ブログ「いらけれ」

『ジョーカー』の感想が聞きたい人(なんていないことは知っている)には申し訳ないんだけど、席に着いた瞬間に爆睡してしまい、気が付いたら真っ暗なスクリーンの前に一人だったので、一秒も見ていないんだ。
だから、これは想像に過ぎないんだけど、始まる前、後ろの方でイチャイチャしているカップルがいて、(そういう映画ではない気が……)と心配していたら、終わった時には静かになっていたから、おそらく、そういう映画だったのだろう。
見ていないけれど、いくら僕が馬鹿だとしても、ロバート・デ・ニーロが出ている意味は分かる。しかし、その他の映画のパロディや引用については、分からないから黙るしかない。あと、実はかなり人種の問題が内包されていて、その側面から語ることもできる映画だと思ったのだが、知識がないから黙るしかない。資格がない。それに、虚実の被膜的な仕掛けが読みを誘う訳だけれども、完璧に手のひらの上という感じで、すごい出来の良い映画だったなあという夢を見た。出生からしてフェイク、というような。しかし、すべてが因果応報的に、相手が先に悪いことをしたのが悪い、と観客に思わせて、感情移入させる作りはずるくない?そりゃ勘違いしてしまう人も出てきちゃうだろ、と寝ていた。
もし仮に、僕が『ジョーカー』について文章を書くのならば、ストライキと街に溢れるゴミから始めるだろう。本編を見ていないのに映画評を読み(聞き)漁ったら、僕の目の届く範囲にはそういう批評がなかったら。それから笑いの話に展開する予定。そもそも書く予定がない。
コメディアンになろうと思ったアーサー。突発的に笑い出してしまう症状。口に指を入れて、口角を上げる姿。ジェームズランゲ説を思い出す。あまりにもひどいジョークは、フィクションの中に織り込むしかないのだろうか。そのジョークを心から笑うことのできないアーサーは、確かにずれている、しかし、正しいようにも思える。
ホアキン・フェニックスがすごいという話は、誰が見てもすごいと思うはずだから、する必要もないのだろうが、やはりあの走り方は忘れられない。「気持ち悪い」とか「気味が悪い」を体現する、あの動き。そう思わずにはいられなかった私たちは、気まずい思いをすることになる。僕はしなかった。見なかったから。
ぐっすり眠って、すっきりした頭で映画館を出て、そのまま、クリスマスイブの街を歩いて地下鉄に乗ったら。そこで三人組の証券マンが女の人に絡んでいたから、僕は笑った。

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とにかく末端が冷える体質なので、冬は困る。この間も、布団から出ていた手の冷たさで目が覚めた。もったいないので、凍った指先を缶からコップへと移したビールに入れて、冷やしながら飲んだ。この程度の嘘ならば、信じる人もいないだろう。

冬には、何度もインフルエンザにかかってきた。突然身体が熱くなって、大学の講義を抜けた。今考えれば、すぐ近くの病院へ行けばよかったのだ。一時間かけて帰って、あまりの高熱に、家の近所の病院で綿棒を突っ込まれた。その時はインフルエンザだったが、次の初夏には肺炎になった。急に全身が燃えるようになって、大教室を出た。例によって東村山まで戻り、針を刺されて血を抜かれた。老いた医者に、「若いのになぜ肺炎になんてなったのか」と問われたが、それはこちらが聞きたかった。それから二週間ほど、通院して点滴を受けた。ベッド一つの狭い部屋の窓からは木漏れ日が、電気は点いていなかったけれど本で時間を潰した。読んでいた『銀河鉄道の夜』は、受講していた講義の参考資料として買わなければならなかった文庫だ。ゆっくりと落ちる水滴は、ゆっくりと進む時計の針だった。

クリスマスにまつわるほとんどを、僕は知らない。始まった一日は、動画を見ている内に、終わりへと向かう。僕は、サンタクロースを信じる子どもだったのだろうか。サンタクロースの存在について、嘘を吐かれていたのだろうか。そもそも、なぜサンタクロースがいると言わなければならないのかという疑問は、一年前の僕によってすでに書かれていた。クリスマスと関係を持てない暮らしで、NHKのBSの、フットボールアワーがMCをやっている番組で、コンセプトの「美と健康」みたいなものは苦手だけど、ダイエットとか睡眠とかがテーマだと見てしまう。今回は免疫だったので、夕飯を食べながら見てしまった。それから支度をして、寒そうだったので下にタイツを履いて、ニット帽に手袋で出かけた。

電車が遅れて乗り継ぎが上手く行かなかった駅に立ち、十分後の車両は始発だから座って、それからまた乗り換えて、立川駅にはたくさんの人がいてペデストリアンデッキだ。下に降りて、コンビニには探していたモニター品があったから買って、大きい駅は違うなあと思った。シネマシティでFeliCaを登録して(これをチケット代わりに入場できるらしい)、それでもまだ30分以上前だったから、席に着けないばかりか館内に入場もできなかった。イルミネーションを横目にペデストリアンデッキを歩いて、近くのオリオン書房で本を見た。そこから戻るときに、この写真を撮った。

