ブログ「いらけれ」

分かること(分かった気になること)より、ただ読むことの方が難しい。

もう面白いのかどうかも気にせず、はじめは面白いと思って読み始めた、保坂和志のホームで試行錯誤に漂うをずっと読んでいる。「面白いのか」と問われたら、「分からないが読める」と言う。

心を別の階層に置いて、世界や社会や現実を、その作品の中に見出すことは簡単だ。作品ではなく、現実を見ているのであって、さらにいえば自説の強化、あるいは主張の為に作品を使っている。

そう読めるからそう読む。それは、面白がるために、簡単な退屈しのぎに向かわない意思によってなる。

ただ観たり、ただ聴いたり、ただ読むことで、初めて考えるきっかけになると、そう思っている。

ブログ「いらけれ」

文化系トークラジオLife 「いまヤバい!人文社会系」Part7

文化や文学、教養、ここで話されている人文知などの、一見役に立たなそうなものへの擁護はたくさんある。
そういったものを数々聞いたり、読んだりしてきた。

色んなパターンがあるけど、だいたい

・使い方次第ですぐ使える派
・実はあとあと役に立つようになる派
・役には立たないけれど別の価値がある派
・役に立たなくてもよい、むしろ立たないからこそいいのである派

このへんが多いだろうか。

こういった言説にあたるたび、いずれのパターンであっても、しっくりこないというか、どこか違和感を感じてきた。
そんなことしか言えないのか、というような。
それはきっと、役に立たないと馬鹿にされがちなものに、心をつかまれてきたからだ。

しかし、もっと別の言い方があるとも思えない。これ以上言葉を尽くしてもしょうがない。言葉でわかる人なら、そもそも役に立たないなどとは言わない。

役に立たないと言う人が認めるようになる、それには心をつかまれるような経験をしてもらうしかないだろう。
だから、そのための道を一杯用意しておくことが大事なのだと思う。

ブログ「いらけれ」


生きていることはコスパが悪い。でも、考えずにはいられない。
そうやって苦しくしている。

ブラック企業の問題は、もっと大きな「ブラック精神」の問題だと思う。
これはいずれ書くので詳しくは書かないが。
もちろん、労働の、企業の構造的な問題があることは百も承知だ。
それはそれとして、精神のブラック化とでもいうのか、そういった事態が広がっていると思う。

気分よく過ごすためには、ただ乗りするだけではダメなのだ。
あなたがお金を使わなかったことで、あなたの好きなものがなくなってしまう。

結局は、実は、お金を使う人が楽しむ。
(それは、「こんだけ払ったのだから元を取ろう/楽しもう」と力むからでもある。)

もし、あなたに好きなものがあるなら。
それは幸せだ。そんな日々は素晴らしい。
幸せでいられるように、楽しみを楽しんでほしい。

ブログ「いらけれ」

「希望」は、未来とつながる言葉だ。そして、未来をコントロールできると信じる人の言葉だ。

日常の深くに自己啓発が入り込んだ社会。希望を語る人を見ると、構えてしまう。

祈りにも似た望み、小さな願いは、生きていく上で欠かせないものだろう。しかし、人の力の及ばないものはある。変えようもないもの、どうにもならないもの。

大きな希望を語る言葉は、まるで、未来を思い通りにできるかのようだ。すべてが想定内のようだ。

できるなら。

大きなものを意識しながら、かすかな希望をもって生きたい。
そうならないことを楽しみながら、こうなったらいいな思ったり、どうなろうと「そうきたか!」と諦め笑ったりしながら。