書く態度(3)

ネットの記事、あるいはブログの多くを読めない。興味が続かないからで、途中でやめてしまう。

私の興味の話をしたい。
読み手として、書き手が迷っているのではないかと感じるような文章に惹かれる。

結論がないとか、論旨があいまいだということでは全然ない。
どう書けばいいのか、その決定的な方法はない。それを分かっていながら、それでもなんとかしようとして、だからこそ迷っているようなものだけが読める。

書く態度(2)

あなたはもう知っている。頁を捲った先にある予想外のどんでん返しを。
肝心なのは、どれだけ予想から外れていようとも、その予想外は、すでに予想の内であるということだ。

ここにはある種の共犯関係が存在している。「それでいい」という繋がり。

では、そうした退屈な事態から逃れるためには?

文学知らず

私小説と一人称小説、あるいは自伝の違いって難しい。「自伝的小説」なんていう言い方もある。
実際は違いなんてない、あるいは違いなんて意味はないのかもしれない。
読むという行為の中で何を起こすのか、それでしかないというのなら。

まだまだ行き届いていない。その上興味もない。調べていない。
だから注意していても、小説は読んでいても読めていないのではないかという恐怖がある。
一方で、それでいいとも思う。自分本位の読書。

書く態度(1)

※にゅーちゃぷたーでござい。書くの楽しい。

私たちは、書きえないことは書けないが、読み手を”喚起”することで、何かを書くことができる。

では、どのようなものを書くべきか。……それが分かったら、既に書いているだろう。

ヒントは、問いを変えて、どのように書くか、にあるのではないかと考えている。