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生活。暮らしのこと。生きているかぎり付きまとうもの。金がかかる。生きているかぎり金がかかる。生臭い話をされた末、金を貯めておけと言われる。言われなくても分かっているとは言い返せないバランスで暮らしている。今月は金を使い過ぎている。いくら使ったか考えるのが恐ろしい。考えなくとも、来月にはクレジットカードから引き落とされるだろう。使うため生きているのだから、それで良いのだろう。流石にパソコンを買うのはやめた。年末年始の暇に設定を終え、使い慣れるのも魅力的だったが、金は使うとなくなると知っている。とはいえ、おんぼろパソコンはいずれ買い替えなければならない。余裕のある者だけが、快適な暮らしを手に入れる。仕事。嫌になったら、映画でも見に行こう。『ジョーカー』でも見に行こう。立川のシネマシティの有料会員になろう。また千円を払う。千円が惜しくない生活を手に入れて、予約する座席は空いている。何も考えていなかったが、明日はクリスマスイブだ、と気付いたのは夕方のテレビだ。天気予報で言っていたから、クリスマスイブに一人で『ジョーカー』を見に行くような人生にする。交番の警察官が木刀を持っている。そろそろイルミネーションという時代ではないのだろうか、例年より少ない。クリスマスだから、何だというわけでもない。そういう時代がすぐそこまで来ている。ぺこぱが否定ではなく肯定だから時代が変わったというのは、単純過ぎやしないだろうか。そうした言説に比べて、プロの分析は本当にすごい。プロの分析を一通り読んで満足する。その後、自分でも考えてみた。相方に対するツッコミが、言及する相手が観客に変わる。直接的に、そういうものもある。しかし、それだけではないと思った。具体的に言えば、独白を感じる。例えば、「おじいちゃんの膝の上は懐かしい」という言葉。不特定多数への呼びかけは独り言と似る、ということなのかもしれない。漫才を真剣に考えても、使うところがないのでやめる。家に帰って、空腹に冷凍の焼きおにぎりを温める。カップのワンタンスープに湯を入れる。さらに目玉焼きを作る。普段はしないのに。M-1のあと、『テレビ千鳥』の「DAIGO’S キッチン」を見たからかもしれない。少し不真面目な気持ちで、フライパンを使いたくなる。身体に取り入れるという最後と繋がらない遊びがある。温まった焼きおにぎりに、半熟の目玉焼きを乗せた。見た目が美味しかった。以上が生活のあらまし。

ブログ「いらけれ」

『人形メディア学講義』と『俳句は入門できる』を買った。「小説的思考塾」で、とにかく本を読めという話が出ていたが、注文したのは金曜日で、出掛けている間に届いていたので、それを受けて購入したわけではない。しかも、トークのなかで挙げられていたのは、20世紀の海外文学だった。コンラッドやヴァージニア・ウルフ、それにヨーゼフ・ロートとか。まあ、読まないよりはいいだろう、面白いに違いないのだし。
なんて、ジムビームハイボール缶を飲みながら書いているというのは嘘で、ハイボールを飲んでいたのは午後7時で、もう夕飯も食べ終わって、仕込んでいたミックスナッツを食べながら飲んだ。戯れに買った香味ペーストの、最良の使い道はミックスナッツにかけて、かき混ぜることだった。一瞬も止まることなく、口にナッツを運び続けていたら、ナッツは一瞬でなくなった。太るから試さない方が良いと思う。
飲まなきゃ企業に応募なんてできねえ、ほろ酔いで志望動機を、それなりに頑張って書いて、求人サイトで応募ボタンを押して、自動返信のメールが届いて、自筆の履歴書と出したい本の企画を3本、この住所に送れと書いてあった。ふざけたメールだったので破いた。
志望動機を書きながら、M-1を見ていた。昼間のリビングには、有馬記念と書かれた競馬新聞が置かれていて、本当に年末なんだなあと感じた。M-1が面白かったので、大笑いしていたらドアを叩かれた。とにかく、何度も書いていることだけど、舞台の上に立っている人、向こう側にいる人を飛び切り尊敬しているから、ただ仰ぎ見るしかない。決勝なんてもう、ミルクボーイも、かまいたちも、ぺこぱも、それぞれに好きだった。
昼間には、ポイントサイトのアンケートに答えるために、モニター品を買いに歩いていた。一つのコンビニチェーンを回っていた。同じチェーンでも、店の形も違えば、置いてある商品も少しずつ違う。そういう差異を発見するためには酔狂な、傍から見たらおかしな行動を取らなければならない。発見したところで、何にもならない。結局見つからないということを知らず、キンキンに冷えた街を2時間彷徨った私は、やはりdetune.はいいなと思ったので、絶えず聞いていた。「峠」とか。"「大丈夫」と君が聞いてくれたら大丈夫さ"。
雨が降り始めて、一層寒くなったから、小走りで帰った。飯を食って、酒を飲んで、笑って、昨日の日記を書いた。あと、二つのイベントの予約をした。来週も来年も、私は変わらず頑張るつもりのようだ。いじらしいぜ。