ブログ「いらけれ」

※この文章は、5月6日に開催される予定だった「文学フリマ東京」での販売を目指し、作成していた同人誌の巻頭言として、執筆されたものである。

「小説とは何か」という問いに、答えを出そうとした数え切れないほど多くの先人たちと、彼らの残した言葉について私は、ほとんど何も知らないといって過言ではないだろうし、それなのに小説を書く、という意気込みで書かれたあの文章を、こうして人目に触れる場所へと置いてしまえば、心からじくじくと、忸怩たる思いが湧き上がるのも当然だろう。
 私は、胸を張ってライターとは名乗れない、産業廃棄物のような文章を日々生み出すことによって糊口をしのいでいる人間で、それとは別に、ただの趣味として毎日毎日千文字程度の日記を書いてインターネット上で公開するという、自分で自分を苦しめるような行為を二年程前から始め、今でも続けている。「知らねえよ」と思うだろうが、まあ、付き合っていただきたい。
 その日記には、「作家になりたい」とか「小説を書きたい」といった〈私〉の思いが綴られることも少なくなかった。しかし、この世界を生きる私と日記の〈私〉は別物であり、書かれた〈私〉の思いは、私の考えとイコールではなかった。
 小説とは何か、それが私には分からなかったし、もちろん小説、と自作の文章を呼んでいいものか、自信が持てないから〈小説〉と書くことにするが、〈小説〉を書き終えた今でも分かってはいない。例えば私は、日記のなかで数え切れないほどの嘘をついてきた。それは、間違いとされる確信犯の意味において、日記という枠組みからはみ出るようにして、より面白いものを書くための試みとしてあった。あるいはより消極的に、身内や知り合いにバレたら嫌だとか、直接書いてしまうと陰口のようになってしまうからといった理由で、出来事の細部に手を加えたり、存在しない兄を登場させたりしたことも度々あった。
 あれは、小説だったのだろうか。私小説にカテゴライズされる文章だったのだろうか。日記という体で書かれたテキストであろうとも、ドキュメンタリーが嘘をつくように、フィクションが紛れ込むのは当たり前だ、そもそも、すべての出来事は果てしなく複雑で、それを文字列に変換すること自体に無理があるのだから、それに、日記を書いてわざわざ公開する人間というのは、これも誤用だが須らく卑しい人間なのであり、興味をひこうとあの手この手を使う、その手段の一つとして話を盛る、確実に。
 小説と日記の分岐点が見つけられない私にとって、小説と〈小説〉がどこで分かれるのか、小説と〈小説〉を何が分けるのかというのは難しい問題だった。難しいから分からないし、分からないから書けないと思っていたし、告白すれば、書きたくないとさえ思っていた。「いつか小説を書きたい」と言うだけならば、やればできる子という自己イメージを持ち続けながら、「いつの日か俺はやるんだ」と甘えていられた。
 しかし、今これを読むあなたは、この本を手に取っている。目次にはタイトルがあって、その下にある数字を頼りにページをめくれば、私の〈小説〉がある。きっかけを話せば長くなるから、次の機会にしようと思うけれど、この同人誌を一緒に作っているパートナーとの出会いが、とある将棋大会にあったと聞けば、むしろそちらを詳しく書いてくれと、そう思われてしまうだろうか。ひょんなことから知り合い、そして連絡をもらい、口は災いの元……ではないけれど、同人誌を作りたいとか、小説を書きたいと言ってしまったばっかりに持ち掛けられ、それに乗り、すべてはノリでここまできた。ちなみに、私の座右の銘の一つは「囃されたら踊れ」である。
 小説を、もとい〈小説〉を書いて初めて、私は分かった。私にとってそれは、微細な運動の連なりだった。途切れることのないダンスだった。饗宴を続ける言葉を眺めていた。それだけだった。それなのに文章は、一つのテーマを念頭に置きながら書かれたとしか思えないものになっていた。最後のパートを書き終えて、冒頭から読み返した私は、心底驚いた。
 しかし、これは反省ではないけれど、あの〈小説〉には四千字が丁度良かったけれど、小説には全く足りなかった。一本の木が立ったに過ぎなかった。読者が深く入り込み、さまざまなものを目にし、さまざまな音を耳にし、時には迷ってしまうような、小説という森にはならなかった。
 最初も一つならば、最後も一つだ。最初の小説を書くにあたって私は、それを最後の小説にするつもりだった。しかしそれは、〈小説〉になってしまった。だから私は、〈小説〉を小説にする為に、もう少し創作活動を続けなければならないようだ。次こそは、森のように大きい物語を書けるだろうか。自信も確信も、作戦も戦略もないままに、とにかく書き始めよう。それが小説になったら、それが私にとって最初の小説となり、あの〈小説〉は、最後の〈小説〉となるだろう。

