ブログ「いらけれ」

良くないとは思いつつ、コンビニで買った惣菜パンとコーヒーのような、ビタミンの足りないコンビで昼食を済ますことが増えた。歩いて5分のサブウェイでさえ遠い、それほどに暑い。だから道向いのファミマに入った。チルドのデザートの棚は、そこだけ胸のあたりまでしかなく、冷やす機能のない上のところにフィナンシェやワッフルが陳列されている。棚の前には、棚の一番下の列に合わせた、低くて小さな机が置かれ、そこには、きれいな水色のラベルに包まれたペットボトルがたくさん並んでいる。その「伊右衛門カフェ ジャスミンティーラテ」という飲み物をどうしても飲んでみたくなったから、机ではなく冷蔵庫から一本取ってセルフレジへと持っていった。「てりやきチキン&マヨ」と組み合わせた。申し訳程度のタンパク質だ。

パソコンの前に座って、画像付きのメールがダウンロードされるまでの間に振って、蓋を開けて、もう一度振った。それでも底にこびりついた「ティーラテの本体」が、液体のなかに戻っていくことはなかった。一回りさせてみたラベルには、「この裏におみくじあり〼」という文字はあったが、たしかに「よく振ってお飲みください」とは書いてなかった。振っても意味がないということを、作った人は知っていたということだろうか。

画面に気を取られなが口をつけて、「どうして俺は、この味を知っているんだろう」と思った。デジャヴュのように味に覚えがあり、よく思い出すために目を閉じた。似たような色合いの小さな包みを開けると、似たような薄いクリーム色をした、小さな貝が入っていた。「貝の形 のど飴」で検索して、春日井製菓の「のどにスッキリ」という名前だと知った。スッとしないだけで、ほとんど同じ味だった。飴を溶かしてペットボトルに詰めたのかと思った。パンには合わなかったけれど、私は少しだけ嬉しかった。

私の舌に届いたのは、出かける前に手渡された味だった。亡くなった母は、よくこの飴を持っていた。この飴が好きだったのだ、おそらく。生きているときには気づかなかったけれど、私は母に頼っていたのだなあと思う。思い返してみれば、家のなかでは一度も舐めなかった。いつだって、家を出る前に、あるいは出先で、口寂しいときは母に言えば解決した。母が飴を持っていることを知っていて、ついぞ自分で買うことはなかった。このエピソードは私の、母に対する信頼と依存を表しているのだろう。だろう……か。カ。カタカタカタカタ……という音で、私がタイピングしていることに気がついた。いい話のようで、そうでもないようで、やっぱり本当はいい話に気を取られていた。

そこにいた誰も、私が亡き母を思い出して、ジーンとしていたなんて知らない。目の前にいる人や隣にいる人でさえ、何を考えているのか、黙っていれば分からない、いや話していたとしても、本当のところは分からないのだなと思った。つまり、前の席に座る彼女が何を考えているのか分からないのだ。底抜けに空恐ろしくなり、渇いた喉にラテを流し込み、空になったペットボトルの分別ついでに見たおみくじは、小吉だった。

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久しぶりに夢を見た、と目が覚めた。起きる必要がないから眠った。

『チャパーエフと空虚』は”花婿とは、アーノルド・シュワルツェネッガーのことだったのだ”という超面白い一文がある小説で、夢/幻覚が描かれている。

読んでいたからかもしれないが、私は知らないスーパーマーケットにいる。病室のような引き戸があり、その向こうに日用品の棚がある。日用品としか言えないのは、無数の商品が並んでいるからだ。一つ一つが潰れている。私は、それを扉を開けた瞬間に見た。

夢を見て、そこで見たスーパーマーケットなどなく、あるのは私の脳だけだ。それでも、私は私が見た、と言うだろう。私には、その光景が私のなかにあったという実感はなく、私には私が見たという実感がある。

つまり、私が家を出る前に、家の外が私の中にある。スーパーマーケットがあり、スーパーマーケットの店内がある。仮構された都市がある。私は、その虚構に無自覚だ。無意識の構えがある、だからこそ驚くのだ。予想がなければ、予想外はない。

私の夢を作ったのは無意識の私だが、その無意識の私に、私は会いたい。無意識は意識できない、意識できないものを無意識と呼ぶ。だから、無意識の私に会うというのは、叶わない夢だ。

