不確か、しかしタフ(回文)

何も気にせず ありのままの世界見れたら
ぶち壊したいんだ 何処にだって行けるはず

そろそろ”ポエム”ってカテゴリーを作った方がいいかもしれません。
そもそもポエムってそんなに悪いものではないですし。
それこそ説明書/論文的なものの読み難さから逃れる効果もあるわけです。
そのようなレトリックの問題から離れた池上彰的な言説が求められているのも分かりつつ。

あなたが幸せになれないのは、幸せになれない価値観で生きているからだ
あなたが変われば世界が変わる、変わって見える

……などと言うとモロ自己啓発ですが。ある部分では正しいのかもしれません。
リア充もコミュ障も、その「充実」や「障害」として考えられている価値観は、ステレオタイプですよね。古くさいよ!って誰かが大きな声で、いつかの時点で言うべきだった気がします。
言葉がひとつの圧力として働いている現実は寂しい。そのリア充でないと、そのコミュ障だと馬鹿にされてしまう。また、言われる側も引け目を感じてしまう。これはもう立派なハラスメントではないか!(というのは冗談ですが。)

怖いのは、浸食されていくことですね。その価値観を自分のものとしてしまい、その競争に参加してしまう。上を見ればきりがないですから、誰もが誰かにとっての非リア充であり、コミュ障なのに。このままではいけないと思ってしまう。
大した対抗策はもってないです。多様性を称揚するような、自己啓発のようなありきたりな言葉になってしまいます。日々は戦争なのに。
文化、カルチャーには、きっと、おそらく、たぶん何かある……かもしれないと淡い期待を抱いています。
暢気だってことは重々承知です。菊地成孔『普通の恋』の歌詞のように、あまりに若くしてドストエフスキーを読んだりしたら、悪影響が無いとも限らないですし。
それでも。

例えば、一部の映画評論界隈(なんか変なまとめ方ですね。でも代わる言い方が思いつきませんでした。)で使われる「ボンクラ」という用語。
「これはボンクラのための映画だ」などと語られるとき。ここでいう「ボンクラ」は、モテないでダメで映画ばかり観ている、怪獣映画やSF映画などが好きなオタク的な人達たちのことを指していると思います。
世間の価値観では日陰者だし、ダメでしょう。ダメとされている人たちです。

でも、日々の戦争を生き延びて映画を観られたのです。だから、良かったのだと。

そこでは映画が評価されているとともに、ある人の過去が肯定されているのです。
何かをずっと好きで、周りに理解されなくても続けてきたという過去が。まるっと。

オタク的な、何かのマニアでなくても誰にでも、どこかでこういった瞬間が訪れるはずです。このために生きてきたと思えるような瞬間がかならず。
観たり、読んだり、聴いたりしていれば、かならず。

いつ来ると分からない不確かな可能性に賭け続けてタフに生き抜くこと。それしかない、のかもしれないです。

色んな愛を詰め込んだなら 景色は変わるさ
君が信じている世界なら 君にしか出来ないよ
誰がなんて言ったって 終わらない
どこまでも届く その思いを

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