ブログ「いらけれ」

書きづらいことが頭の中にあって、それと目を合わせられないままで、どうしようかと悩んでいるのが今だ。覚えているというのはとても残酷で、忘れてしまって思い出さなければ、人生は揺さぶられない。

実際、目をそらしてきたのだろうか。そんなつもりはなかった。目をそらそうと思ったことはなかった。その出来事が、記憶の水面に浮かび上がらなかったから、沈める必要もなかった。

その日も調子良く歩いていた。鼻歌さえ響かせんとする勢いで。午後5時の街はもう暗い。川を見下ろせる橋の上で、小さな女の子の手をお母さんが引いて、丁度すれ違ったその時に橋の下に目を落とした川は、ほとんど水が流れていない涸れ川だ。

川の脇の道は、線路が上を通っているから、下を潜るように道は坂になっていて、川底と同じ高さにまで行くが、トンネルの灯りが点いていて、降りて通らなければならないはずの自転車が、すごいスピードでそばを通り抜け、イヤホンからはゲストを迎えたトークに花が咲いている。

一番下では、顔を上に向けないと空を見ることができないから、視界の大半を上り坂が埋めて、今上演されている舞台のお知らせが、その内容が怪我をさせられた子の親と、させた子の親が、子ども以上に喧嘩するというものらしい。見てもいない舞台でさえない、そのような場面が容易に想像できた時、それはおかしいと思った。

前日から腹を出して眠っていたが、高熱を出すという夢は叶わなかったので、エレベーターに乗って、アパートの扉の前に着いた時、大人の後ろにいた。出てきた大人に、大人は何かを手渡したが、何かを言って申し出を断った。原因となった体の大きさについて、だからそれを食べるべきなのはそちらではないか、つまり、生の皮肉を初めて聞いた。空気が黒いと思った。

担任ではない誰かから呼び出され、レースのかかったソファーに座って、話し始めると涙が溢れて止まらなかった。ごめんなさいではない。心を占めていたのは恐怖だ。怒られること、そんな直接的な悲劇よりも、もっと何か抽象的な、この先の未来が、崖っぷちに追い込まれるのではないかという恐れ。

加害者の発言は当てにならないが、ふざけていたから仲は良かったはずだ、ただ、少年たちには体格差があり、覆いかぶさるようになったとき、彼の膝に問題が起きた、それでも、大人たちは渡らないけれど、渡らなければならないことになっている歩道橋の階段を二人で上がった、歩道橋の上は二手に分かれていて、いつもはそこでさよならをするのだが、彼の異常な泣き方を見て、家まで送るという提案を断った彼の後ろ姿を見送った。

それからどうして、僕があの部屋に座り、あの扉の前に立つことになったのか、それは大人たちの領分だったから、あずかり知るところではない。僕は怪我をさせた子どもで、怪我をさせてしまった子は、しばらく学校に姿を見せず、そのまま転校してしまったのではなかったか。外気よりも、心の奥が冷たくなる。偶然だとか、悪意はなかったとか、それが本当だったとしても、小さくない影響を一人の人間に与えた。

ここから先を探しても、言葉は無かった。

ブログ「いらけれ」

押しても引いてもガタガタ言うだけで、頑なに動かない扉を蹴破った。そのような心持ちの夏だった。水色に近い空に、真っ白で分厚い雲が形を成していて、一面の窓ガラスがスクリーンみたいに、今しかない季節を映している。チョークが黒板を叩いている。小気味いい音に、私は眠ってしまいそうになる。空調の効いた21世紀は、ビクビクした時代だ。将来有名になったとき用のサインをノートから丁寧に消して、出たかすを丸めて、前の席の襟首目掛けて飛ばした今の私みたいな敵が、どこに隠れているか分からないと、皆がそう思っているのだろう。運動場から伝わる軽快な掛け声に気を取られた一瞬だけ、教室の外に渦巻く悪意の恐ろしさを忘れることができた。忘れても戦争はなくならないけれど、今日が終われば明日になって、明日になれば、私を乗せた飛行機が、あの空を飛ぶ。

