記事は集金。

ああ、あと「常識と反対のことを言えば、何か良いこと言った風になる問題」についても、真剣に考えなければ。「人は死んだら居なくなるわけではないと思う」とか、「人生は一度きりというところから疑ってみる」とか。常識をこかせば、良いこと言ったことになるなら、誰でも良いことを言える。そして、そういう「常識こかし言説」には、良いことじゃないことが混ざっている。良いことと、良いこと風は違う。そもそも問われるべきなのは、良いこととは何なのか、ということだ。

僕が「荻上チキSession-22」で最も好きな瞬間は、本当にひどい答弁や改竄、不正やヘイトについてチキさん(荻上チキさんは「チキ」じゃなく「チキさん」で検索しているらしいよ!!)が流暢に解説しているときに挟まれる、アシスタントの南部さんの本気で呆れてる呟きやため息ですね。「あー、いるなー普通の人がそこに」って思って、リスナーはみんな普通の人だから、だから代弁者としての機能というか、僕の代わりにため息ついてくれてる気までする。本当にひどいものが現代日本には存在し、で、普通そこまでひどいものに対してはため息だよねってホッとする。

「勝負への執念は昔よりある」 山崎隆之NHK杯選手権者インタビュー

山崎 家族や親戚に対局を見てもらえるのは励みになります。昔は「頑張って」と言われるのが苦手でした。勝負は自分しだいで、混じりっけのないもの。他人が入ってきて、人間の情に左右され、いびつにされるのが嫌だったのです。
今は、応援されると素直にうれしいです。純粋なものは懐かしいけど、それではもう戦えない。つぎはぎでいいです。その代わり、つらいことをモチベーションに変えるとか、幅が広がりました。

このインタビューいいなあ、と思った。山崎八段、愛情を込めて山ちゃんと呼ばせてもらうけど、山ちゃんといえば、将棋のことしか考えてなくて破門されかけた少年時代(将棋ペンクラブログ「森信雄六段(当時)と山崎隆之少年」)。そういう背景を知っていると、より多面的に世界が、ああ、僕に伝わってきて、ああ、僕は感動してしまう。
プロ棋士は勝負師でもあって、基本的には、眼前の相手を負かすことで自分の生活がある。優しい人ほど苦しんだり、真面目な人ほど辛かったりもする世界。将棋を極めるだけなら最善手を探せばいい、しかし、勝負は時に最善手が必ずしも最善と限らなかったりする(「長い詰みより短い必至」って言うよね)。勝負が人間を剥き出しにするのか、そういう世界に生きる人たちの語る言葉の凄みは、やはり、そうでない人たちにとっては新鮮だ。だって、そういう世界にほとんどの人は住んでいないからさ。

そうそう、『カフカ式練習帳』のあとがきを読んでいて、「演奏家にとって重要なのはコンサートより日々の練習の方なのではないか。」っちゅう一文があったんだけど、これを読んで、「棋士は研究が仕事、対局は集金」という将棋界の格言(?)を思い出した。これ、競輪選手の滝澤正光さんの「練習が仕事、競技は集金」という言葉がもとらしい。で、だから、どの世界でもそうなんじゃないだろうかと思った。どの世界でも、対象に日々向き合ってる状態こそが仕事で、その成果が人の目に触れると、お金を払ってくれる人が出てくるから、結果としてお金に変わるのではないかと。
ブロガーにとっては「毎日の考察や、無数の下書きが仕事、記事は集金」なのだろうか。集金できてへんけど。

今日は真っ青なあじさいを見た。本当に真っ青。どうしたらそこまで青くなるのか、駄菓子みたいな青色だった。あじさいは、その色が赤色から青色まで、それがグラデーションで存在しているのがいい(白色もあるよ!)。ひとつの株に、花(僕たちが花だと思っているのは、実は萼らしい)が集まって大きいものも、小さいものも、また、赤色も青色も混ざっていたりする。だから、いつ見ても飽きない。

明日は人間と教育と、その捉えられ方の問題について書くけど、そんなことより仕事を探さなくてはならない。本当にこのままでは終わってしまうので……今日は以上!(お仕事ください)

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