『“山下澄人と佐々木敦による、鳥の会議”』メモ


書いていたものが、つまんねえなって思った。暇つぶしに書いた。書いてみないと分からない。筋を考えて書き始めるわけではないから、転がるか否かが大事。捨てることに躊躇はない。考えて起こすことはない、書きながら。考えてから書くと、下手さにうんざりする。イメージは後からつけていく。自分に語る法螺話。飽きてくる、退屈だから事を起こす。架空の人物と、実在の人物で「どうしているのか」と思う気持ちに線は引けないのではないか。意外なつながりに、自分でも驚く。そういうときは高揚する。時系列順ではなく、ランダムに頭の中にある、だから出てくる。自分を信用していないから、自分の考えたことはろくでもないと思っている。エンディングにはなかなか気づかない。終わりっぽいと思うと、続けてもそうなってしまうから終わる。過去作と似ているかどうかには本当に興味がなく、その時面白がれているかどうかが問題。見たは見られているを包んでいる、それを厳密に書きたいだけ。見える見えないは、もっとあやふやではないか。因果は逆向きにしかつなげない。

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