〈青春〉

トークショーの質問コーナーで自説を滔々と語りだす人について、それについてのブルース。いつか作詞したい。

いつかのコラムのためのその二。「透明雜誌の透明ディスク(第2回)」より引用。

プロミス・リングはキャップン・ジャズのギタリスト=デイヴィ・ヴォン・ボーレンのバンド。
彼の歌声は絶対的な美声という類ではないし、時にハスキー・ヴォイスでピッチもそれほど正確ではないが、彼は間違いなく曲作りの天才だ!
初めてプロミス・リングのアルバム『30° Everywhere』に収録されている“A Picture Postcard”を聴いた時、まさに思春期で蒼かった僕は、歌が始まる3秒前のギターのハーモニクス(倍音)でこのバンドが好きになった。
当時、僕はいつもCDプレイヤーを持って一人浜辺に行き、この曲を日が昇るまでリピートして聴いていたのを覚えている――本当に〈青春〉していたんだ。

「イヤホンをして夜明け前に見る海」が想像できるこの訳文が、すごく好きだ。夜明け前の海は、僕たちに〈青春〉を思い出させる。想像は、僕たちが本当に〈青春〉していたこと、そして、僕たちが、あの〈青春〉から離れてしまっていることを痛感させる。でも、この僕たちの人生に「本当の〈青春〉」なんてなくて、僕たちは「本当に〈青春〉すること」しかできない。だから僕たちは、あの頃の〈青春〉を思い出すだけではなく、いつだって、これから〈青春〉することだって、できるのさ。

青春について書くつもりなんてなかった。誰も一人で書くことはできない。文章や音楽に触発されながら書いていて、すごくそう思った。考えることも、書くことも、何かしらの影響を、何かから受けている。それは良いことだと思う。一人じゃ思いつかなかったようなことが書けるってことだから。

『交響詩篇エウレカセブン』とリブートするコンテンツ 佐藤大インタビュー

ただ、新しいシステムを模索して成功例を生む前に、システムの外でつくられた『君の名は。』(2016)のようなオリジナル作品がドカンと当たると、みんなの気持ちが揺らぐ(笑)。

「佐藤大のプラマイゼロ」を聞いている人にとっては、目新しさはないというか、大さんらしいなーと思うだろう。でも、文字として読まれるようにしておくのは大事ですし、インタビュアーさやわかさんだし。
メディア状況によって、人間の考え方が変わってきているから、コンテンツに対しての向かい合い方が変わってきている(ライブ感のあるものがお金になる)。もう一方で、ビジネスモデルの変容も起きていて(起こさざるを得なくて)、コンテンツ制作も従来通りではいかなくなった、という内容。アニメーションだけでなく芸術一般、それがお金稼ぎでもあるという事実が厳然と存在しているので、難しいところだ。ただ「個人的にはこのままの路線を掘り続けるとまずいという感覚が、すごくあります。」という、大さんの憂慮はもっともだと思っている(ぼくは、ただの受け手でしかないけど)。

たぶん鴨が二匹いる。久米川ボウルの脇を流れていく野火止用水は意外ときれいだ。草が道路にはみ出している。ゴミ袋が捨ててあって、流れずにいる。掛かっている小さな橋の、下の構造が眼鏡橋のようになっていることに気付く。橋の下に鴨がいる。くちばしと足がオレンジ色をしている。どんな色か、例え様がない。鴨のオレンジだ。

曲のよさは、減衰しにくい。曲は現在と結びつき、いずれもう一度聞く時、過去を思い出すからだろう。つまり、人生の”BGM”として、記憶になるということだ。では、現在と結びつき、いずれ記憶になる文章とは、どのようなものか。音楽のように読み返せる文章とは。

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