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今から驚いた話をします。

その朝の私は新宿に着くまでKindleで、佐々木敦『「批評」とは何か?』を読んでいました。

この本を読むのは4回目ですから、すでにたくさんのハイライトが入っていました。過去の私と一緒に読んでいるみたいでした。私の人生の課題に取り組むためには、「批評」についてもう一度考えなければならない、思考を更新するためにこそ原点に帰るべきだ、と考えていました。

『小説の楽しみ』(水声文庫)という非常にベタなタイトルの本があって、二〇〇五年だからほんとに最晩年、国立のロージナ茶房っていう喫茶店で三回続けてやった講演を本にしたものです。これは本当に素晴らしい本です。

佐々木敦『「批評」とは何か?』

私は乗り換えのホームで、この部分を読みました。この本こそ私が前回書いた、古書防波堤で買った「小島信夫の小説論」でした。とても驚きました、鹿島さん、これは……スピってますか?

でも私は「スピリチュアルコーナー」に投稿しません。なぜなら私は、この本をすでに3度読んでいるのだから!!!

言ってしまえば忘れていただけですし、中で取り上げられている小説が丁度並行して読んでいた絲山秋子『袋小路の男』だったり、次に読み始めた長嶋有『電化文学列伝』(ちなみにこれも再読)で柴崎友香『フルタイムライフ』が扱われていたり、という例からも分かる通りですが、これからとても大事なことを言いますが、私は「界隈」をぐるぐるしているだけなんです。だから読んでいる本に、買った・読んだ本の名前が出てくるのは当然のことなんですよ。

とはいえ、やっぱり偶然の導きa.k.a.運命を感じないではいられないわけですが、それもまた一つの当然なのだ、という結論に至りました。

無数の本の中から私が選んだ本同士が、一つの星座をつむぐ。それは、他の誰でもないこの私が、考えるべきことを考えるために、調べて探して読んで学んで、賭けているからです。人生が、痕跡を残しているのです。

つまりこれは幸運、ラッキーではなくて幸福、ハッピーなお話だったのですね。私がちゃんと生きられているみたいで、良かった。

ブログ「いらけれ」

今時の大学生らしく、一年生の頃から、履修した講義には毎回出席し、レポートなどの課題もしっかり提出するという真面目さで、四年生後期になってからは、キャンパスに行くのは週一日、ゼミの先生の卒論指導を受けるだけだから、高いお金を出して買った自転車はすっかり使う機会が減ってしまって、錆びつかせるのがもったいないと思った僕は、朝から降っていた雨が上がったタイミングで、いつものスニーカーを履いて、玄関を開けて、目に入る空に虹がかかっている。しかも二重だ、よく見ると。

兄が仕事をやめたのは、先月のことだった。彼の身体に、三月の終わり頃から断続的に訪れるようになった小さな不調は、一月で瞬く間に大きくなって、それでもなんとか会社に通っていたのだが、ようやく診察を受けたときには、もう手遅れだった。詳しい検査のあと、家族も呼ぶように言われた診察室で、ドラマのように余命宣告が行われることはなかったけれど、医師の口振りから、彼の人生がそう長く続かないことだけは、はっきりと伝わった。彼の後ろで、円形の椅子に座って話を聞きながら僕は、天井を見つめていた。その向こうに、本当に、神様はいるのだろうか?

後方から不意の、けたたましいクラクションの音にも、僕は振り返らなかった。まだ乾ききっていない道を、自転車は快調に進む。地面とタイヤが接しているのが分かる。この感覚は久々だ。小さな公園、シャッターの隣のシャッター、スーパーマーケットから人が出てきて、美容室には大きな女性の写真。赤信号で停まる。あまりにも綺麗な虹は、それが最後の虹かもしれない。僕は振り返り、わざわざ靴を脱いで、リビングのソファに横たわりながら、テレビを見ている兄の側まで行って、そして、話してしまった。

フォローのつもりで「歩きたくないよね」と言うぐらいなら、話さなければよかったと、その時は思った。彼の苦しみが、痛みが、僕には分からない。「そうか、見たいな」と言って起き上がろうとした兄を母が支えて、短い廊下を歩いて、玄関でサンダルをつっかけて、ドアを開けた二つの後ろ姿の向こうに、あの虹はまだあった。「本当に綺麗だね」という、たわい無い会話に家族があって、胸がいっぱいになる。うん、話してよかった。「出かけてくるわ」とそっけなく横を通って、自転車の鍵を回しながら僕は、この日のことを死ぬまで忘れないだろうと思った。

信号は青に変わった。顔を上げ、しっかりと前を向いて、もう一度ペダルを踏み出した。

僕は魂の本に今日のみんなを記すんだ。

「魂の本」中村一義