見慣れた空にブロックノイズ

コラム「後藤の超批評」,音楽

detune.という音楽ユニットの「終わる全土」という曲を繰り返し聞いている。MVがYouTubeにあるわけではないから、どうにかして聞いてほしい。現時点で、applemusicにはあった、Spotifyにはなかった。

この曲が入っているアルバムは、三部作の最後にあたり、かつ、この曲がそのアルバムの最後の曲である。何か書くなら、前二作のアルバムと、当アルバムを聞き込んでから書いた方がいいし、本当なら、アルバムの歌詞カードを見ながら書いた方がいいのだろうが、そこまでしてない。申し訳ない。それに、僕には音楽の素養もないから、音に関しては、詳しいことが書けなくて悔しい。とてもポップで、タイトルから想像のつかない明るさで、好みの曲ですとだけ。

歌詞にこんなフレーズが出てくる

通過していくAtoZ
見上げた空にブロックノイズ
見つけてしまった
誕生日

あるいは

通過していくXYZ
見慣れた空にブロックノイズ
世界の片隅
僕らは想定の範囲内
諦めて僕らは笑った

この部分を聞くたびに僕は、得も言われぬエモい気持ちになる。

「終わる全土」は、オワルゼンド、オワルゼンド……”ワールズエンド”だから、まあ普通に考えれば、その〈世界〉の終わりが、ブロックノイズとして表れているということだろう。しかし、その〈世界〉とは?私たちの世界の空にはブロックノイズは発生しない、おそらく、どんな終わりの瞬間にも。

彼らが、ブロックノイズを見つけて決定的に理解すること、それは、彼らと彼らの〈世界〉が仮構物であるということ、つまり、ゲームの中にいることをゲームの中のキャラクターが気付いた、というようなことなのではないか。そう思えば曲中の「繰り返していた歴史はもういいや」や、「僕らは想定の範囲内」というフレーズの響き方が変わってこないだろうか?ゲームのリプレイや、プログラムを指しているように聞こえないだろうか。

青木佑磨という人がいる。様々な活動をされている方なので、詳しい説明を省くが、僕にとっては学園祭学園というバンドなどで素晴らしい曲を作られている方という認識である。(僕のTwitterの本アカ、フォローされてるぞyes!)
彼には「singin’ in the darling(終わりのテーマ)」という曲があって

singin’ in the darling(終わりのテーマ)/学園祭学園

この曲は、セルフライナーノーツ動画の中で「物語の中の女の子が、物語の登場人物であることに気付いてしまったら」というテーマであることが明かされている(裏テーマは「ギャルゲー」)。この曲も大好きだ。

ゲームのキャラなどが、自身や世界が仮構物であることに気付くこと。僕がなぜそれに心揺さぶられるのか、とか、そういうテーマが扱われるのはなぜか、とか、皆はどう感じるのか、とか、そういうことは難しすぎる。今はまだ、よく分からない。これから考えていこうと思う。

もしよければ、あなたはどう感じたのか、教えてください。

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Posted by 後藤