土の中で待つ

Vooid 「礦石」 (Audio)

「礦石」 の『洪申豪選詩集』に載っている訳詞を読むと、必ずといっていいほど泣いてしまう。
歌詞は、どこか目立たない場所、山の奥や渓流の側にひっそりと存在している鉱石に対して「お前の光を世界は必要としていないかもしれないが、それなら土の中で待っていればいい。いつの日かお前も誰かと共鳴するだろう。ゆっくり結晶しておくれ。」と呼びかけている。
この歌詞が、誰に向けられているのかは分からない。作詞をしている現状の自分に言い聞かせているのかもしれないし、過去の報われない自分に向けた歌なのかもしれないし、不遇をかこっている誰かに対してなのかもしれないし、もっと抽象的な想像の中の誰かなのかもしれない。
それはでも、いいの。そんなことは。
歌詞が、苦境にいる人みんなを慰める何かであることだけが確かで、それは特別な優しさによるものだ。現実は急激でひどく乱暴だけど、それに付き合わなくてもいいのだと教えてくれる。固い思い込みの世界を解体してくれる、そんな歌。
いつかの未来には、僕も誰かと共鳴しているのだろうかって思いを馳せてみる……ああ、いい歌だなあ。(そういえばapplemusicにVOOIDのアルバム『VOOID』がありました。「礦石」は入ってないけど、面白い曲も、せつない曲も、あの過去の名曲も入ってるよ。チェックしてみてはいかがか。)

トッププロの将棋を見ていた。難しい形勢が続き、お互いの玉が詰む詰まないの関わる難解すぎる終盤戦に突入していた。プロ棋士二人によるハイスピードの解説が始まった。棋士同士の会話は限りなく将棋星人の言葉、将棋星語に近づく。将棋ウォーズ二段にはついていけない。頭がぐるぐるする。聞いていたら、気を失うように寝ていた。起きたらクライマックスで、ほどなく終局した。かなり難解な将棋だったとはいえ、それから一時間以上感想戦で局面の検討している。しかも終わる気配がない。世界一将棋に詳しい人たちが、「分からない」と繰り返している。そして考えるのをやめようとしない。ビビるというか、すごいというか、おかしいし驚くのだ、その姿勢に。傍からみるかぎりの、あまりの好きさに。僕は、そこまで好きで、向き合うものがない。いや、ほとんどの人にないのだ。とはいえ、自分を省みてしまう。どれだけの好奇心で生きていけるだろうかと。

ぼーっとしていたら、何をやるだとかやらないだとか、僕が世界について(世界に対して)眠っている間に、僕抜きで重要なことが決まっている。SNSに踊るニュースを眺めながら、ただただ吃驚していた。普段は、色々コントロールしている、できているつもりでいる。でも、自己決定出来ることは、少ないし些末だ。それに比べて、世界で(僕からすれば)勝手に起こることの多さと重要さ。とりあえず、その会話に僕も参加させてよって思うけど、そうはいかなくて、あずかり知らぬところで戦争は始まる。それは僕のせいじゃなくて、あたふたしている内に、翻弄されてしまうのが民の人生だ。と、納得して、また目を閉じる。

クワリ村は本当にあるんだけど、それを書くための筆力がまだ足りない。主人公二人は兄弟で、それは本当にファンタジーな世界で、頭の中から書き出す(掻き出す)ためには、古今東西のファンタジーを、一回自分の中に入れないとって思ってる。兄弟からのメッセージは本当に届いているし、彼らの住む家のファーニチャーは鮮明に思い浮かんでるけど、手に余ってる。

僕にはギターがないので、文章で出来る限りのことをします。目指すべきはロックスターじゃなく、作家大先生だ!!!