久しぶりにレゴブロックを触った。それは、帰省していた甥っ子を大人しくさせるために、押し入れから取り出されていた。遊びが終わった後の部屋は、直すほどでもない程度に机が斜めになっていて、僕は気配を見る。プラスチックの青いバケツに手を入れて、まずは一握りする。手のひらのマッサージになりそう。いくつかのブロックを取り出して、色とりどりのそれを、どう組み合わせるか考える前に、やたらにくっつけてみる。くっつけてみたはいいものの、その先の未来が見えなくて、手が止まった。レゴで遊んでいた頃の僕は違った。もちろん、いくつかのブロックの形状を見ただけで、自分が作らなければならないものが導き出されてしまうような、想像力の豊かさがあった。それ以上に、でたらめにつなげられたブロックが戦闘機になり、飛行船になり、戦隊ヒーローのロボットになった。他の誰かには、そう見えなかったとしても。出来上がったそれが、空を飛ぶ動力源は、僕の中にあった。つまり、見出していたのだ。今の僕はどうだろう。作り始める前から上手く行かないと諦めてしまっているし、出来上がったものを見ても、不細工に連結したレゴブロックとしか思えない。歳を取った。現実を知った。夢を見なくなった。

かもめがいた。群れていた。灯台から光が伸びている。夜だった。波がある。大きくなった。音の波が距離を伸ばした。数分前まで、砂浜に男がいた。もう、その姿はない。そうして、いつもと変わらない風景になった。月に反射した光が、雲に遮られた。より一層、辺りは暗くなった。

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17連敗(予定)。そちらの世界はどうなりましたか?
追記:昨日の僕へ。勝ちましたよ、泣きそうです。

事前に知っていたわけではなかったのだが、ベンチ前の白い塊をあざとく見つける。このチームは、負けだすと清めの塩を盛りがちなのだ。だから、絶対にあるはずだと思って、肉眼で発見した。友人が検索してくれて、やっぱりニュースになっていた。

「マッチョ雄平のウィンナーⅡ」は、ウインナー盛りに雄平のステッカーが付いて1000円。普通のものが800円だったので、ステッカーが200円。頼むときに"マッチョ雄平"というフレーズを口に出すのが恥ずかしくて、「雄平選手の……」と注文したことをツッコまれながら、ビールとウインナーで見る野球。

ヤクルト打線はチャンスすら作ることができず、なんともピリッとしない攻撃を続けていた。一方の投手陣は、毎回のようにピンチを迎えながらも、ギリギリのところで、なんとか踏ん張っていた。そうしたなかで降り出した雨は、段々と勢いを増してきた。ビールの売り子さんが、お客さんに「雨ヤバいですよねー」というほどに。雨の予報を見ていた僕は、一応バスタオルも持っていっていたが、そんな武器では歯が立たなかった。

一旦中に入って、売店で雨具を求める。我々にポンチョを!あるいはレインコートを、と皆が雨合羽を求めている。600円のレインコートは、飛ぶように売れている。グッズ店では売り切れたから、近くのファーストフード店に「レインコートあります」と書いているので、半信半疑で「ありますか」と尋ねて、奥から取り出してもらったそれは、生地ペラペラでなんかヌルヌル、かつボタンがヨワヨワで、およそ600円とは思えない代物だった。野球を見に行く際には、事前に雨具を買っていこうというのが、僕の伝えたいティップスである。

ここからでは、よく分からない。僕はその時、雨に耐えながらも、しっかりとボールを目で追っていたが、この場所からではよく分からなかった。どうやら、テレビのスロー再生で見なければ、何が起きたか理解することの難しいプレーが展開されたようだ。審判の説明は、確かに分かりづらかった。それに対して、「おかしいだろ」、「当たってないよ」というヤジが飛んだ。
誰かを責めたいわけではないし、僕だって、似たような言葉を言ってしまったこともあるだろう。体育祭で審判を務めている先生に向かって、とか。しかし、自分たちに有利であれば、事実はどうだっていいという態度は、やっぱり良くないんじゃないかと、いつもフェイクニュース問題とかを考えている僕は思った。こういうのは良くないよなって、気づいたり学んだりするところに、野球場はならなければならないと、僕はそう考えるのだった。