痛い足の裏は、何を伝えているのだろう。とても冷たい風の日に、そのことを書かなかったら、次の日はもっと寒くて、書かなかったら、全部残らないなと思った。
目の前のことは、あっという間に塗り替えられて、あったことも思ったことも、すっかり忘れてしまう。

シバハマラジオの金曜日を聞きながら、それが終わるまで、夜の街を徘徊する僕が、中が明るかったから、初めて気付いた。扉の取っ手が、大きなバイソンの角のような、そういうバーを見た。これも、しっかりとそこに居た僕が、書いたことだ。


毛玉 – 暗夜行路

※これは、本当は「青い部屋」に付けたかった曲。二つに分けるつもりだったんだけど、やめたらから。でも、この日記にも合うんじゃない?

ブログ「いらけれ」

3

ずっと昔に、そこにあった家は、今ではもう、なくなってしまった。見る人によって、茶色とも赤色とも言われた特徴的な外壁は、砕かれて取り除かれてしまった。でも、作られた時から、そうなることを予見していたのだ、誰しもが。
大雨が降らないと川らしくならない、乾いた川に架かった橋の側の、店頭に置かれた金魚鉢からいつも空気が出ている、表のガラスに「シベリヤ始めました」と張り紙がしてある、今では地面から雑草がいくつも伸びているあの角にあった和菓子の店になった家は、昔は商売なんてするつもりのなかった男が住み、長い時間の中で、家族を作った。男と結婚した女は、男が和菓子屋になったことに、心底驚いた。二人には息子がいたし、借金もあった。
息子の部屋は二階にあって、いつのころからか「勝手に開けるな」というプレートが掛けられるようになり、誰かに入られることを拒否していたが、中の様子はあまり変わっていなかった。小学生のころには宇宙にあこがれを持っていたから、宇宙がモチーフの壁紙が貼られていた。それはとても、青い部屋だった。
それらはもう何十年も前のことだし、すべてこの世界にない。家族はみな死んだ。彼らの事を覚えている人は、数えるほどだ。家は、いつか壊されることになるのだから、始めから作らなければよかったのだろうか。

「プロジェクションマッピング」って言葉を聞くと、いつも『インディヴィジュアル・プロジェクション』を思い出すよね。いつか、そう10年くらい前に読んだ阿部和重の小説。『ニッポニアニッポン』と一緒に、単行本になっていた。ユーザーネーム「パンダ君」として、毎日こそこそと活動して、インターネットの海に常駐している僕の現状は、『ニッポニアニッポン』のあの主人公と近いのかもしれない。とかいって、内容はほとんど覚えていないんだけどね。
つか、そんなことより、あのDMだろう。あれを早くなんとか処理しなければ。「いつもブログ楽しみに読んでます、今度会いませんか」って書いてあったけど、僕の見ているこれは、現実なのだろうか。こんなことが、本当に起こり得るのだろうか、僕の人生に。だから夢か、幻だとしても、でも会いたい。可愛い女の子だったらどうしよう。下心は、もちろんある。
でも、会ったところで、いつか死ぬし、絶対に別れることは決まっている。会ったことで、嫌な思いするかもしれないし。それなら、会わなければいいなんて、その時の僕は、これっぽちも思わなかった。だから、「会いましょう」と返信した。