ブログ「いらけれ」

書こう書こうと思って、毎日自分にがっかりしながら、暖かい布団の中で午後まで眠った。暖かい布団という環境で、すぐにイチコロにとろけてしまう僕という人間の、動物的な部分が面白くて、声を出して笑った。人間をダメにするためには、寒い部屋と、暖かい布団さえあればいいということか。見ていた夢は、高校時代の友人とカラオケに行くというものだった。何を見たからこの夢を見たのか、昨日のブログを読めば、それが分かるかもしれない。

資料を読み込んで書かれた小説、参考文献がたくさん挙げられているような小説に対する、僕の、居心地の悪い心。ウィキペディアじゃないんだから、というような思いか、勉強したから偉い凄い、調べられているからリアルに違いないというような受容に対する反感か、その中心がどこにあるのかまでは、分かっていないのだが。
でも、そういうのもあっていいと思う。そういうものが、果たす役割もあるのだろう。僕がまだ理解できていないだけなのだ、コントを見て、落語の方が優れているとか、言っちゃう人にはなりたくない。ロックが好きだから、ジャズはダメだとか、ミュージカルは分からないから面白くないとか言いたくない。それぞれがそれぞれに、優れているのでも劣っているではなくて、違う方を向いて、違う人のために存在しているのだけなのだ。現実の、目がくらむような複雑さに対応するように、数多の表現が生まれてきたのだから、僕がやるべきことは、僕が伝えたい誰かのために、僕のやり方で書くこと。

日差しの暖かさを感じる日もあったけれど、それでも1月には変わりなくて、強く頬にぶつかってきた風は、頑固に冷たかった。遠くの高層マンションと、右側に並んだ店と、左側の工事中の駅に挟まれた空が、とても青い。心がすっとする。この前は、大きな月が出ていた。月が大きいと、そうテレビで言っていたから、見るために玄関を開けて、すぐに驚かされたのだった。月が出ていようと、雲が出ていようと空は、いつもそこにあって、平等で、何を思うかは常に、自分に任されているのだと思った。
今日も一時間ぐらい歩いた。仕上げとして、川の上に架かっている歩道橋を、久しぶりに渡ることにした。ださいコンクリートの色。頭の中に、飛び降りることを思い浮かべさせるためとしか思えないほど低い柵だ。車のおもちゃの空き箱が置いてある。橋の途中から、柵は高くなる。新しく上に乗せられた金網の向こうは、いつもの夕暮れ。人生の苦しみを、少しだけ忘れていた。
思い立って僕は、その街を、[バンクシーの落書きのない東京]の写真を、スマートフォンで撮った。