I’m a soldier in the world

「2018/06/02 今日のボイスメモ」
「ボイスメモを公開する。」が更新されてますよ!今回は30分を超える長尺となっております。しゃべってて、楽しくなっちゃって、長くなっちゃって。公園で一人、30分しゃべっているんだなーと想像しながら聞いてください。

登山は危険が伴うわけだけど(ちょっと前にラジオで聞いた)、「危険じゃない」とはどういうことかと、それについて考えていた。誰かが、ジェットコースターは何年かに一度事故が起こるからスリルがあるのだって言っていたけど、今ならVRとか、未来なら脳に電極とか?で、事故の起こらない絶対安全なジェットコースターを再現することができる。再現というか、五感を操作して、身体にかかる負荷とかまで全く同じというような体感が得られるのならば、それは、実際にジェットコースターに乗るのと何が違うのだろうか。違うのは、事故によって現実の身体に危険が及ぶことがないという点だけではないのか。僕たちは、「VRジェットコースター」で満足するだろうか。あるいは、それは死が骨抜きにされた偽物でしかなくて、僕たちの中の〈死の欲動〉が満足しないのだろうか。これから僕たちは、どちらを選ぶのだろう。

批評家を批評した本が出版されたというツイートを見た。その時まで、あまり気にしていなかったし、普通のことだと思ってた。批評家についての本なんて、数限りなくあるもんね。でも、よく考えてみると、批評家の批評ってすごい。何かについて書くのでなく、何かについて書く人について書く。批評家の批評をする批評家の批評をする批評家の批評を……ってどこまで行けるんだろう。最初の批評家によって語られていた芸術作品のアウラ(?)が、後ろの批評家に行けば行くほど、ちょっとずつ薄まっていったりするのだろうか。それとも批評家の表現行為自体がアウラを持っていて、だから批評家の批評が可能なのだろうか。よく分からんけど。

ジダンがレアル・マドリーの監督を辞したってネットで見て、もちろん驚いたんだけど、「ペップ-モウリーニョ以降の監督業」ってのは、1サイクル3~5年くらいと見られている節があり、それ以上長く一つのチームを監督するとマンネリになっていくと思われているっぽいよね(もし可能であれば、グアルディオラとモウリーニョのウィキペディアを確認し、その監督歴を見てみてほしい)。もう20年トップクラスのクラブの監督する人なんて出てこないのだろうか。チームの顔みたいな監督がいるのも個人的には好きなのだけど、でも、ビジネス的に大きくなりすぎている現代フットボールでは、さすがに苦しいだろうね。

ゆっくりと上がる跳ね橋を見ていた。大きな木の下にあるベンチ。飛び始める大きめの烏の、その羽の音が聞こえそうなほどの飛び立ち。複雑な川面のきらめき。6月の無風の午前中、23度の気温。日々の空白。あれからもう何年も経ってしまった。あらゆる後悔と、そればかりではない懺悔。私の視線の中に人間はいなかった。しかし、彼女は人間の姿をとらずにそこに居た。私が気付くことはなかったのに、それは本当だった。

「InterFM897 Music Mix」は、本当に重宝している。往年の名曲やスターの新作だけではない、「ひっそりとだが確かにあった音楽」を流しているからだ。5月30日AM5時からの番組で、Papercutsの「Future Primitive」や、tiernanの「The End of the World」(すごい歌詞だ)Gang Gang Danceの「Lotus」をかけた人(人々?)が、この日本のどこかに確かに居て、そのことに、とても勇気をもらっている(この心強さが分かるだろうか?)。だって一銭にもならないでしょうし、聴取者受けも悪いだろう(僕みたいに、まだ見ぬ新しい音楽を常に探している奇特な人間は少ないはずだ)し。そして、YouTubeの再生数が全てじゃないんだってその心意気に。選曲者には「ありがとうございます、頑張ってください。僕も頑張ります。」って伝えたい。